第18話:バカみたいに

 午前四時に起きて、すぐの畑仕事。まぶたが重いものの、徹夜明けみたいな気だるさは昨日よりましな気がする。

 このみさんと海太くんと、予告通りに四ケース。春キャベツ三十二個の収穫をして、軽トラックで出発したのが五時。


 海太くんのをいいのかな。と思っていたら、ルームミラーにピンクのマスコットが下がっていた。

 そう思うと、車内もなんだかいい匂いに感じてくる。

 僕の運転で、無人販売所を五ヶ所。一時間ちょっとと聞いたが、戻ったのは七時過ぎ。


「すみません。自分で運転したら行けるんですけど、なんか助手席じゃと違って見えて」

「……あ、ありますね。そういうの。ね」


 ヘタクソか。フォローになっていないフォローしかできないまま、午前十時に再度の集合となった。


「で、なんで俺まで呼ばれたん?」


 きっかりに玄関を出ると、このみさんと並んで海太くんも居た。

 朝の作業は予定にあったが、山菜採りは初耳だというらしい。突然の誘いに首を傾げている。


「え。海太ちゃん、山菜好きよね?」

「いや、好きじゃけど。譲さんが、このみと一緒に行く言うたんじゃないんか」


 その通り、と頷くこのみさん。すると海太くんの首がますます傾いた。


「なんでや」

「なんでって、行くの嫌なん?」

「嫌じゃなあけど」


 物申したげな目が僕に向く。しかし実際の声にはならず、やがてため息になった。


「はあ、まあええ。ほれまで言うんなら行くわ」

「ほんま? かった。譲さんがね、海太くんも一緒にいうて」


 わあっと拍手をしながら、このみさんは続けた。聞いてまた、海太くんの目が僕に。今度は憐れむような、蔑むような。


「え、なん?」


 平たく言えばバカにされている気がして、問う。


「いや。譲さんて、エラいなぁ思うただけよ」

「偉い?」

「うん、バカみたあにエラい」

「あ、ありがと」


 どういう意味だか、脈絡がよく分からない。でも褒められたのは間違いないと思って、愛想笑いでごまかした。


「二十分くらい歩くけど、大丈夫です?」


 出発してまず聞かれた。山道だから、という以外に理由がもう一つある。

 愛車のバーディーを僕が押しているからだ。


「舗装されてなあですけど、乗って行ける思いますよ?」

「いやでも僕だけ楽するのはズルいいうか、仲間はずれみたいで悲しいいうか」


 バイクを持っていけと言ったのは海太くんだ。その時点で自分だけ楽を、と同じことを返したけれど、そうではないと。

 他に理由がある、というだけで解答は教えてもらえなかった。


「あっ、その気持ち分かります。でもほんま、気にせんでええですよ」


 スーパーに用意されているようなカゴを手に、このみさんは首肯を繰り返す。

 あんなに採れるのかという驚きと、それだけ採ってやろうという気概に感心するのと。あれこれ思ううち、バーディーが重くなってきた。


 イチゴのハウスを過ぎ、整然と植えられた木々の中を抜け、どうやら自然の森に入ったからだ。

 歩くにはまったくつらくない傾斜だが、原付と言えど八十キロの重量を押すには苦しい。


 雑草と大きな木とが渾然一体。軽トラックならどうにか通れるかな、という道幅の左右にせり出す。

 姿は見えないけれど、ピチピチと鳥の声がうるさいくらいで、時にのんびりとウグイスも唄う。


「譲さん、しんどいなら無理せんでくださあね」


 振り返り、何歩分か遅れた僕を待ってくれる。心配そうな顔の彼女に、汗をかいたみっともない姿を見せるのは恥ずかしい。

 しかしムキになるでもなく別の理由で、バーディーを走らせないと決めていた。


「あ、ありがとうございます。じゃけどここでエンジンかけたら、びっくりさすかな思うけえ」

「びっくり?」


 追いつき、顔と首の汗を拭った。

 このみさんはその間、探るように辺りを見回す。僕と彼女以外、たとえば海太くんは三十歩ほども先を進む。


 ジャージの胸をパタパタ動かし、風を送る。そうしながら、木々の合間を僕も探した。

 でもやはり、唄い手の姿は見つからない。


「気持ちよう、鳴きよるでしょ」

「ああ——!」


 一瞬、考えて。合点のいった様子で、彼女は笑った。ぱあっと、足元に咲く小さな花みたいに。


「これ、綺麗ですねえ。花屋さんにもありそうな」


 細く白い花びらの、真ん中が黄色の、菊に似た花。たくさん生えているので、一つ摘んでみた。

 小さなひまわりにも思えて、このみさんぽいなと改めて思う。


「ええと、ハルジオンですねえ。街でもたまに生えとるでしょ」

「えっ、そうです? 全然知らんかった」

「それだけ忙しうしよった、いうことでしょ。ゆっくりしてください」


 街路樹のほとりにでもあるのだろうか。根本の花どころか、会社の目の前の木さえどんな形か覚えていない。


「あ、海太ちゃんがイライラしよります」


 言われて、暗い記憶から現実に戻った。見ればたしかに、わざとらしく腕組みの男がこちらを見下ろしている。


「うわ、怒られる」


 ハルジオンをバーディーの前カゴに置き、緩い傾斜をまた進み始めた。

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