筋肉祭り

歩弥丸

筋肉の呼び声

 この温泉地には、旅館の内湯だけではなくて、公衆浴場――外湯がある。そろそろここを発つつもりで、どうせなら今日は外湯巡りをしようと思い立ったんだ。

 何やら石畳の通りに人が多い。客が、ではない。宿の旦那が、料理屋の店主が、土産物屋の店員が、箒や脚立を持ち出して、掃除に、苔取りに、飾り付けに、走り回っている。

「何かあるんですか?」

 声をかけると飲み屋のマスターが答えた。

「週末はお祭りがあるんだよ」

 それだけ答えると小走りで去って行く。


 公衆浴場は無人で、『ここに200円入れてください』と賽銭箱を置いてあるスタイルだ。都会だったら賽銭箱ごと盗まれて終わりだろうけど、田舎だから成り立ってるのかも知れない。

 ちゃりん、ちゃりんと二枚入れて、見上げると――マンガタッチの幽霊のぬいぐるみがいた。

 御神体? 御神体なのかそれ?


 先客がいるようなので、

「失礼します」

と声をかけて引き戸を開ける。そこでは、古書店の主人が湯船に浸かっていた。

「おや君は、――確か一昨日うちに来た」

「御無沙汰してます」

「御無沙汰ってほどの日数でも面識でもないでしょ」

「まあそれはそうなんですが。お店は大丈夫なんです?」

「今日は臨時休業。この後祭りの準備の手伝いさ」

 しかしこの主人、脱ぐと――意外に筋肉が凄い。書店の奥でコーヒーカップを傾けてるイメージだったので、意外だった。

「その、何か運動とかされてるんですか?」

 流し場で身体を流しながら、聞いてみた。

「ああ、筋肉? 特別なことはしてないよ。こんな山奥にジムなんかありゃしないしね。ただ、店から温泉地こっちまで歩いてきたり、山に木を拾いに行ったり、薪を割ったり。田舎でそういう昔ながらの暮らしをしてると筋肉が戻ってきてね。街に居た頃より動いてるっちゃあ動いてるのかも知れない」

 そういうものか、と僕自身の貧相な身体を顧みる。ジムも三日坊主、それ以前に職場のあれこれが不定期すぎて、身体を動かすどころじゃ――いや、その話を考えるのはよそう。


「何しろ、明日は嫌でも筋肉を見せることになるし」


「見せ――――!?」

 思わず湯桶を取り落とした。

「おや知らなかったのか、山野温泉温泉神社秋大祭、通称『筋肉祭り』」

 なんだそれは。またもやい湯の若旦那の陰謀か何かか。一体何度僕の前に立ちはだかるのか若旦那――!?

「いや別に、これは昨日今日町おこしのために始めた祭りでも無いんだ。ふんどしに法被羽織っただけの漢衆が山の上の神社と谷の側の神社から神輿を担いできて、互いに御神体を入れ替える御神幸の祭り、と言えば別におかしなことでもないだろう」

 確かにF市の祇園だってそんな感じの格好だけど。

「でも、『筋肉祭り』って?」

 半裸の格好だけで筋肉にフィーチャーされることなんて無いはずだ。実際祇園だってそんな言われ方はされてない。

「過疎化で神輿の担ぎ手が少なくなりすぎたから、十数年前に観光協会が思い切って神輿の担ぎ手を外部に解放したんだ。それを提案したのは例のもやい湯の若旦那だったらしい、まだ高校出たてで世間を知らない頃で。――そこに応募してくるのが筋肉自慢の鍛えた漢だらけになる、とまでは考えてなかったみたいだけどね」

 結局若旦那案件なんじゃないか!

「募集用の祭りのネット動画をみた某匿名掲示板界隈が『筋肉w』『筋肉www』と盛り上がって、『だったら俺たちも選抜した筋肉を送り込んで面白おかしく盛り上げてやろう』と勝手に目論んだらしい。フラッシュモブ、って聞いたことある?」

「――知識としては」

 ネット上で示し合わせた集団が集まり、突然ある一つの行動を取って、その事実を知らない一般人を驚かして悦に入る。そういうブームがあったんだそうだ。某匿名掲示板界隈で。聞いた話です。聞いた話ですぞ。

「公募に応じた体で筋肉自慢のネット民たちが法被とふんどし姿で、神輿そっちのけで坂を全力で駆け抜けていく。そういうフラッシュモブのつもりだったらしい。でも、その様子を撮ったネット動画が妙に評判がよくてね。『迫力が増した』『地響きがする――と思って頂きたい』『うほっいい筋肉』。評判が評判を呼んで、次の年もその次の年も筋肉自慢の応募が続いて、見物客も増えて、十数年のうちに知る人ぞ知る筋肉の祭りになった、ってわけ」

「ええ……」

「どうだい、君も飛び入りで参加してみるか」

「遠慮しておきます、っていうか今の話だとそんな枠ないでしょ」

「それはそうだ」


 ぬるい炭酸泉と、それを加温したあつ湯が並んでいる。タイルが茶色じみてるのは温泉の成分で着色したのか。ぬる湯とあつ湯を交互につかる。

 筋肉はさておき、いい湯だった。


 さて今日で宿を出ようと思っていたものの、ああまで力説されると気にはなる。

 そうは言っても現実、今からもう一泊伸ばすほど宿は空いてない。というか、現実、旅に出ようと思い立ったときには週末の空きは殆ど無かったから、平日だけの旅にしようと思ってたんだ。

 ――これをにしようと、思って。

 そう思ってたのに、どうにも調子が狂う。

 取り敢えず宿に戻ると、何やら慌ただしい。

「え? ――様が御病気で? ――来られない? ええ、それは仕方の無いことですが――実行委員会――キャンセル料――法被――」

 電話を受ける声がする。何かの事情でドタキャンが入ったらしい。

「あらお帰りなさいお客様」

「女将さん、キャンセルが出たんですか。でしたらもし宜しければもう一泊――」

「ちょうど良かった。是非お願いします。――宜しければ、明日のお祭り、出て貰えないかしら」

 え。そういうキャンセル?

「お祭りに出る筈のお客様がね、体調崩してうちの前泊からキャンセルしてきたのよ。部屋と料理もだけど、お祭りの参加枠が空いちゃって」

「いやそっちは空けてても良くないですか?」

「御代を安くしておきますから」


 こうして、僕は別に筋肉自慢でも何でもないのに、流されるようにして筋肉祭りに出る羽目になった。


 ※ ※ ※


 明くる朝。朝食と一緒に法被とふんどし、足袋、草履、ふんどしの締め方についての説明書一枚、そして祭りで割り当てられたスタート地点の地図を持ち込まれた。

 やるのか、本当にやるのか。

 朝食を取ってからふんどしと向き合う。当然、肌着もパンツも着れない。ふんどしを付けて法被を羽織る。それだけの格好にならなければならない。

 着てみて、鏡の前に立つ。

 どう見ても貧相だ、と自分でも思う。(キャンセルした参加者にあわせて用意されたもののせいか)そもそも法被のサイズに肩幅が見合ってない。スカスカだ。

 溜息をつきながら、宿を出て、坂の下に向かった。


 一体この温泉地のどこにこんなに人がいたのか。平日とは大違いだ。

 宿を出て石畳を歩くだけでも、人の増えてることが分かる。きっと見物客なのだろう。女将さんのいうには、今日明日は駅とのシャトルバスが臨時に設定されているとか。

 石畳に紅白の縄で飾りがされている。それは飾りであると同時に、『見物客が立っていていいゾーン』と『走る漢衆のためのゾーン』の仕切りなのだろう。

 僕と同じ法被を着ているひとが、ちらほらいる。ふんどし姿のは祭りの参加者として、服の上から法被を羽織ってるだけのひともいる。どうも参加者向け以外にも、お土産品として祭りの日だけ売ってるらしい。

 ――僕もそっちで済ますつもりだったのだけど。


 僕は坂の下の社から、上の社を目指すチームに割り振られた。

「これ、絶対上の社からスタートする方が楽じゃない?」

 僕の疑問に、黒光りする筋肉の漢が答えた。

「そうでもないんだぜ。下り坂を走るのは、上り坂より膝に負担が大きい。まして石畳。体力は兎も角脚がやられる」

「そういうもんかな」

「まあお祭りだからな! 愉しんでいこうな!」

 筋肉たちの妙に白い歯の笑顔。でも、僕にはこれをどう愉しむのかまだよく分からない。


 そして号砲が鳴らされる。

 僕らが走る後ろから、地元の衆の担いだ神輿が続く、ということらしい。

 両脇に筋肉。むつけき筋肉。ジムで、スタジオで、競技場で鍛え抜いてきたであろう筋肉は、余りに無駄が無く、脂肪の層の存在を感じさせない。仕上がっているが、しかし、どことなく浮世離れしたような作り物感がある。

 間に挟まれた僕の、貧相なガリガリぶりはどうだ。細い割に無駄な脂、僅かな筋肉。ちょっと両脇から挟まれただけで折れてしまいそうだ。

 後ろを振り向くと、やはり筋肉。筋肉。全裸という訳ではないだけに、逆に大腿筋や上腕二頭筋が強調される。

 筋肉に潰されないためには、走るしか無かった。

 石畳を走る。晩秋なのに、身体を動かすのと周りの筋肉に蒸されて、だんだん熱くなってくる。

 時折、観客の側から水を打たれる。いや水じゃない。ぬるくなっているが、恐らく温泉の湯だ。蒸気がモワッと上がる。足下がすべる。いや、水を吸った草履が意外にグリップする。

 進むしかない。兎に角前に。

 やがて、上の社から降りてくる筋肉の姿が見えてくる。突進してくる筋肉。蒸気。迎え撃つのか。すり抜けるのか。

「――スクラムを組め!」

 後ろの筋肉が叫んだ。

「どうやって!?」

「肩を組み合って頭を下げればいい!」

 悩んでる時間は無い。左右の筋肉のやり方に倣って、スクラムを組む。

 やがて衝撃が走った。同じようにスクラムを組んだ上の組の筋肉と、激突したのだ。

 肉と肉の激突。膠着状態だ。背中が軋む。肩が痛い。

 そのまま何分がたったのか分からない。やがて、ワッショイワッショイと声がする。地元衆の神輿が、スクラムを強引にかき分けようとする。その様子を合図に、誰が言うとも無く僕たちはスクラムを解く。

 上と下からの神輿が、筋肉の波をかき分けていく。かき分けられる筋肉たちもワッショイワッショイと声を上げる。熱。蒸気。筋肉。それはまるでモーゼか何かのようで。

 改めて近くで見ると、神輿の担ぎ手たちも筋肉といえは筋肉だ。書店の主人と同じで、田舎暮らしで培った筋肉なのだろう。無駄はあるのかも知れないが、むしろその方が動かしやすいと、そういう方向での実用性を感じさせる筋肉だ。

 きっと、余所の、都会の筋肉がこの筋肉に憧れたから、こんなに筋肉の集まる祭りになったのだろう。そんな気がした。




 

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