第31話:百試千改

 事前の相談はしなかった。必ず反発されると思ったから。ここまで怒るのは、いささか想定外だったが。


「僕の考えた案じゃけえ。このまんま、何も変えんこうにやる言うんじゃないよ」

「ほしたら、木工教室んとこはなしよ。他は俺が口出しすることじゃなあけえ、知らんけど」


 けんもほろろ。残っていたビールを吸いつくし、海太くんは腕組みで目を瞑った。

 もう参加しないという姿勢だろうけど、そうはいかない。


「なんでなしなん?」

「なんでもよ」

「うまくいかん、いうこと? 海太くんがやりとうない? なんか理由はあるじゃろ」


 クライアントの意志が統一されていればいいけれど、そうでないことも多かった。意見の割れているので言えば、ほぼ必ず。

 理由もなしに反対というのは一割くらいか。蓋を開ければ、本当に理由がないなんて皆無だったが。


「はあ? 言わんでも分かりきっとる」

「ごめん。僕、言うてもらえんと分からんかも」

「はあ。輝一さんの言うた通りよ、金ぇはろうてまで疲れに来る奴はらん」


 舌打ちと薄目で、不機嫌が演出される。それでビビると考えているなら、効果は抜群だ。

 しかし僕も引くわけにはいかない。


「そうかねえ? なんいうたっけ、子どもが大人の仕事を体験するテーマパークみたいなん、あるよね。僕、かなり行ってみたいんじゃけど」

「アホか。ありゃあ、ごっこ・・・じゃけえ楽しいんよ。あんたのは、マジのじゃろうが」


 クライアントを目の前にして、鈍感なふりが得意になった。普段から敏くないじゃろ、という自分からのツッコミも無視できるほど。


「うん、ごっこでええと思う。大人がやるんなら、本気のごっこ遊びが楽しぅないかね。ああでも、手加減モードみたいなんも選べたらええかもしれんね」


 突き抜けていたほうが、案外と受け入れられる。そういう経験が先走って、画一的過ぎたかもしれない。

 なんにしても、海太くんからの貴重な案だ。自分用の資料にササッと書き込む。


「俺が言うんは、そういうことじゃなあわ」

「うん、理解が遅うてごめん。でも、なんでも言うて」


 彼の声に刺々しさが増す。久嬉代さんとこのみさんが居なければ、既に怒号だったかも。

 空の缶を乱暴につかみ、口もとへ持っていく。もちろん何も出なかったはずで、くしゃくしゃのアルミ塊がテーブルに戻る。


「なあ、ほんまは分かっとるじゃろ。ムダなことすな言うとるんよ」

「ムダじゃない、思うとるよ」

「なんでや、ええかげんに退けや。あんた最初にうた時と、全然違うじゃなあか」


 ボサボサ頭を掻きむしり、貧乏ゆすりめいて指を動かす。こういう時、いつもの海太くんなら視線を逸らさないと思う。

 それが今は、酔っ払ったみたいに落ち着かない。


百試千改ひゃくしせんかいいう言葉、聞いたことある?」

「ああ? 知らんわ」

「百回試して、千回改めるいうて書くんじゃけど。なんとなく意味分かるじゃろ? 東広島の酒造家さんが言うたらしいわ」


 指の貧乏ゆすりがやむ。さすが物作りの職人同士、通じ合うらしい。


「ええ物を作るには、そんくらい試行錯誤せにゃいけんいうて。看板も同んなじよ、クライアントの希望のままできた思うてもオッケーにならん。何回も擦り合わせして、やっと形になる。それでも期待した効果にならんことのほうが多いぃ」


 深いため息が長く続いた。ようやく終わったと思うと、鷹のような彼の眼が睨みつける。


「譲さん。一個、あんた間違まちごうとるわ。ここにクライアントなんからん」


 ぶちぶちと千切れ飛びそうな、怒気混じりの声。海太くんは椅子を蹴立て、玄関のほうへ出て行く。


「海太ちゃん!」


 太い眉尻を下げ、このみさんも席を立った。ダイニングの戸のところで、荒々しい玄関の音に竦んだが。


「僕、行ってきます」


 この有り様の発端は僕だ。そしてこんなことで諦めるつもりもない。

 まだ残していたビールとナンコツ揚げを口に入れ、立ち上がる。


「ねえ譲さん」


 と、ずっと資料を眺めていた久嬉代さんが呼び止めた。困ったわねと言いたげに、娘と違う細い眉を下げ。


「うちはね、輝一さんあのひとを信じて着いてきただけじゃけえ、難しいことは分からんの。でもなんとなくのこと言うてええんなら、人がたくさんって賑やかなんは楽しそうね思う」


 薄く笑い、ちらと娘に視線を向ける。

 それはどういう意味ですか。聞くまでもないが、聞きたかった。けれども堪え、ただ頷いた。


 立ち尽くすこのみさんの背にちょっと触れ、玄関へ向かう。叩きつけたはずの戸が、きっちり閉まっていた。


「海太くん!」


 外へ出てすぐ、彼の背中が見えた。外の道路へ向かう道を、灯りもなしに歩いている。月と星のおかげで、必要ないけれども。

 母屋から三、四十メートル。追いついたが、避ける素振りはなかった。


「誰のこともクライアントとは思うとらんよ。どっちか言うたら、僕かもしれんし」

「そんな心配せんでも、このみは自分でどうにかするわいや」


 打って変わって、静かな声。飲んだビールもまるで関係なく、よく知る彼がそこへ居る。


「このみさん、凄い人じゃけえね。でも百パーセント、完璧にできる人を手伝てつどうたらいけんこともないじゃろ? 百パーセントより百十パーセントのほうがええ」


 歩む足が止まった。振り返り、なんとも言えない困った顔を向けられる。

 今度はなんと言われるか。黙って待つと、海太くんも何も言わない。そのまま畑の柵へ寄りかかる。


 光の届かない森のほうへ、彼の視線が向いた。熊でも居たのか、僕が見ても分からない。

 慌てた様子もなく、数分。やがて「なあ」と、揺れる葉の音にも紛れそうな呼びかけがあった。


「俺の勘違いなら悪いんじゃけど、あんたあの太眉毛が好きなんじゃろ? ほれでそんな計画ぅ立てよるんじゃろ?」


 突っ立った僕の手が指さされた。見るとたしかに、プレゼン資料を握っていた。


「あれ、続きを話そうとは思うてなかったんじゃけど。まあ、うん。正解です」


 好意を問われて、しかも二度目で、火が出そうに顔が熱くなる。我ながら小学生かという返答に呆れた。


「ほしたら、なんでや。なんで俺を近くへらそう思うんや」

「なんでって」


 何か問題があるだろうか。海太くんは自分の工房を持とうとして、それは活喜ファーム内でもいいはず。

 このみさんは彼も僕も、ずっと居てくれたらいいと言った。

 僕の知る限り、ダメな理由が見当たらない。


「さっきも言うたけど、あくまで僕の意見じゃけえ。いけんことがあったら、言うてくれたら修正するけえ」


 実はこういう事情が。と明かしてもらえば、最悪は没案もあり得る。まあこれも彼からすれば、勝手な言い分だろうが。


「こんな時にオヤジギャグは要らん」

「えっ、ご、ごめん」


 そんなつもりはなかった。どこがギャグになっていたか考えたが、一言一句まで覚えていなくて無理だった。

 言い放った海太くんも解説してくれない。どころか会話を続ける気もなさそうだ。ただただ、ぼうっと森を眺めるだけ。


 明かせん事情でもあるんかなあ。

 それならそれで、詳しくは言えないができない理由があると言ってくれればいいのに。これも僕の勝手か。


 そんなことを思い巡らせていると、ふと。疑問が湧いた。素朴な問いというやつだ。なんの気なく、口に出す。


「このみさんの近くにったら、海太くんに困ることがあるん?」


 ひゅう、と風が鳴る。それは森からだったか、海太くんの息だったか。

 返事がなくて、もう一度聞こうと口を開く。それを遮るように、彼は答えた。


「そんなん、あるわけなあじゃろ」


 抑揚のない、かすれた声で。

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