第26話:凝る匣
喉を詰まらせたまま、茂部ストアに到着した。リストをたしかめたこのみさんが「二箱です」と軽やかに降りる。
どれだけ話さなければいけないことでも、目の前のお客さんを後回しにはできない。保留の札も飲み下し、何ごともなかった顔を作り上げた。
僕のはたぶん無表情の真顔だけど、彼女は柔らかな微笑みなのが凄い。
「まあまあ、このみちゃん! いっつもありがとうねえ。譲ちゃんも」
奥に座っていたおばあちゃんが、例によって出迎えてくれた。ちょっと薄暗く感じる店内は、先週と何も変わらず見える。
もしかして床下に歯車が隠れ、お客さんが来るとおばあちゃんが動き出す
などと失礼な妄想をするくらい、店の外と隔離された時間がここにはある。
「ねえ、このみちゃん。聞いてええかねえ?」
このみさんよりも小柄なおばあちゃんが、モジモジと袖を引っ張った。機械仕掛けとか言ってすみません、と平伏するくらい可愛らしく。
「はい、なんでも!」
「キラキラが見られんのよ。分かる?」
「えっ、おかしいねえ」
キラキラとは何か、このみさんは問い返さない。それ以上の説明もないのに、先んじて歩く。
あちこち化粧板の剥げたカウンター。ガチャガチャ、チーンと鳴る古いレジスター。おばあちゃんの座っていたほうへ行ったが、それらには目を向けない。
手が伸びたのはその隣に置かれた、十数年前の型のデスクトップパソコンだ。何もかもアナログなこの店に、なんだかアンバランスな。
しかしこのみさんは当然のようにマウスを動かし、おばあちゃんも「ほらね」なんて画面にため息を吐きかけた。
「あの、譲さん。パソコンてできます?」
「ええと、普通くらいには」
「すみません。あたし、よう分からんくて」
パソコンができるかとは、かなり不可解な質問だ。ワープロや表計算ができるかとか、本体の機械に詳しいかとか、意図するところがさっぱり分からない。
もしも機械に関してなら、お手上げだった。
「何がおかしいんです?」
画面の端が虹色になり始めた液晶ディスプレイ。何世代か前の画面配置に、一つだけウィンドウが開かれていた。
枠には、東部地区キラキラネットと表示されていて、肝心の中身は真っ白。ただしエラー表示の文章はある。
「ネットワークが検出できません?」
「ええと、これ、地域コミュニティーで。お年寄りの家には配布されとるんです」
「あー、そういう」
高齢者への支援ネットワークサービスというやつだ。話には聞くけれど、あまり触れたことがない。
「このアイコンに、必要な設定とかはされとる思うんですけど」
正面を譲ったこのみさんが、指を伸ばす。まるっとした爪の先が示すのは、キラキラという名のアイコン。
どうやら専用の
「めげてしもうたかねえ、昨日は使えよったんじゃけど」(※めげる=壊れる)
「いや、そんなこたあ……」
両手をすり合わせ、震えを堪えるおばあちゃん。そんな姿を見てはかわいそうで、壊れたと言えなかった。
設定画面を見ると、それらしい情報が残っている。昨日は使えていたなら、間違ってもないはず。
すると。当たりをつけ、パソコンの電源を落とす。カウンターの下を覗き込むと、電源やLANのケーブルがあった。
たぶんお菓子の袋のやつだろう。金と銀のモールで、きちんと括られている。
ほっこりしながら先を辿り、求める物に行き着いた。インターネットに繋ぐための終端装置だ。
ざっと眺め、スイッチを切る。そしてまた、一分ほどを待ってから入れた。
「これで行ける思うんですが」
祈る形に、両手を握る女性が二人。無言の期待が嬉しいけれど、肩に重い。
額に薄く汗をかき、パソコンの電源を入れた。のんびりした起動時間が、意地悪みたいでハラハラする。
「行きますよ。デュクシッ」
おどけた風を装い、頼むわと心の中で叫ぶ。
力を篭めたダブルクリックで、キラキラネットは……トップページを見せてくれた。
「わあ、直った直った! 譲ちゃん、凄いなあ!」
「いやそんな。えと、その、おかしいとこないです?」
適当に、コンテンツのリンクを押してみる。役場からのお知らせとか、JAの農業カレンダーとか、ローカルなものばかりだ。当たり前か。
「うん、大丈夫そうじゃね。ほんまありがと」
「地域外との触れ合い? こんなんもあるんですねえ」
お礼を貰ったのに、ちょっと気になったページも覗いてみる。個人情報とかではなさそうだし、平気と思うが。
しかし触れ合いとは名ばかりで、リンク先には何もないと言って良かった。
Uターン移住の広告とか、JAの名産品販売とか。
「へえ、カートサービスもあるんじゃ。掲示板もあるけど、誰も見とらんっぽいですねえ」
「あはは。詳しい人が
「あっ、いえ。容れ物はちゃんとしとるのに、もったいない思うただけです」
このみさんが立ち上げたでもないだろうに、恐縮された。
慌てて取り繕ったが「いえいえ」とだけで、彼女は本来の仕事に戻る。今日の分の手書きPOPだ。
——トラブルの原因は終端装置のフリーズだろう。という説明はさておき、電源のオンオフを教えてあげた。理屈は抜きで、月に一度くらいやればいいと。
もちろんキャベツの陳列も行い、茂部ストアをあとにする。
「そういえば、金曜日って。収穫とかどうするんです?」
走り始めてすぐ、聞いてみた。お宮の掃除はいいけれど、活喜ファームの通常業務はどうするのか。
人数配分によっては、このみさんを残すのもアリだ。という本音は言わない。
「どうしてもの分だけ、最低限ですねえ。たぶん、お母さんが残ってやってくれる思います」
久嬉代さんか。あわよくば、あたしも残りますと言ってほしかったが、そううまくはいかない。
「久嬉代さんだけって、しんどいんじゃないです?」
「大丈夫じゃと思いますよ。木曜に前倒しするし」
「あー」
それはそうだ、普通はそうする。完璧に納得させられ、頷いた。
いやダメだ。あんな彼女を見て、しかもさほどの日数も空けず、同じ場所へ行かせるなんて。
輝一さんが問題ないと考えているなら、実際を見ていないからだ。
言っては悪いが、たかが掃除。このみさんが居なければどうしても、という何ごともないはず。
往生際が悪いと言われても、阻止するのが最善。もとへ、阻止以外の道はない。
「うーん。そう言うても、一人より二人のほうがええことも多いぃですよ? 久嬉代さんも
「それ、お母さんに言うてもええんです? 若うないいうて」
「えっ、あっ!」
このみさんのことばかり考えて、とんでもない失言をした。
冗談めかしたのが救いだけれど、ちらと見た彼女に笑みはない。配送リストを見ているようで、どうも視線がずれている。
「どうしても、あたしを山に行かしとうなあんですね」
「いや、ええと」
「譲さんが優しいのはもう知っとるし、嬉しいです。でも、絶対に行きます」
嬉しいと言うなら、もっとそれらしい顔をしてほしい。海太くん言うところの太眉毛を怒らせた、恐い顔でなく。
茂部ストアの終端装置ばりに、僕もフリーズしそうだ。
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