中編
震災からもう2ヶ月も経つというのに、主要幹線道路以外は一向に清掃の進む気配がない。港から5kmほどのこんな畑作地域にまで、魚を入れていたプラスチックのカゴやらが大量に散らばり道端に放置されたまま。
そして相変わらず酷い匂いを発している魚の残骸。とっくの昔に鳥がついばみ、そこそこ乾燥した状態でとっ散らかっている。何も知らずに来たら眉をひそめそうだが、こういうゴミは減った方らしい。今度はここの清掃をしても良いくらいだが、どこへ捨てるのか確認しないといけない。それに下を見るとキリがなかった。
そんな様々な成れの果てが、坂道のある場所でピタリと消える。
その一線を、今日も、超えた。
「お帰りなさ〜い! あら、山本くん。今日もこんがり焼けちゃって〜」
わざわざ玄関まで出迎えてくれた、にっこり笑顔の女性。お母さんこと、この滝川家の奥様だ。あの一線の数メートル上にあったお陰で、幸いにも滝川家は建物の被害を免れていた。
そして自分たちの家や家族は大丈夫だったからと、大広間をボランティアの宿泊用に貸し出し、毎食用意してくれている。
地元の名士なのではという門構えに最初は気後れしてしまったが、毎晩用意されているカレーにすっかりやられてしまった。おかわり自由。これだけで明日も頑張れた。
家が無事。家族も全員無事。
この滝川家に戻ると、日常が戻って来る。
「山本、おかえり〜」
台所の方から元気そうな友人の声が聞こえてきた。
「おお。体調どんな感じ?」
「うーん。やっぱり俺、1回東京戻るわ。病院行った方が良いかもって。全然気付かんかったけど、これPTSDってやつやん」
「そうかあ……お、今日もカレーですね」
「何やねん、急に『今日もカレーですね』って。きしょ〜」
「そっちが何でやねん!」
そんなやり取りをけらけら笑うお母さん。藤原が帰ってしまう寂しさはあったものの、その日のカレーも美味だった。僕は鈍感だった。
その夜。なかなか寝付けなかった僕は、トイレから戻る時、こそこそと話す声を耳にした。まさかこんな時期になって泥棒ではないだろう。ここは大所帯と知れている。
少し心細く思いながら声を辿ると、台所から漏れる明かり。声の主は藤原とお母さんだった。
「あ〜、びっくりした! 泥棒か思たわ〜」
そう言いながら部屋に入り込む。
「お前にびっくりやわ! 急に入ってくるのやめて〜。心臓止まるか思たわ〜」
おどける藤原だが、テーブルの向かいに腰掛けるお母さんの笑顔は、いつもよりどこか弱々しかった。
「何かあったんですか?」
「ううん。藤原くん帰っちゃうから、色々話してただけ〜。寂しくなっちゃうねと思って」
「そうですか……」
「山本くんも、コーヒー飲むでしょう?」
お母さんは僕の分のコーヒーを丁寧に淹れてくれる。
「いつもなら小さいクッキーあるんだけど、ごめんねえ。なかなかいつもの買えなくて〜」
「甘いの苦手なんで、全然大丈夫です。ありがとうございます」
コーヒーに口を付けながら、会話が再開するのを待った。2人は何を話していたのだろう。なかなか話題が始まらない。
「藤原くんがね、10年掛かりましたよって」
お母さんが苦笑いしながら、そう切り出す。コーヒーカップは空っぽになっていた。
「この家から海なんか見えなかったもん。でも海がこんなに綺麗に見える。気持ち悪いよ。みーんな失くなっちゃったもんね。ぜーんぶ失くなっちゃったよ」
僕は何も分かってなんかなかった。この人が初めて会った時から、どうしてずっと笑ってるのかも。
「なんだか毎日申し訳ないよ。山本くん見たでしょう、あの線。あそこからたった数メートル上だっただけなんだよ、うち。あの線から下、みーんな失くなっちゃった。合わせる顔ないよぉ」
カップを握る手が震える。
「そしたらね、藤原くんがね」
藤原の顔を見ると、こっちはいつも通りの落ち着いた表情だった。
「うん。神戸も復興には10年掛かりましたからね」
「そうかあ。10年かあ。元に戻るかなあ」
僕は何て外野なんだろう。超えられない隔たりがそこにはあった。でも今晩だけでも、藤原が居てくれて良かったと心底思う。お母さんにとっては尚更。
翌朝、東京へ戻る藤原に別れを告げると再びX地区へと写真収集へ向かった。
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