第17話:このみの居場所

 山菜採り、ええなあ。

 新たなことを自分から始めるのは、ハードルが高い。でも初めてへの期待は僕にもある。先生まで居てくれるなら、なおさら。


 しかしそれには、このみさんに頼まなければ。

 私用で女性に付き添ってもらう、のも初めてだ。いつ、どう言おうか。悩むうち、午後八時を回った。


 居間でテレビの前に座る僕以外は、とっくに寝室へ引っ込んだ。番組は獣害についてらしいが、右から左。

 まだ間に合う。が、あと一時間もすればみんな眠ってしまう。


 結局は妙案もないまま、階段を昇った。向かい合わせの一方が彼女の部屋で、遠慮なく来ていいと言われている。

 やましいことは何もない。けれども心臓が耳もとへ移動したみたいに、ドクドクうるさかった。


 襖って、ノックするもんなんか?

 どうでもいい言いわけで深呼吸の時間を稼ぎ、近くの柱をコンコン叩く。 


 ——返事がない。

 想定外だ。覚悟を決めさえすれば、ニコニコしたこのみさんが顔を出してくれるはず。山菜採りに行こうと言えば、二つ返事で請け負ってくれると思ったのに。


 もう寝たんか? それともトイレ?

 居留守の可能性は考えないようにした。トイレの選択肢も、おそらくない。

 山の夜は静かで、古い廊下の軋みはかなり響く。耳をすましても、なにも聞こえなかった。襖の向こうの寝息もだ。


 では台所か。寝る前になって、口が寂しいのはよくある。良くないと自分を叱りつつ、ついついアイスクリームを食べるのが僕だ。


 なんにしても、部屋に居るのかは確定させるべきだった。探し回ったあげく、部屋に居ましたでは冗談にもならない。

 ほんの三センチ、襖を動かして覗き見ればいい。動く気配もないから、着替え中でもないはず。


「よし」


 唾を飲み込み、いざ——階段を下りた。やはり勝手に部屋を覗くのはダメだ。


 下りてすぐに台所の戸がある。ただ十字模様のガラス越しに、灯りが見えない。念の為、中を探してもやはり。

 じゃあ。

 気の進まない可能性を潰しに向かう。また居間の前を通り、僕の泊まる部屋を過ぎ、回り縁を折れた先に見えるのがトイレ。


「んん?」


 ここも暗い。まさか外へは出ていないと思うが、どこへ。もちろん彼女も立派に大人で、どうしていようと僕が何を言うこともないのだけど。


 今回は諦めえ、いうことか。

 なんだかストーカーになった気がして、自分の部屋へ戻ろうと向きを変えた。

 すると、流れた視界に光が走る。

 目を凝らせば、回り縁の突き当たり。納戸と聞いた部屋から、灯りが漏れていた。


「お邪魔します」


 ほんの数秒。気配を窺っただけで、布のこすれる音がした。

 誰かが居るのは間違いなく、それなら堂々と声をかけられる。万が一、泥棒かもしれないのだ。


「あれ、どうしたんです?」


 明々とした畳敷きの部屋。広そうだが、古いタンスや大きな掃除機などが収められた結果として狭い。

 その真ん中、シーツのかからない布団に包まって座った女の子が居る。


「どう——いや、このみさんに頼みたいことがあって」

「なんです? なんでも言うてください」


 部屋に入ってすぐ、立ったままの僕に。いつも以上にはきはきと、平然に微笑んで見えた。

 でも布団からゆっくり離れ、何食わぬ風で畳む。ほっぺたが赤いのは、たぶん気のせいでない。


「あの、ええと、すんません。山菜採るの得意いうて聞いたんです、このみさんが」

「得意いうほどじゃなあですけど。行きたあんです?」


 本当に頼みごとがあって、安心したのかもしれない。このみさんの笑みから硬さが薄らいだ。


「できれば。明日、他に何も用事がのうて、持て余すくらいなら僕に付き合ってやってもええいうくらい、このみさんが暇なら」

「なんでそこまで」


 あははっ、と声を上げて彼女が笑った。可愛いのはもちろん、とても似合うと思う。


「ええですよ。朝のうち、ちょっとドライブに連れていってもらえたら」

「朝って、いつごろです?」

「四時起きで、四ケースくらい収穫です」


 どこへ持っていくか知らないが、農家の仕事らしい。それなら交換条件でなくとも否はなかった。


「そんなん、なんぼでも」

「決まりです」


 話がつけば、これ以上にプライベートタイムを邪魔しない。来た時と同じく「お邪魔しました」と、静かに部屋を後退りで出ようとした。


「あの、譲さん」

「はい?」


 僕の瞳の真ん中で、向き合っていた視線が逸らされた。彼女が俯いたから。

 なんだろう? と思うものの、黙って待つ。やがてじわじわ、またこちらへ戻ってきた。

 少し上目遣いで、もう一度「あの」と。


「なんでしょう。なんでも言うてください」


 狙ったわけでなく、さっきの彼女の真似になった。たぶんそれで笑ってくれて、このみさんは自分の唇に人さし指を当てる。

 内緒、と。


「んーと。あれ、このみさんはどこるんかなぁ。明日、山菜採り行きたいのに」


 急な記憶喪失みたいなことを言い、そのまま襖を閉めた。

 閉じきる寸前、隙間から頭を下げる姿が見えた。これももちろん、僕は覚えていない。

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