第13話:胸軋む気持ち
帰路。活喜ファームまで、海太くんが走ったのと同じルートを辿った。あれが一時間半くらいかかったのを思うと、今日の帰りは夕方になる。
「すんません、遅うなってしもうたですね。僕の手が遅いけえ」
助手席のこのみさんが、整理していた伝票を封筒へ収めた。
見計らい、一日分の謝罪を口にする。配送先を一つ終えるたびに言いたかったが、それは彼女を気まずくさせるだろうと遠慮していた。
「いえそんな、助かったですよ。譲さんが言うてくれたみたあに、お父さん残ったほうが色々進むし」
「ほいでも、この一回だけ謝らせてください」
僕がコンテナを運ぶ能力は、輝一さんの三割にも及ばない。だから帰宅時間だけでなく、体力的にも負担をかけたはず。
それなのに彼女は「ええのに」と笑ってくれる。
「しかしほんま、このみさん。今すぐでも跡継ぎになれますねえ」
「え。また、内緒言うんでしょ」
そんな冗談も言ったのだった。ぷいっと外を向いたこのみさんだが、窓に映る顔は嬉しそうだ。
「いや、ほら。キャベツの値段、さっさっと付けていったでしょ。あれとか僕にはできんですよ、金額のリストを用意されとっても」
「そうでもなあです。今日の相場はお父さんに聞いてきたし、他の出品者さんの額も参考にするし」
手で重さを比較し、目で大きさと品質の差を見定める。素人の傍目でもそれは分かるが、八十個と言わず十個でも、順列を決める自信はない。
「いちばん安いのと高いので、六十円
「です。農協さんに出すのを、なるべく揃うたのにするけえ。あと春キャベツは、一年でも相場が
やはり事情をよく理解している。そう思うのは、僕が農家の子でないからかも。
けれど門前の小僧がなんとやらで、すぐに慣れるとも思えなかった。たとえば僕が、五年もやったとして。
「ほんまお父さんなんか、秤の機械も要らんくらい正確なですよ。あたしのは真似ごと」
「でも任してもろうとるんじゃけえ」
「ですねえ」
およそ活喜ファームの方角を見つめるのは偶然か、輝一さんへの尊敬がそうさせるのか。
どちらにしても、遠慮気味に笑むこのみさんが僕には眩しい。
「——キャベツの値段って、重さでキロごとにいくらか。一ケース、八個でいくらか。どっちかで決められるんですよ」
「はあ、卸し先で違うんですね」
「です。でもほしたら、一個いくらで買う人は損するかもしれんですよね」
急に何を言い出したか、すぐには分からなかった。「ええと」と考える時間を貰い、スーパーのことかと思い至る。
「あー。その売り場の平均より、ええキャベツじゃったら得するいうことですね」
当然に平均より落ちるキャベツなら、損をしたことになる。そこまで考えるほど、同じ売り場で違いがあるとは思わないけれども。
「ですです。せっかく活喜ファームのキャベツを食べてもらえるんなら、公平がええと思いません? みんなタダにできればですけど、そうもいかんですし」
もちろんだ。どんな商売でもそこは変わらない。基本のキとも言えないようなことを言って、このみさんはため息を吐く。
「そこがいちばん難しいです」
本当に困った、という声。カーブが続き、盗み見るのもなかなかできなかった。
何かの冗談か。次に目を合わすと、また笑い飛ばされるのかも。
それでもいいから、早く真意を知りたい。焦った気持ちで数百メートルを進んだ。
やっと。しばらくぶりの赤信号に捕まり、顔を真横に向ける。
「このみさん、深いこと色々考えとるんですね」
「これも受け売りです」
笑っていた。予想通り、ではまったくなく。ちょっと悲しそうとも思うくらい、困った顔で。
するとなぜか、僕の胸がぎゅっと軋んだ。喉の奥で息が詰まり、それを苦しいとも思わない。
「青です」
「あっ」
言われて慌てて、トラックを進ませた。いつものけらけらと楽しげな声が嬉しいけれど、名残惜しいような気分にもなる。
「ところで譲さん」
「なんです?」
「わいわい市場の看板って、見たです?」
再び唐突に話の向きが変わった。蒸し返したところで、言うべきことも見当たらないが。
「エビとカレイの?」
「それです」
「見たですよ。最初、あの看板が面白いな思うて、あそこへ行ったんで」
話しつつ、運転もきちんとしつつ、ちらちらと助手席の様子を窺う。
いまだ残しているミルクコーヒーを飲みながら、もう特段に違った感じはない。
「面白いんです? ヘタクソ思うたんじゃないんですか。絵が」
「ヘタじゃないですねえ。一見の観光客を呼ぼうっていうには、合わんと思いましたけど。ああいう絵で年賀状とか
「ですか」
不満? なにやら意味ありげな、切れ切れの言い方。なんだろうと考える前に、このみさんは「良かった」と小さく噴き出す。
今度は楽しそうで、こちらこそ良かっただ。
「あれ、あたしが描いたんです」
「えっ?」
「十一年前ですけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます