第9話:ツンデレ
遠い東の尾根に、オレンジの灯が輝いた。墨色の中、色濃く。
山火事か。ならば大ごとで、海太くんにも知らせなければ。
その前にもう一度、よくよく眺めた。ほんの少しずつ、炎の色が広がる。
それは空へ。夜の色を喰い、紫から青に。同様にオレンジも、レモンの色に転じていった。
「譲さんは初めて見るんか。ありゃあ、太陽いうんで?」
四つ重ねたコンテナを抱え、海太くんが皮肉げに笑う。見惚れていないで働けと言うのだ、至極ごもっとも。
軽トラックへ走り、コンテナを取る。僕の長い腕でちょうど抱えられる、樹脂製の大きな箱。
一つなら、なんてことはない重さ。四つ重ねると、子供には無理かなと思う。おまけに視界も、コンテナの格子越しになる。ふかふかの畑を歩くのは、なかなかのアクティビティーと言えた。
「無理すな。下手すりゃあ、
往復で戻った海太くんが、ありがたい忠告をくれる。次からは三つに減らした。
大きなほうのトラックも合わせ、コンテナは百二十六箱もあった。キャベツピラミッドの周りへ適当にばらまき、また詰める作業の教えを乞う。
「ひと箱に八個詰めるけえなぁ」
大きさは気にせず、とにかく傷つけないように。ただし大きいキャベツばかりを選ぶと、入らないことがある。
白く明るくなった太陽のおかげで、トラックのライトは要らなくなった。が、海太くんの手早さはおかしい。
大きさの違いなんて、僕には誤差の範囲としか見えない。それなのにやり直しが一度もないとは。
百二十六かける八は、千と八個。これから詰める実物が目の前へあるのに、想像が追いつかない。
目まいがしそうなのをなかったことに、集中した。これも中腰の姿勢が続き、痛みが尋常でないのも無視だ。
「ほいじゃ、運ぶで」
「了解です、先生」
「師匠のほうがええな」
「はい、師匠」
僕はともかく、海太師匠の詰め込み速度が素晴らしかった。およそ七割ほどもコンテナを使っただろう、たくさんあったピラミッドが姿を消す。
空がすっかりと、よく知る朝の色になった。冷え冷えした風もちょっとぬるくなり、汗びっしょりの身体に心地いい。
「よっ、と」
二段重ねのコンテナを、海太師匠が軽々と持ち上げる。今度はトラックまでの移動だ。
そのままいつもの速度で、彼は楽々と歩く。残された僕は、唾を飲み込む。
二箱を重ねてみた。その時点で、ひと箱でもかなりの重量と分かる。
無茶は承知、持ち上げを試みた。
「くぅっ……!」
いや無理。本当に。
持ち上げることは、きっとできた。だがキャベツを傷つけず、自分も転ばずにという自信がゼロ。
これは誰かの口へ入る食べ物で、活喜家の商売道具だ。おとなしく、ひと箱だけを抱えて運ぶ。
行き違う海太師匠も、ちらと見るだけで何も言わない。
安堵して、トラックのところへ。運ばれたコンテナが、脇の地面にある。並べて置き、すぐにコンテナの山へ戻る。
二人で三十箱くらいを運んだところで、このみさんがやって来た。見ると輝一さん夫婦も立ち上がり、思いきり伸びをした。
「収穫は終わったんです? お疲れさまでした」
「え? ええ。でも、お疲れは譲さんじゃなあですか。さっきもでぇれぇ、しんどそうじゃったのに」
「あはは、まあ。でも海太くんもやっとるし」
首に巻いたタオルから、絞らなくても汗がしたたる。そんな姿を見られて、つらくないと言っても通じるはずがない。
けれども強がって笑うくらいは、まだできた。
「海太ちゃんが手伝ってくれるの、もう五年目じゃし。同じには無理ですよ?」
「ああ、ベテランさんなんじゃ」
「ですです。力とかじゃのうて、コツも要るし」
太い眉を中央に寄せ、全身で心配と言ってくれるこのみさん。
こうして話すのもコンテナを支えに、切れた息が戻らないのでは無理もないけれど。
「ありがとうございます。でも、張り
何の作業でも体力的にはきつい。ただ、腰を真っすぐにできる分、つらさの方向性が違った。
「海太ちゃんが?」
そんな気遣いをするだろうか。という風なこのみさんの目が、当の彼に向く。
「海太くんはアレです。ツンデレいうやつ」
「あはははは。そうかもですねぇ」
思いの外の爆笑。大きな口で、声を抑えようともせず、このみさんは笑う。
残る三人が一斉に、怪訝な顔を向けた。僕も驚いたけど、ウケたのは何より。気持ちの軽くなったところで、コンテナを抱える。
「なんかあったんか?」
「なんでもない。ふふふっ」
海太くんの問いをごまかしても、このみさんの笑いはなかなか止まらなかった。
それでも彼女は、ひょいと二箱を持ち上げる。ぽかんと立ち止まった僕の前を、クスクス笑いながら危なげなく歩いていった。
収穫を終え、プレハブ前へ戻ったのは午前八時過ぎ。二台のトラックに満載のキャベツは、壮観を通り越して圧迫感が凄い。
「ほしたら、行ってこうかなぁ」
久嬉代さん手作りのおにぎりを頬張って、輝一さんは大きなほうのトラックへ乗り込もうとした。同じく両手におにぎりを持ち、このみさんも助手席側へ回る。
おにぎりの具は塩こんぶで、塩気が全身を駆け巡るみたいにうまい。
「どこ行くんです?」
「市場やら、道の駅やらよ」
「JAじゃないんですねえ」
呼び止めるから、また食べてしまうじゃないか。とでも言うようにもごもご唸りつつ、輝一さんは答えてくれる。
「農協は近ぁけえ、そっちよ。ケースにも入れにゃいけんし」
そっちとは、軽トラックのキャベツ、プレハブの中に積まれたダンボールの束。
示した輝一さんの指が、さっきまで居た畑のほうへも向く。
「また穫らにゃいけんし」
「えっ、まだ足らんのです?」
「足らんいうか、出せる時に出さんとなぁ」
「ああ……」
考えてみれば、愚問だった。畑にあるからと、キャベツがいつまでも食べ頃ではない。
「あっ、じゃあ僕が行きます? 僕より輝一さんが
「そりゃありがたぁが、二トンで?」
良かった。輝一さんでなければダメということはないようだ。
さらに二トン車の運転にも問題はない。
「何かと便利だったんで、中型の免許は持っとるんです」
「へえ。ほいじゃ頼むわ」
収穫した作物をお金に替える。重要な工程を、いとも簡単に頼むと。
言い出したのは僕だが、責任にぶるっと震えた。
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