第5話:輝くこのみ

 海太くんの軽トラックの助手席で、かれこれ一時間。行き先を知らないまま、ひたすら山の方向へ。

 愛車のバーディーも荷台で揺られ、「たまには乗せられて走るのも楽でいい」と言っている気がした。


 福山市には、のぞみ号も停まる。その市街地のど真ん中を出発したのだけど、市境を跨いだのはとっく。カーナビがなく、見える標識を頼りに現在地を把握した。


「府中市って、初めて来たわ」

「じゃろうなぁ。なんもないけえ」


 何もない、ことはなかった。個人名の電器屋さん、同じく自動車工場、酒屋さん。むしろ広島市では見られない景色。

 ただどこも、通りすがりには営業しているか分からなかった。入り口が開いていても人の姿がなかったり、カーテンが閉まっていたり。


 三階建て以上の建物も、ほとんど見かけない。何百メートルかまばらに、アパートや病院がぽつんと。古びた民家の只中へ建つのが、いっそうに浮いて思えた。

 家と家の間に畑や水路がたくさんあって、ちょっと視線を上げれば、東西南北のどこにも山が見える。


 もしも僕が、夜ごと歓楽街へ出かけたい人間なら困っただろう。でもそうではなく、強張った気持ちの緩む気がする。

 たしかに、ゆっくり寝られそうじゃ。

 珍しくせっかちにお礼を言いたくなって、海太くんへ向く。と彼はスマホを手に、誰かへ電話をするところらしい。


 いや運転中!

 思うものの、やめろとまで言えないのが僕だ。顔を反対に向け、幼いころに見たきりの古いロゴ入り看板を見つけて楽しむ。


「今日、一人増えるけど問題ないじゃろ? 友達いうこともなぁけど、悪モンじゃなあのはたしかよ」


 行く先の人と、今になって交渉のようだ。ダメだと言われたら、まあ素直にバーディーと共に去ればいいか。


「どんな? うーん、カンタみたいなおっさん」


 おっさんと分類されたのは初めてだ。しかし二十八なら、おかしくはないのかも。

 それより、カンタとは誰だろう。僕みたいなウドの大木が、二人目となると邪魔だろうに。


「もともと海太くんも行くとこだったん?」


 僕とは関係のなさそうな会話もあって、電話は終わった。

 見計らったように、なのは事実なのだけど。すぐさま話しかけるのは避けた。途中で買ったお茶を、ふた口飲む間だけだが。


「ほうよ、手伝いに」

「手伝い?」

「行きゃあ分かる」


 行き先のヒントが、頑なに開示されない。それでいて意味ありげな笑みが気になる。

 まさか人身売買で、強制労働でもさせられるのか。なんてことなら、きっともっと元気な人が狙われるだろうし。


 考える間に、人家が途切れた。ここまでもそういう箇所はあったが、今度は本格的に山道へ入っていく。

 センターラインが消え、対向車に気疲れする幅に狭まる。アスファルト舗装ではあるけど、砂利道のようにガタガタ揺れた。


「ここなあ、いっつもケツが痒ぅなるんよ」


 言って海太くんは腰と脚に力を入れ、座面からお尻を浮かす。

 なのに真面目な顔を僕は笑った。「あははっ」と声を上げて。しばらく使っていなかった顔の筋肉が、ガタピシと軋んだように思う。


 ——それから十分ほどで、軽トラックは速度を落とした。鬱蒼とした木々も直前から消え失せ、柵に囲われた畑が視界を占める。

 途中、逸れた砂利道沿いにキャベツは分かった。他にも植えられているけれど、僕には何だか分からない。


 概ねまっすぐ。突き当たりに、赤い瓦の日本家屋。

 並びにトタン屋根のプレハブも。車庫、ではなさそうだ。もし車を入れたら、十台くらいいけそうだが。活喜かつきファームと、ブリキにペンキ塗りの文字看板が一文字ずつ掲げられていた。


「ファーム。農場?」

「見ての通りなぁ」


 プレハブの目の前へ、海太くんは軽トラックを止めた。ちょうどその壁面に、いちご狩りが云々と説明書きがある。

 なるほど、観光農園というやつだ。

 

「あ、ども! お世話んなります!」

「いやぁ、こちらこそよ!」


 プレハブのサッシを開け、五十も過ぎに見えるおじさんが迎えて出る。くたびれたオーバーオールと長袖Tシャツが、いかにもらしい。

 海太くんの口調も、ちょっと丁寧になった。それでも親しげに肩を組み、互いに背中を叩き合う。


 すぐに降りるべきだったが、タイミングを逸したことにもまだ気づいていなかった。助手席のシートで、ぼけっと眺めていた。するとおじさんが僕を見て、窓の外まで来てくれる。


「遠いとこ、ようこそようこそ!」

「あ、あ、ええと。どうも、お邪魔します」

「あはははっ! どうもね!」


 にゅっ、と色濃く日焼けした手が伸びた。戸惑う僕の手を強引につかみ、持ち上げ、「よろしく」と握手をして放す。

 初対面の人に、なんだかとても失礼なことをしている。そう思っても、挨拶は済んでしまった。もうおじさんは二、三歩離れ、何か探すように辺りを見回し始める。


 この人がカンタさんかな?

 おっさんと言うなら候補に違いないが、僕との共通点は性別以外に見当たらない。プロレスラーかと思う太い腕など、なにより。


「おうい! 海太くん来たで!」


 前触れなく、轟音が僕の鼓膜を殴りつけた。とっさに手で押さえたものの、耳鳴りと共に一瞬の目まいまでが襲う。

 ふらふらしつつ、軽トラックを降りる。誰かを呼んだのだ、せめてその人にはきちんと挨拶しなければ。

 すぐ、どこからか軽快な足音がたったったっと近づいた。


「海太ちゃん、いらっしゃい!」


 女の子だ。いや海太くんと同じ年ごろに見えるし、女性と言うべきだろうけど。僕より、頭一つ低い背丈。前髪を真横に一直線のショートカットと、綺麗に卵型の顔。

 毛むくじゃらの大きな犬を連れ、駆け込むジャージ姿がよく似合う。


「お、出たな」

「出たって、なにがね。人を妖怪みたいに言わんのよ」


 憎まれ口で、海太くんの腕をぺちんと叩く。でも楽しそうに、あとからあとからシャボン玉の弾けるみたいな笑い声が弾む。

 おじさんほどではないが日焼けした肌も、いかにも元気いっぱいという感じ。太陽を遮るもののない明るい場所だけど、彼女の周りだけ一段と光り輝く。


「あ、ええと。この人?」

「ああ、そう」


 ポジティブの塊みたいな、こんな人も居るんだなと呆気にとられた。海太くんには紹介してくれようという気がまるでなく、彼女の近づく何歩かで自己紹介を慌てて考えた。


「は、は、初めまして! 優志です! 譲です!」

「え? あ、はい! 譲さん、よろしくお願いします!」


 勢い込んで、日本語の不自由な人みたいになった。けれども「ふふっ」と笑ってもらえば、結果オーライというもの。

 ぺこっ、と。そういうおもちゃみたいに、女の子は腰を深く折る。


活喜かつきこのみです、ひらがなで。キャベツの収穫、結構な力仕事ですけど頑張ってくださいね」


 名前がひらがなだけって、実際に居るんだな。なんてどうでもいいところに感心して、聞き流すところだ。

 どうも想定と違う話を聞いたような。


「へっ、キャベツ?」

「ええ、春キャベツの」


 どうかしたのかな、という顔で。それでも愛想よく、くしゃっと笑うのは商売上の強い武器に違いない。

 僕も釣られて笑ってみようとしたけれど、頬の筋肉が攣りそうになった。

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