第11話:跡継ぎと職人と

 茂部ストアの次は、聞かない名前のスーパーだった。たぶん地元の、家族経営という雰囲気の。

 その次は道の駅。さらに小さな商店を挟み、またローカルなスーパー。


「おっ。このみちゃん、今日も元気ええなぁ」


 と。どこへ行っても、まずはこのみさんの名が呼ばれる。活喜さんとか、活喜ファームさんではなく。


「愛されとりますねえ。みんな、このみさんのファンみたいじゃ」

「あはは、そんなんじゃなあです。こまいころから、ようお父さんにくっついて来とったけえ」

「ああ、それで」


 広いトラックの座席に、幼いこのみさんが良い子に座る。とたとたと降りてきた子が伝票を突き出し、サインくださいなんて言ったとしたら。

 想像するだけで、ハンドルをバシバシ叩きたいほど可愛らしい。


「じゃあ輝一さん。このみさんが手伝えるようになって、楽んなったですねえ」

「あ――いえ。一人の時もあったけど、他に手伝てつどうてくれる人がったり」


 なるほどと頷く。たしかにどの搬入先も、台車を使えないところばかりだった。体力面以前に、二倍の時間がかかってしまう。


「じゃあこの座席シートに、その人と三人でちょうどええですね」

「ですね、まあ……」


 大人が三人では窮屈な幅。その反対端で、このみさんの声が調子を落とす。

 まずいことを言っただろうか。あせったけれど、彼女が地図を取り出してほっとした。


「ちょっとトイレ行きたいんで、コンビニ寄ります」

「えっ、さっきも」

「ほんまに行きたいんです、そろそろ喉も乾いたし」


 僕がハンドルを回すのと同じに、このみさんは地図を回転させる。

 なんでも卒なくこなす人と思ったが、意外な弱点のあるものだ。まあ自分で運転しない道は、なかなか覚えられないのも分かる。


 一応トイレに入ってみたが、ほとんど出なかった。このみさんの好みが分からず、温かいミルクティーとミルクコーヒーを買って戻った。


「どっちがええです? 僕はどっちも好きなんで、遠慮せんでええですよ」

「す、すみません。じゃあこっち」


 おずおずと。しかし断ることなく、ミルクコーヒーを取ってくれた。ただしカップホルダーに直行して、まだ地図との格闘が終わらない。

 配送時間は決まっていないらしいので、僕も急かす理由がなかった。幸いにエンジンをかけなくとも、暑くも寒くもない気温だ。


「お、お待たせです」

「もう分かりました? さすが」

「お世辞はええです」


 ぷうっと膨れ、怒ったふり。それで照れ隠しになるのなら、もっとやってくれと言いたい。


「あの、聞いてもかったらですけど」

「なんです?」

「このみさんて、幾つです? 海太くんと同じですかね」


 女の子の歳を聞く罪悪感を、あくまで比較のためとごまかした。と言っても彼の年齢も知らないが。


「全然ええですよ、二十五です。海太ちゃんとはちょうど入れ替わりですねえ」

「入れ替わり?」

「ええと、中学とか高校とか」


 すると二十二歳。僕と同い年ではないと思う。


「ああ。じゃあ僕とこのみさんもです」

「二十八ですか、ほんまにお兄ちゃんですねえ。でも末っ子が海太ちゃんじゃと、譲さんが困りますね」


 両手でミルクコーヒーを持ち、クスクス。見た目にはそうでもないが、年齢を聞くとお姉さん風が吹いて感じる。


「二人ともしっかりしとって、僕が困らせそうです」


 というか、現実に今がそうだ。言ってから気づいて、一人で勝手に気まずくなった。


「いや。歳を聞いたんも、それなんです。このみさんは完全に、活喜ファームの跡継ぎって感じじゃし。海太くんも僕みたいなんを拾うてくれて、なんの仕事か知らんですけど、バリバリやっとるんじゃろうなって」


 言いわけじみた。誓って、二人ともを称えただけなのに。彼女の笑顔が、難しげな思案顔へと変わる。

 今の発言はなかったことに。というひみつ道具は、二十二世紀に開発されたのだったか。できるなら、今ここに欲しい。


「うーん……」

「あっ、すんません。アラサーのおっさんが、ひがんどるみたいですね。でもそうじゃのうて」

「えっ? そんなこと思うてなあですよ。アラサー言うたら、あたしもじゃし」


 なにを言ってるんだとばかり。不思議そうに目を丸くする、このみさん。次いでけらけらと、楽しげに笑い飛ばす。

 どうやら、ひみつ道具は不要らしい。


「海太ちゃんはええと、あそことか」


 府中市内最後の配送先を終え、福山市へ進路を向けた。走る国道の随分と先を、女の子らしい柔らかそうな指がさす。


「府中家具? 家具職人?」

「です」


 あえて目を逸らしたが、鼻の穴を膨らましていたかもしれない。このみさんは自慢げに頷き、家具の販売所を目で追った。

 たぶん全国的にも有名なはずの、高級家具。通り過ぎた販売所も、三、四階建ての大きなものだ。

 思い返せばたしかに、職人だと言っていた。


「手に職があるいうて、やっぱり凄いですねえ」

「譲さんもでしょ? デザイナーさんも職人さんの仲間じゃし」

「いや僕は——」


 さっきの今で、ネガティブな言葉を吐くことはしない。けれども職人さんの仲間などと、事実とかけ離れた煽てでは木にも登れない。


「あたしも全然、跡継ぎにはほど遠いです。できんことばっかりで」

「大丈夫ですよ。たった一日、もまだ見とらんですけど。輝一さんが『もう勘弁してくれ』言うには、まだまだ時間あるし」


 彼女はじっと、自分の手のひらを見つめた。なにがあるのか、握って開いてを繰り返しながら。

 少しの間、返事も忘れた風に。信号待ちの二回目で、ふと。「あははっ」なんて笑ってごまかした。


「お仕事。上手うもういかんかったの、悔しい思います。何がいけんかったか、あたしには想像もつかんですけど。辞めるしかないこともある思います」


 このみさんは、今度は僕を見つめる。運転中と言え、前を向いたままなのが申しわけないくらい。


「でも失敗って、無理に取り返さんでもええんじゃないですか。別のことで、これでええってなれば。そんなんもできんような、取り返しのつかん失敗だけせんかったら」


 僕の中心へ染み入る、不気味なくらいに説得力のある声。トラックの威勢のいいエンジンが、遠く彼方へ行った気がした。

 何も言えず、繰り返しに頷くしかできることがない。


「——あ。すみません、生意気なこと言うて」

「生意気じゃないです。ほんま、その通りじゃと思います」


 力のない、自嘲気味の笑いが微かに。

 恐縮しているのなら、必要ない。本当に彼女の言う通りなのだから。

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