第14話:つかれを湯に流し

 農家の前に、イラストレーターだったのか。十一年前というと、このみさんは中学生。そんなころから?

 少ないキーワードに悩んでいると、クスクス笑われた。


「もしかして、お仕事で描いたと思うてます?」

「いやだって。じゃないと市場の看板なんか」

「コンテストがあったんです。地元の高校生までが参加できるいう」

「ああ――」


 そもそも商業的意図を二の次に作られた物だった。という発想はなく、大いに納得した。

 と同時に、ほっとする。「あり得んじゃろ」とまで酷評した、第一印象をごまかして言ったことに。


「家族みんなに褒められて、投票で最優秀に選ばれて、嬉しかったです。今から思うと、市場の人らが入れてくれたんじゃろうなって。ズルしたみたぁで心苦しいですけど」


 緩い弧の続く、土手の道。数十センチの隣でも、なかなか視線を向けられない。まっすぐになってほんの一瞬、呆れたように自嘲気味のこのみさんが見えた。


「ズルってことは。もしほんまに、あそこの人たちがみんな投票したけえって、それだけで優勝にならんでしょ」

「と思います。なんとなあ、気分の問題です」


 ケチがついたということだろう、その心境はなんとなく分かる。


「でもまあ、ほいで絵ぇ描くのが得意なんですねえ」

「キャベツに見えんのに?」


 茂部ストアで描いたイラスト。他の幾つかの店でも、ピクトグラムめいたキャラクターを挿し込んでいた。

 絵画的な巧拙はともかく、親しみの持てるPOP表示になったのは間違いない。


「いやキャベツ……じゃったでひゅ」

「舌が回ってなあです」


 口ごもった上に、噛んだ。拗ねた口調で責められたが、笑いながらだった。


「得意じゃなあですよ。よう家でもお絵かきしよったけど、あれから描いてなあですし」

「そうなんじゃ、もったいないですねえ。地元の常連さんが来るような店なら、かなりええ広告じゃ思いますよ」


 田舎でも販売競争はある。全国チェーンのスーパーだって、たくさん見かけた。

 このみさんのイラストだけで趨勢を左右できないが、だからやらなくていいとはならない。練習を重ねれば、影響度も増す。


「ですか? ありがとうございます。すみません、無理に褒めてもろうて」

「無理しとらんですって」


 気持ちよく「あはは」と笑う彼女は可愛いが、誤解があってはつらい。

 しかしさっき口ごもったのを払拭するには、どう言ったものか。そこのところの案が浮かばなかった。


「あの、ほんまに」

「大丈夫ですよ、分かっとります。なんか譲さんには、言わんでええことまで言うてしまいます。優しいけえ、ですかね?」


 合間合間、わざとらしいくらいに笑いながら言われても喜んでいいのやら。「うんまあ」みたいに曖昧に答え、やがて僕達は活喜ファームに帰り着いた。


 トラックを下りるなり、カンタがこのみさんに飛びつく。僕など存在にも気づかれていない感じで、「譲さんにもお帰りなさいしぃ」と言ってもらった。

 もちろんカンタが、僕に愛想を振りまいてはくれない。


 寂しくコンテナを片付けると、もう午後四時だ。終わるまで待っていたみたいに、台所の窓がガラッと開く。


「譲さん、お風呂入っちゃって」


 顔を覗かせ、無邪気に手を振る久嬉代さん。母娘揃って、どうしてこう……

 ありがたく風呂場へ向かうのに、台所を横切る。するとまた久嬉代さんに呼び止められた。


「なんかないか思うたら、ちょうどええのがあったんよ」


 手渡されたのは紺色の服。広げてみると、長袖の作務衣だ。しかもまた、僕の丈にちょうどの。

 風呂上がりに寝間着として使えというらしい。


 着替えのない僕が断る理由はなかった。頭を下げ、広い風呂を独り占めにする。

 地面をそのまま固めたような洗い場と、ごろごろとした石で作られた岩風呂。しっかり身体を洗ってからでも、浸かれば湯が染み入るように温かい。


 湯船だけで、おそらく三畳近くもある。光熱費が大変そうだなと世知辛く考えつつ、別のことも頭に浮かぶ。

 今日という日を過ごし、湯気の中にこのみさんの見える気がした。


 常に楽しそうで、僕を笑わせてもくれて。方向オンチは愛嬌というやつだ。僕が運転するのなら、問題ないし。

 春が終わり、夏、秋。冬の農家はどうしているのか。彼女と、輝一さん、久嬉代さん。活喜家に混ざって、僕の居る風景が目に浮かぶ。


 って、いつまでる気や。

 誰かに知られれば赤面するしかない妄想を、顔を洗うのと一緒に溶かす。

 と、心地いい湯の中へ肥えた腹が揺れる。


「こんなんダメじゃろ」


 何が、とは自分でよく分かっていた。招かれざる客でもあるし、高望みはしないに限る。

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