第28話:すべてはあなたのために
「このみさん、急に違う話するんですけど」
「なんです?」
「仕事中ほんまに申しわけないんですけど、スマホ屋さんへ行ってもええですか。家に置いてきてしもうたんで」
以前の職場は、就業時間の私用も認められていた。やることをやった上で、コソコソせずに許可を求めればだが。
活喜ファームは、もっと緩いだろう。だからとあぐらをかくような真似はしたくない。
「そんなん全然ええですけど。家に忘れただけじゃのに、新しいの買うんです? 今すぐ要るんなら、取りに戻ってもええですよ」
遠慮する理由が分からない。というように、きょとんとしながらも快諾だった。「あたしのでええなら」と、彼女のスマホも貸してくれようとする。
「いや今から広島は、夜んなりますよ」
「広島?」
何やら齟齬があったらしい。彼女と同じく、僕も首をひねった。
「……ああ。家って譲さんのご実家」
「です。他に家って」
「なんでもなあです! スマホ! どっかに急用ですか」
ゴニョゴニョと声を窄めたと思えば、珍しく強引に話が進められた。伝わったようだからいいけれども。
「電話とかじゃのうて、調べたいことが。ほいでそれを文章に纏めたいんで」
「うーん? よう分かりませんけど、ネット検索とかですか。家に、活喜ファームにパソコンありますよ。プリンターも」
驚いた。今このトラックにある配送リストもそうだが、なんでも手書きだったから。
「えっ、
「ええですよ。あたしもお父さんも、たまにしか使わんので。古いですけど」
ネット検索のできる性能があるなら問題ない。
不安より、このみさんの手を取りたい気持ちが勝った。握手で「ありがとう」と言いたくて。
これで彼女のために役立てる、かもだ。
活喜ファームに戻ったのは午後二時過ぎだった。初日より二時間近くも早い。少しは慣れたんかなあと、ほくそ笑む。
すぐさま輝一さんに捕まり、苗床作りが始まったけど。
「これ、キャベツです?」
「いんにゃ。ずうっと同んなじもん作りよっても芸がなあけえ、あれこれ試す用よ。ハーブやらベニバナやら」
どうりで種の形がバラバラだ。縦も横も六マスで仕切られたプラケースに、ひと粒ずつを植える。農家というと大量生産だから、一度にざあっと蒔くのかと思っていた。
体力は使わなかったはずだが、夕食の声に立ち上がるとよろめいた。種の一つもムダにしないよう、気疲れだ。
久嬉代さんの肉じゃがを食べ、男三人でビールを飲む。順にお風呂へ入り、終わると午後八時。誰かがタイムキープするでないのに、およそ繰り返される毎日。
永遠に続けば、それはきっと楽しい。
人間やめんと無理じゃろ。と、叶わない言いわけを先にする。百パーセントができなくても、なるべく近いところへ持っていく。
そのために、これから頑張るのだ。
「パソコン、使えそうです?」
みんなが部屋へ引っ込んだ後、このみさんが戻ってきた。僕に与えられた部屋の真裏、彼女が布団をかぶっていた部屋へ。
「見よるとこですけど、大丈夫じゃと思いますよ」
茂部ストアよりは新しい型のノートパソコンが、小学生の使うような学習机に備えてあった。たぶん高級機だったのだろう、静かで力強いファンの音が心地いい。
プリンターも並んでいるが、さらに隣。高さの同じテーブルに載った機械は正体が分からない。
「これ、なんです?」
「土壌の分析機ですよ」
「ああ、例の」
およそ直方体で、角の丸まった格好。半透明のカバーがあって、変わった形のプリンターか食器乾燥機かなと思えた。
しかし、聞けばなるほど。このみさんが開けた蓋の奥に、検体を入れるらしい皿が見えた。
でも、そんなことより。
分析機の載った学習机。長く使われていないらしい、畳まれた布団。いくらか不要な物を置いてはあるが、
敬さんの。
転び出そうな声を呑み込む。分かりきったことを、いま聞いても仕方がない。
「文章作るいうて、何のです?」
顔や態度に出たかもしれない。気にした様子を見せず、このみさんは別の問いに切り替えた。ありがたく、その流れに乗らせてもらう。
「プレゼン資料、作ろう思うて」
「ええと、会議で使うやつですか。ドラマとかでしか知りませんけど」
「ですね」
およそ間違ってないはず。頷き、僕も質問をさせてもらう。
「作るのに、ちょっと教えてください。海太くんが自分の工房持ついうて、候補地いうか、どの辺りでって聞いたことあります?」
「なあですね」
だろうとは思った。すると次の質問はひと言。
「なんでです?」
「なんでって」
「こんだけ親しゅうしとったら聞くし、言うもんじゃと思うたんです。なんか事情でもあるんです? 言えんことならすんません」
海太くんのツンデレというのが僕の予想だ。聞いたことがあっても彼にうやむやにされて、なかったこととか。
半分困った笑みで、答えは「いえ」だった。
「今まで、ろくにお礼も受け取らずに来てくれよるんです。それをまた縛るようなこと、できんでしょ?」
「ああ……」
うんうん、と何度も頷きたくなった。しかし僕の狙いが間違っていないとも思う。
「そこんとこ気にせんでもええようなん作るんで、楽しみにしといてください。広告デザイナーじゃった僕の、最後の
「えっ。作るいうて、そんなことじゃったんです?」
目を丸くした彼女が、次第に柔らかく表情を緩める。「まさか」と続けただけなのは、海太くんへの遠慮に違いない。
「ていうか譲さん。デザイナーのお仕事、できんようになったいうて」
「できる思います。今なら」
自分の寂しさより、海太くんや僕の気持ちを優先してくれる。そんな彼女のために、という自分の想いを勘違いしていた。
朝早く一番に仕事を始めるのもいいけれど、独りよがりの感が強い。
僕は使える男ですよ、と褒められたいポーズに過ぎなかった。そうではなく、本当にこのみさんの望むことを。僕の気持ちや立ち位置などどうでもいい。
今、心の底から思う。
すべてはあなたのために。
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