応援コメント

第29話:看板のセオリー」への応援コメント

  • 「超現実体験型、農場アウトドアパーク」

    現実が「超」の一語で生まれ変わる。

    まずはコピーライター譲さん、本領発揮というところ。

    俄然、やる気が出てきた!

    作者からの返信

    @chukkichukichuki58さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

    譲さんが形にしようとしているもの。
    仰る通り、なにやら楽しそうです。疑似体験:バーチャルリアリティーに対してのフィジカルリアリティーですが、果たしてどんなものなんでしょうか。

  • 動いた!いや、動かした!山ですねー。いい感じです。これができてから、私の体験ではなのですが、受け入れられるかなんですよね。そんなことは望んでいないとか、まさか、難癖つかなければいいです。ほんと。自助具のデザインで、望んでいないと、根拠もなく追っ払われたのは私です。パッケージデザインをしたら、文言が先生に読めなかったらしく、作家になればいいと言われましたけど、あれは貶してた。(笑)。

    作者からの返信

    続いてこんばんは。
    お節介というのは、えてしてそういうものですね。綿密に打ち合わせれば払拭できる不安がいつまでも付き纏います。

    まあ打ち合わせていたところで、気が変わったとか都合が変わったとかも往々にあります。結局は自分本位にやるしかないんでしょう。きっと。

  • 私も少し前から自作のイラストに文字を入れるようになって、表紙とかアイキャッチとかは見てほしいところを目立つようにしないといけないんだなと実感しました。
    何を伝えたいのか、明確なビジョンがないと難しいですよね。

    さて、譲さんの計画。何やら面白そうですね。詳細求む。

    作者からの返信

    すずめさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
    広告看板やイラストって、大きくても1メートル四方とかがせいぜいですよね。

    現実という無限に広がる空間から、そのちっぽけで限定的な空間に0.1秒でも誰かの意識を向けさせたら、それで作成者の完勝だ。

    と、知人のゲーム会社の方が言っていました。
    本文でも触れていますが、たまたま目に入った物を理解しようと労力をかける人のほうが稀で、すぐに分かる何かがないと飽きられてしまいますね。
    よくよく見れば素晴らしい物でも、見るのを諦めてしまわれると無意味です。
    小説も最初の数行でつかまないとダメだというのも同じですね。

    譲さんの「ぼくのかんがえたさいきょうののうじょう」を、活喜家の人々はどう受け止めるでしょう。
    次回、お披露目です。