第6話:犬か熊か

「収穫って」


 どうにも泳ぐ目を、海太くんへ。彼は手際よく、バーディーを荷台から降ろしてくれていた。


「言うた通りじゃろ? 俺は元々、手伝いに来る予定言うたし。身体ぁ動かしたら、よう寝られるし」

「あー……」


 ニヤッと。道中で見たより、随分とイタズラっぽい笑み。

 やれやれ、うまいこと嵌められた。ため息が出るものの、さほどの重たさはない。畑仕事なんて、小学校の体験学習以来。やってみれば楽しいかもだ。


「あの、何かまずかったです?」


 化粧けのない、このみさんの太い眉尻が下がる。僕は慌てて手を振って見せた。


「いや全然。聞いた通りいうて、確認しよっただけです」

「ほんまにです?」

「ええ、ほんまに」

「ならかった」


 胸に手を当てたものの、まだ疑う空気が彼女に残る。

 何か別の話題を——探すと、すぐ足元。


「これ、シュナウザー言うんでしたっけ?」


 このみさんの脚にぴったり寄り添い、地面へお腹をつけた真っ黒い犬。

 くるくる巻いた長い毛で全身が覆われ、人間なら眉や口ひげに当たる部分が特に。モサッとした姿は、若くてもおじいちゃんぽい。


「そうです! よう知ってますねえ」

「前の仕事で、犬とか猫には世話になったんで」

「お仕事?」

「看板屋です。よう、モチーフになるんです」


 案として言われるだけで最終稿に残るのは少なかったが、それは言うまい。「へえ」と、感心してくれたみたいだから。


 犬のほうも、自分の話題になったと分かるらしい。あさってを向いていたのが飼い主を見上げ、「へっへっ」と何やら話しかけた。

 彼女も答え、首すじを撫でるのにしゃがんだ。そうすると小柄なこのみさんより、犬のほうが大きく見える。


かったねえ、カンタ。あんたのこと、詳しいんじゃって」

「え、カンタ?」

「ええ、カンタ」


 女の子と愛犬の、仲睦まじい会話に割り込んでしまった。その名を耳にしたのが、初めてでなかったから。


「ああ、海太ちゃんが言うとったですねえ。譲さんとカンタが似とるって」

「で、ですね。あははっ」


 察した風の、このみさんも噴き出す。

 正確には「カンタと似たおっさん」と言われた。僕自身、おじいちゃんぽいと評するこの犬を引き合いにだ。


「そんなことなあですよねえ。この子もう、おじいちゃんじゃし」

「あら、そうなんじゃ」

「ええ。拾った子じゃけえ、だいたいじゃけど。もう十五歳くらいで」


 ほんまにおじいちゃんなんかい。

 さすがに心の中でくらい、ツッコまずにいられなかった。しかし寂しげに言うこのみさんを前に、態度には出さない。


「まだまだ元気そうなけど」

「ええ、そう。食いしん坊で困るくらい」

「そりゃええわ。僕も食いしん坊じゃけえ、ますます似とることになるけど」

「そうなんです?」


 丸い自分の腹を、ぽんぽん叩く。と、また笑ってくれた。笑ってはいけないと思ったのか、口を完全に隠して。


「で、でも」

「でも?」

「身体の大きい人って、熊さんみたあで可愛いです。ぬいぐるみの、でっかいやつ」


 このくらいと腕を広げた彼女の言うのは、たぶんアレだ。ユーチューバーの人が稀によく買ってくる、二メートルくらいのぬいぐるみ。

 正直、可愛いか? と疑問ではあるが。


「ありがと。僕なんかが可愛い言うてもらって、キモい言われそうじゃけど」

「キモい」


 褒められたのだ、素直に嬉しかった。絶妙の間で、欲しかったセリフも海太くんが放ってくれる。


「じゃろ?」

「もう、海太ちゃん! そがあなこと言わんの!」


 僕の笑った分を補うくらい、このみさんが叱りつけた。海太くんは「へへっ」と皮肉げに、軽トラックでどこかへ逃げ去った。


「すみません、譲さん。海太ちゃんまだ、子供みたあで」

「全然、全然。親しぅしてもろうて、楽しいです」

「ダメですよ。すぐ調子に乗るけえ」


 彼の消えた方向を睨み、このみさんは荒く鼻息を噴いた。


「譲さん、優しいんですねえ」

「そうでもない思うけど」

「いえいえ」


 ふわり、柔らかい笑み。優しいと言うなら彼女のほうで、きっとマイナスイオンも発生しているに違いない。


「——あの」

「ん、なんです?」


 出会って僅かだが、明るく遠慮なく話す人だと思った。しかし急に声を潜め、内緒話と考えた僕は腰を屈める。


「あ、いえ。そうじゃのうて」

「ん?」

「ええと、バンザイしてもらってええです?」

「バンザイ?」


 なんだか分からないが、お安い御用だ。背すじを伸ばし、両手を高く突き上げた。

 するとなぜか、このみさんも両手を上げた。しかもその上、ぴょんぴょん跳ねる。どうやら僕の手に触れたいらしいけど、意図が見えない。


「このみさん?」

「あははっ、ほんまに背ぇ高いですねえ」

「そんな珍しぅない思いますけど」


 もちろん低くはないけれど、僕くらいはいくらでも居る。

 首をひねる僕の腹に、彼女は自分の手を置いた。


「おっ……」

「あ、すみません!」


 思わず、呻いた。このみさんも慌てて手を引っ込め、もったいないことをしたかもと悔やむ。


「うん。譲さん、ええ人そうでかったです。なんか、お兄ちゃんいう感じがします」


 女性と触れ合った経験は、両手と両足の指でおそらく足りる。赤面の僕を置いて、このみさんは笑いながら日本家屋へ歩き始めた。


「お部屋、案内します」


 玄関前で振り返った彼女は、やはり太陽みたいに輝いていた。それは僕にまで感染りそうな、明るい笑顔によるらしい。

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