第3話:ほんまにやりたいこと

「キャベツ?」

「これもうた。向こう側は野菜の売り場じゃけえ」


 出てきたばかりの建物を、海太くんは指す。どうやら魚市だけでなく、青果もあるらしい。

 改めて見れば、たしかに総合・・卸売市場と書いてあった。


「春キャベツ。でぇれぇうまいで?」


 レジ袋へ手を突っ込み、きゅうりを折るような瑞々しい音色が。しかし取り出されたのは、間違いなくキャベツ。


「ええと、ここで?」

「ああ、行儀が悪いなぁ」


 捕まった以上、観念することにした。

 彼の言うように、逃げ出す僕がおかしいのも理解はしている。それでも図体だけはでかい男が、往来で立ち食いなど邪魔でしょうがない。

 海太くんもさっと見回し、あそこに座ろうと足を動かしてくれた。看板近くの植え込みの縁へ、二人して腰掛ける。


「あ——甘っ」


 あえて、なのだろう。葉先でなく軸の太いところが差し出された。ありがたく口へ運ぶと、僕は自分の味覚を疑うことになった。

 薄味のメロン。いや上品と言うべきか、ともかく野菜にはあり得ない甘さが広がる。


 食べる寸前にすり替えられた? なんてバカげた可能性さえ、放り込んだ軸の欠片をわざわざ口から出して確認したくらい。


「じゃろ?」


 鷹みたいな海太くんの目が、細く筋になる。きゅうっと弧を描き、同じ人間の表情がこれほど柔らかく変わるかと、見ている僕は目を見張った。


「もしかして、自分で作ったキャベツ?」

「いや、俺じゃあなあよ。うた言うたじゃろ」

「あ、そうじゃった。いや君が、自分の子でも褒められたみたいな顔したけえ」

「そうじゃなあけど。言うたら、甥っ子みたあなもんかなぁ」


 血縁のような存在ではある、と。人間なら至って普通の話だけれど、こと野菜に置き換えるとどういう立場か。

 照れくさそうに鼻で笑い、元のいかつい顔つきに戻ったのも合わせ、想像してみても思いつかなかった。


「海太ちゃん、お待たせ!」

「お、ありがとなぁ!」


 そうこうするうち、キャベツを食む男二人に近づいたのは、また男。

 まあ、シバエビを売っていた男の子だが。持ってきたレジ袋を海太くんに渡すと、すぐに戻っていった。


「友達なん?」

「高校ん時の」

「へえ。ええね、同級生」

「あんたも——あんた、名前どう言うん?」


 受け取ったレジ袋から、丸めた新聞紙が取り出された。さらに開いた中から、ふわりと湯気が立ち昇る。

 どうやら先ほどのシバエビだ。たぶん油で揚げてあるのだろう、ほんのりきつね色が着いていた。


「優志、言うんよ。優志、譲」

「譲さんじゃね。俺は馬津うまづよ」

「馬津、海太くん?」

「ほうよ」


 初対面でいきなりの名前呼びに、ちょっと面食らった。が、特段に悪い気もしない。

 だから僕も見習い、下の名前で呼ぶことにした。


「譲さんも同級生はおるじゃろ」

「そりゃあ、おるよ。同窓会とかないし、みんな何やっとるんか知らんけど。じゃけえ付き合いがあって、ええね言うた」

「はあん、そんなもん? 言う通り、アレは頑張っとるし、ええ奴じゃけどね」


 真面目くさって頷き、海太くんはシバエビを口に放る。パリパリといい音が、耳にもおいしい。

 見た目によらず、と言っては失礼極まりなくて内緒だけど。彼はとても気前がいいようだ。「うまい」とひと言、僕に預ける勢いで新聞紙を突き出す。


 こうまでされれば遠慮なく、一匹をつまみ上げる。

 頭が付いたままで、普段なら取り除くところだ。しかし海太くんは丸ごと食べていた。一つ深呼吸で覚悟を決め、目を瞑って口に入れる。


「うまっ」


 舌に触れた瞬間、ちょっぴりの塩味とたっぷりの旨味が伝わった。

 反射的に声が出て、まま噛み砕く。するとヤケドしそうな熱い汁が溢れ、はふはふ慌てて空気を取り込む。


「うまいじゃろ? でもこれをなぁ、こうして——こうじゃ」


 うまい熱いうまい熱い。口いっぱいに海が広がり、答える余裕がない。

 どうにか彼の手もとを見ると、シバエビを春キャベツでくるくると巻く。しかも背負ったリュックから、白いボトルが取り出された。


 マヨネーズだ。にゅるにゅるっと、たっぷりを載せて口の中へ。ざくざく、じゃくじゃく。おいしそうと言ったのでは足らない、反則級の咀嚼音が長く続く。


「やってみんさい」

「お、おう」


 百七十五センチ、九十五キロ。この体格で、マヨネーズの嫌いなわけがない。彼の監修下、出来上がった作品に僕は卒倒するところだ。




「これ、カブ?」


 ここまでどうやって来たのか問われ、目の前の愛車を指さした。海太くんは「おお」とひと言、僕よりかなり長そうな足で跨った。


「いや、バーディー。スズキの。中古でうたけど、全然壊れん」

「ええねえ。でもこれで広島から来たん? 原付じゃろ」

「ほうよ。たった五時間で着いたわ」

「たった、じゃなあし」


 僕が広島市近郊から来たと気づいている。こちらとしても海太くんが、この福山市周辺の住人と確信しているけれど。

 よく似てはいても彼の言葉は備後弁で、僕の広島弁とは違う。


 百キロ強の道のりを、あまり覚えていなかった。疲れたという感覚も、言われてみれば今さらという感じだ。

 感想が言えず、笑ってごまかした。すると海太くんの眼に鋭さが戻り、問われた。


「どこ行くんな?」


 我ながら急拵えにもほどがある、乾いた笑いだった。不審に思われて当然だ。


「別に悪さしようとは思うとらんよ」

「そんな想像はしとらんわ」


 ではどんな想像ならしているのか。傍から見た僕はどんななのか、聞いてみたくはある。

 けれどもまた曖昧なことを言えば、彼に嫌われそうだ。


「どこかは決めとらん、というか。どうしようか困っとるんよ」

「はあ? なんかあったんな」


 バーディーを降り、座ったままの僕を覗きこむ。腰を屈め、覆いかぶさるように。

 唐突にキスでもされるかとあせったのは内緒だ。


「話せば長く……もないか」

なごうないんなら、きちっと言いないな」


 海太くんなら、まあええか。

 なぜそう思ったか、僕にも分からない。仕事を辞めた時、この先どうするのか心配してくれた人も居た。

 そういう誰にも話さなかったことを、彼には言ってみたくなった。


「ほんまにやりたいことって、どうやったら見つかる思う?」


 端折りすぎ。けれども今、僕の根っこにある思いに間違いない。

 もし、そんなの知るかなんて言われれば、話は終わり。丁寧にお礼をして、また走り出すだけ。

 きっと彼は、少なくともバカにはしないと思えたけど。


「ほんまにやりたいこと?」

「うん。海太くんにはある?」


 突き刺すような眼光が緩む。少し考える風に左右へ動き、やがてため息と共に逸れた。

 どかっと元の位置へ座り、腕を組んだのが仕切り直しなのかもしれない。


「分からん人じゃ。なんかあったんか、話せ言うとるじゃろ」


 なんでじゃろ。

 偉そうというか、押しが強いというか。正直、苦手なタイプのはず。それなのに不思議と、彼から逃げようとは思わなかった。

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