第25話:呑み込めない言葉

「ようけ採れそうですけど、そんなでもないんです?」


 細長い小判みたいな、葉脈の目立つ葉っぱ。

 どれも目に良さそうな緑で、虫食いも見当たらない。さすがにイガイガも、まだないけれど。

 

「いえ、採れとりますよ。おじいちゃんの時から、加工用に出荷しとるんで。でもお兄ちゃんは、カルマグカ六二一言うて」

「カルマ——何です?」


 呪文? いや怪しげな薬品名のようでもある。


「カルシウム、マグネシウム、カリウムです。『六対二対一がええんで』って自慢げに、何億回聞いたですかね」


 傾げた首を縦に動かす。ド素人でも、土壌の成分が作物の成長を左右するくらいは知っていた。


「土のミネラル分ですねえ。そんなきっちり分かるもんなんですか」

「そうみたあです。分析の機械も持って帰って、毎日測れってお父さんに。最近は週に一回ですけど」


 シャベルを持ってきたのは、そのためらしい。自分でやると彼女は言ったが、渡さなかった。

 じゃあそこを。と指さしてもらい穴を掘る。根の近くや、木と木の中間を。

 手伝うつもりか、カンタも地面を引っ掻いた。けれどもすぐ、ゆったり寝そべった。「お年よりじゃけえ」と、首やら肩やら揉まれるのが羨ましい。


 ビニール袋を広げてもらい、ほんのひと握りの土を入れていく。一ヶ所ごと丁寧に口を閉じつつ、このみさんの手は袋越しの土を撫でる。


「ええと土壌改良、言うんでしたっけ? もの凄い大変て聞いたことあります」

「うーん。元から普通に収穫できとったんで、そこまでじゃなかった思います。でもカキ殻とか豚糞とんぷんとか、トラック何台か分からんくらい混ぜたみたあです」


 トンプン? ああ、豚の糞か。理解した次の瞬間、心の中でうわあと叫んだ。農業には付きものと理解しても、咄嗟に。


「……うん。ほんま、しんどい思います」

「ですね。混ぜるのもじゃけど、貰ってくるのも簡単じゃなあと。それも大学の伝手で、お兄ちゃんが手配したらしゅうて」

「何百キロとか、何トンとか」


 当てずっぽうに、このみさんが頷く。口に出せばひと言だが、実際にはどれだけのものか。


「何十トンかもしれんです。古うなった木も接いで、ほんまにようけえ採れるようになって。十年前と比べたら、五割増しいうてお父さんが」

「うん、ぶち凄いです」


 豚の糞ごときにビビる僕とでは、比較にもならない。噛み締めた口から、賛辞だけは素直に言えた。

 するとなぜか、このみさんも唇を引き結ぶ。


「あの、このみさん?」

「でもお兄ちゃんは知らんのです。らんようになってしもうたけえ」


 押し殺した、震える声。うらはらに彼女の身体はピクとも動かない。

 視線も凍って、どこか遠い一点に向いた。


「我がまま言わんかったらかった。最後までったら、一緒に帰れたかもしれんのに。二人でったら、どうにかできたかもしれんのに」


 声にも、眼にも。刺々しい怒気が込もる。僕にでないと分かっていても、謝りたくなるくらい。


「お兄ちゃんがったら、お父さんもお母さんも今より楽じゃのに。あたしがお兄ちゃんを——お兄ちゃんの居場所もってしもうて」


 ひと言ずつが、地面に丸太を打つようだった。伝わる振動で、僕の胸にまで罅が入ったように思う。


 このみさんは罅どころじゃないわ。

 見る間に、彼女が粉々になる気がした。自然、僕の手足が動く。


「そんなわけないじゃろ。このみさんも敬さんも、みんな運が悪かっただけじゃけえ」


 バラバラにならないよう、全身で押さえつけた。小さな身体を腕の中に収め、あなたのせいではないと。そう言うだけで精一杯だった。


「お、お兄ちゃん……!」


 上ずった女の子の声が、僕のCカップに消えていく。続けられる声もボソボソと、はっきり聞き取れない。

 しかしきっと懺悔の言葉だ。お腹を空かせたカンタが帰ろうと言い出すまで、僕は聞こえないふりでいた。




 次の日。収穫を終えた僕は、また配送のトラックを任された。もちろんと言っていいのか、助手席にはこのみさんも。

 いつも以上にいつも通りで、舌を巻く。これが彼女なりの罪滅ぼしなのだろう。そんなことは必要ないのに。


「海太くんに聞いたんですけど、独立するらしいですねえ」

「そうみたあです。会社員じゃなくなるけえ、うちへも来れんかもいうて」


 昨日とは関係のない話題を求め、海太師匠に救われた。思った通り、このみさんも知っている。


「あー、そうなったら寂しいですねえ」

「しょうがなあです。というか海太ちゃん、いっつもバカにしてくるし。あたしのほうが歳上じゃのに」

「ケンカするほど仲がええ、いうやつでしょ」


 来なければせいせいする、みたいな言い方が意外だった。けらけら笑いながらで、彼女のツンデレ要素だろうけど。


「今は会社の寮でええですけど、独立したらちゃんとご飯食べるんか。心配です、だらしなあけえ」

「そりゃあ僕も、人のこと言われんです。ええと、実家に頼るとか?」


 これくらいの耳の痛さは、「あ痛たた」と冗談で済ませられる。二十二歳なら、親に頼ってもまだまだおかしくないし。

 二十八でも脛を齧り、挙句に家出したような男も世の中には居る。


「あ、ええと。海太ちゃん、ご両親とはあんまり」

「そ、そうなんですね。すんません」


 申しわけないという顔で、言葉を選ぶこのみさん。今度は冗談でなく痛い。


「いやほんま凄いですよね、自立しとるいうか。で、実際なんでもこなすし」

「ですです。一年のうち何週間かしか来んのに、あたしよりかも」


 良かった。何年もの付き合いが、彼女を笑わせてくれる。「そこまでではないでしょ」と言っても、「そこまでではあるんです」などと冗談まで。


「あっ、そうじゃった。海太ちゃんと言えば」

「言えば?」

「金曜日に、お宮さんの掃除があるらしいんです」


 出てきたキーワードに整合性がない。見当がつかず、「はあ」と間抜けに答えた。


「毎年、持ち回りなんですけど。今年はうちも入ったみたあで、さっき出る前にお父さんが急に言うたんです」

「うっかりは、まあ。でも海太くんが関係あるんです? 手伝えいうだけなら、僕でもええんかな」


 海太くんの滞在最終日だ。そんな日に、しかも彼が活喜ファームに来るのは恩返しのため。代われるものなら代わってあげたい。


「話が早あです。お宮の修理もせんといけんので、どうしても海太ちゃんは要るんです。ほいで譲さんも行ってもらえたらええなって」

「なるほど、ええですよ。ええです言うか、行かせてください」


 土地柄、地域の行事を疎かにできないのはなんとなく分かる。海太くんは名指しで、僕も頭数として必要と言ってもらえるなら断る理由はなかった。


「ほんまかったです。お父さん、この前の会合ん時には聞いとったみたあなんです。だらしなあて、すみません」

「いえいえ全然。で、そのお宮はどこなんです? この辺ですかね」


 下る道々、もう少しで人家が見える。神社仏閣があるなら、近隣に違いない。見回しても、いかにもな原生林が広がるだけだが。


「山のてっぺんです」

「えっ?」

「山菜採りで上がった道。あれをずうっと行った、てっぺんです」


 それは。大丈夫なのか。

 すぐさま返そうとした言葉を続けて呑み込む。だが他に、なんとも言いようがない。

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