第四章:胸に決めまして

第22話:考えるな動け

 カンカンカンと鐘の音が。一瞬、江戸時代にタイムスリップした心地になる。

 いや大丈夫。火事は起きていないし、半鐘も鳴っていない。


 起きたのは僕自身。与えられた寝床から。

 居間で飾り物になっていた目覚まし時計は、思った以上のいい仕事をしてくれた。

 作務衣からジャージに着替えたところで、午前三時五分を指す。


 淑やかと思っていた玄関の引き戸が、とんでもないガラガラ声に聞こえた。

 ピタと動きを止め、窺う。

 うん、誰の動く気配もない。


 プレハブの灯りを点け、目の前にトラックを——しまった。エンジン音を考えていなかった。

 とは言え持ってこなければ始まらない。そっとキーを回し、なるべく抑え気味にアクセルを踏む。


 一人で積むとなると、二トン車の荷台がとんでもなく広く感じる。

 四段重ねのコンテナを、三つ横並びに。それを奥から手前まで八列積むだけのこと。


 あれこれ考える前に手を伸ばす。さっ、さっ、と動けば、あっという間に一列が載った。

 荷台へ上がり、奥へ押し込んで、またコンテナを持ち上げる。時間にして、ようやくカップラーメンが出来上がるくらい。


「ふぅっ、ふぅっ……!」


 息が切れ、垂れた汗が目に入る。身体を動かすのにも、随分と慣れたつもりでいたのに。

 二列目を終えると、明らかにスピードが落ちた。しかし構わない。今日はぶっ倒れるまで、いや倒れるのさえ堪えて働く。


 少しでも。僕が来たおかげで楽だった、と言ってもらえるように。


「一人で何しとんや」


 四列目の途中、とうとう声をかけられた。誰にも気づかれないのは無理筋と分かっていたが、あまりにも早い。


「なんや。昔話でも聞いて、頑張ろう思うたんか。単純な人じゃなあ」


 まあ海太くんは仕方がない。彼が寝起きするのは、プレハブの奥にある休憩室だ。

 鼻に引っ掛けて笑われたのも、むしろ当然。十一年も前に、僕の手は届かない。


「だって。だってよ? 僕、山菜採りとか、暢気すぎるじゃろ? このみさん、お兄さんの分まで頑張ろうとしとるのに。邪魔したみたいで、なんかせにゃあいけん思うて」


 僕は浅はかだ。それだけを言うつもりが、ボロボロと余計な言葉がこぼれる。

 ツンとした鼻を啜り、彼を見た。大きなあくびで、洗面台へ。ざぶざぶ、足下のコンクリートに水玉模様を散らした。


「このみが言うたん?」

「え?」

「山菜採りなんかしとうなかった、いうて。兄ちゃんの分まで頑張る、いうて。譲さんが埋め合わせせなあいけん、いうて」


 ゴシゴシと拭きながら、どんな顔で言ったのだろう。格好良く、パンッとタオルを鳴らした時には、またニヤリ笑っていた。


「そんなん聞いとらんよ、僕が勝手に思い込んどるだけ」

「ほしたら、そんなんしても意味なあかもなぁ」

「かもしれんね。でも、海太くんは色々聞いとるかもしれんけど。僕はなんも知らんし、できることをやるしかないじゃろ。バカにせんとってや」


 分かりきったことを言わないでほしい。なんて考えるのも八つ当たりで、目を背けた。

 事情を知った夜も明けないうち、思いつきをやっているだけ。面と向かって言われては、恥ずかしさで死にそうになる。


「輝一さんに聞いたんじゃろ? じゃったら変わらんよ、俺もこのみから聞いたこたぁなあ」


 聞こえないふりで、次のコンテナを抱えた。すると小馬鹿にした吐息が「ふっ」と、脇を抜けていく。

 すぐ、ざっと勢いよく風が巻いた。海太くんが荷台へ上がったのだ。


「バカにもしとらん。そがいに考えなしでやりよったら怪我ぁするし、体力が持たんでカッコ悪い言うとるだけよ」


 ほら、格好悪いと言った。しかしツンデレ語だとすると、違う意味になる気がした。


「どういうこと?」

「どう、言うて。譲さん、あの太眉毛に惚れてしもうたんじゃろ」


 コンテナを置いてもいいのか、迷いつつ荷台へ置く。と、海太くんが器用に体重を預ける。

 これでは続きを載せられない。それにしらばっくれても通じないだろう。意地悪さを増した笑みに仕方なく、頷いた。


「まあ、うん」

「知っとったわ。じゃけえ手伝わせぇ言いよるんよ」


 ハッとひと声、高く笑って。彼は荷台での作業を受け持ってくれた。

 プレハブからの光が、僕の背を照らすばかりで良かった。


「よろしく——お願いします」


 積み込みが終わるころ。ようやく頼んだような情けない男の赤面など、格好良くも可愛くもない。

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