第23話:ツンデレとインキャ

「二人して、どしたん? なんか音がするなぁ思いよったけど」


 午前四時ころ、このみさんが出てきた。二トンと軽と、二台のトラックへ満載のコンテナに目を丸くする。


「知らんわいや。なんか譲さんが張り切っとって、俺は手伝てつどうただけじゃけえ」

「そうなん?」


 僕の主導、と打ち合わせもなしに海太くんの答え。すると当然、疑問の眼がこちらを向いた。


「いや、あの。僕、作業が遅いけえ。早うから始めたら、迷惑にならんかな思うて」

「ええっ? 迷惑なんて全然、十分に助かっとりますよ」


 問われたら、こう言おう。用意した答えの嘘っぽさに声が窄んだ。

 困った笑みのこのみさんは、僕と時計とに視線を往復させる。


「——うん、でも、ありがとうございます。でも、無理せんとってくださあね」


 少しの間と、いつもと同じに見える笑み。内心どうなのか、もちろん分からない。


「いえ、こちらこそ」

「なんでですか」


 僕のおかしな返事に、「あははっ」と笑ってくれたのを信じるだけだ。


 数分遅れて輝一さんも、熱いお茶を持った久嬉代さんも姿を見せた。二人とも、既に積まれたコンテナに何も言わない。冷たい早朝の風、汗の引いた身体。濃い番茶が甘く感じた。


 しかしどれだけ気張っても、収穫の技術は急に成長しない。うまくやろうとするせいで、初日よりヘタクソになった気もする。

 キャベツを切り離すのにモタモタして、硬い外葉をすっかり落としてしまった。これでは普通に食べられるところが、出荷で傷つく。


「ビビりすぎよ。何個かダメにする気で、ズバッとやってみんさい」

「えっ、そんなん……」

「ええけえ。太眉毛は置いといて、久嬉代さんより力ぁあるじゃろ」


 見ときいよ、と海太くんの手本。無造作にぐいっとキャベツを傾け、畝までこそげとる勢いで包丁を突き込む。

 持ち上げて小脇に力強く抱え、土付きの外葉ごと芯を切り落とした。何度見ても、本職の農家としか思えない手つきだ。


 そう、何度も見た。真似ようとして、ああだこうだとやっているうち、まったくの別物になる。

 だから深く考えず、彼の言う通りにしてみた。


「ダメにする気でズバッと」


 折るくらいのつもりでキャベツを傾け、暗闇に薄っすら見える根本へ包丁を入れた。うまくいくことより、一度で切り離すとだけ考えて。

 気持ちよく、ズバッとは聞こえなかった。ズズズバッと強引に押し込み、どうにか一回で仕留める。


 ダメな時は花びらの散るごとしの外葉が、しっかり残った。

 いちばん外の葉と、一つ内側の葉。その間を狙うには心眼が、必要なく。軸の太さに合わせればいい。

 理屈は分かっているのだ。ビビるなというアドバイスに従い、思いきり包丁を引く。


「で、できた」


 切り離すのに一回。外葉と芯の処理で一回。たった二回の包丁で、コンテナに入れられる。もう何十個目か数えてもないが、初めてのこと。


「お、ええな。次、どんどん行きんさい」


 褒め言葉と思えるのは、ひと言だけ。厳しい師匠に「はいっ」と応じ、次のキャベツに手を伸ばした。


「海太ちゃん?」


 低くした頭上を、固い声が飛ぶ。


「太眉毛って誰のことね」


 誰が言ったか、見定めるのも怖ろしい。それは師匠も同じのようで、問いに答えることはなかった。




 一度うまくいったからと、その後も同じにはなかなか。海太くんの言ったように失敗作も作った。

 でも確実にペースが上がり、プレハブ前へ戻ったのは午前七時過ぎ。もしゲームみたいに疲労ゲージが見えたら、きっと百パーセント増しだったけれど。


 ただ、これまでより一時間近くも早い。このみさんの助けになったかさておいても、成果があったことに気分が上向く。

 そして次は、彼女と二人での配送が待っている。気まずさもあるが、一つの空間に居られる嬉しさが勝った。昨日の件を謝るタイミングだって、きっと。


「今日は市場の人に用があるけえ、儂が行くわ」

「えっ」


 事業主に言われては、素直にキーを渡す他ない。受け取った輝一さんが、そっと肩を叩いてくれる。

 阿吽の呼吸で父娘が出発し、残るは三人。


「うち、先にお昼の準備してきてええかねえ」

「やっときます。ついでに昼寝しとってもええですよ」


 残った側の段取りを知らない僕は答えられなかった。海太くんの気安い空気が、逆に頼もしい。

 久嬉代さんも噴き出しながら「そうするわ」と。それ以上には言葉を継がず、家へ入った。


「ほいじゃ、やろうや」


 速やかに師匠の号令がかかる。また一から、JAへの出荷手順を教えてもらう。

 と言っても難しくはなかった。指定のダンボール箱を組み立て、ひと箱に八つずつ収めていくだけだ。


 横向きに、並んだ葉脈がひと筋に見えるように。

 ルールはこれだけだが、当然にキャベツを傷つけてはいけない。微妙な大きさの違いで、箱に入らないことがある。

 どうにかこうにか、僕がドヘタクソなパズルを三箱終える間に、海太くんは十箱以上も済ませていた。


 じきに久嬉代さんと、ついでにカンタが戻った。寝ぼけまなこで重役出勤の犬とは珍しい。軽トラックが満載になるころ、今度は昼寝をしていた。

 普段、JAへの搬送は、久嬉代さんが一人でやっているそうだ。今日は海太くんに、僕もくっついていく。


「そういやあ——」

なん?」


 出発してすぐ、運転席へ問いかける。ゆうべ、活喜家の長男、敬さんの件を聞いてから考えていたことを。


「聞くんじゃけど。なんで海太くん、僕をここに連れてきてくれたんかなって」

「あん? 敬さんに似とるけえ、いうて思いよるんか」

「うっ、うん……」


 思わぬ反撃に言葉が詰まる。組み立てた会話のシミュレーション的に、ステップを一つ飛び越された。


「んなわけないじゃろ、顔も知らんのに。譲さんとおんなじようなワガママボディーが、世の中にどんだける思うとるんや」

「あっ」


 言われてみれば。敬さんを思い浮かべるのに、僕のクローンみたいな人物を想定していたかもしれない。そんなはずがないのに。

 

「シバエビよ」

「シバエビ?」

「あん時。どう見ても食いたい顔しとったのに、逃げたじゃろ。なんか腹立ったんよ、俺のツレのシバエビがバカにされたみたあで」


 わいわい市場に居た、彼の同級生。あの子のためにとは海太くんらしい。そんなつもりは、まったくなかったのだけど。


「えっ。ご、ごめん」

「いや、謝りんさんなや。言いがかりなんじゃけえ」

「そうなん?」

「どういうんか、うまいこと言われんけど」


 アスファルトのひび割れから、雑草の覗く道。延々と続く下り道とカーブを軽快に飛ばす彼に、「うーん」と唸るのは似合わなく見えた。


「こう。いうて決めとるのに、その通りせんのが気に食わんかったんかなぁ。あんたの太い腹も満足するくらい、このシバエビは旨いわいうて」

「ああ、うん。海太くんらしいね」


 言わんとするところは、なんとなく分かる。頷き、改めて謝った。すると彼は首を傾げた。


「ほう? 旨いもんがうもうない思うんは、ダラダラしとるけえよ。ちったあ身体動かしゃあ、その気の弱あ、情けなあ声もしゃんとする——いうて思うたんじゃけど」


 なるほど、スッキリ謎が解けた。なぜか僕の気持ちのほうは萎みかけたが。


「う、うん。海太くんらしいわ」

「ほいでまあ、追いかけたんよ。話ぃ聞いて、危なっかしい思うて、放っとけんかった」


 最終的に、心配してくれたらしい。一人で「ほうじゃほうじゃ」と納得しているし、本心なのだろう。


「どういう理由でも、ありがたい思うとるよ。今の話ぃ聞いたら、ますますね」

「俺のこたぁええわ、自分のことだけ考えんさい。金曜までしからんのじゃけえ」


 ぶっきらぼうなのはツンデレか、本当にどうでもいいのか。考えていて聞き流しそうになったが、「ん?」と問う。


「金曜まで?」

「ああ、休みが終わるけえな」

「誰の?」

「俺の」


 金曜日までで、海太くんの休みが終わる。それはつまり、活喜ファームから彼が居なくなる。

 という理解で合っているか、検算を繰り返した。往生際悪く。

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