救出劇

 すでに撤退を終え放棄された拠点は、静かで不気味な空気が漂っていた。

 人の気配はなく、残り香だけがある。


 まだ燻っている狼煙用の焚き火。

 全ダイバーの名前に「撤退済み」を表すように、取り消し線が引かれた掲示板。

 建築途中で放置された、机や椅子や、簡易的な建物群。


 拠点の中央にある櫓の頂上まで一足飛びに飛び乗って、フィロは周囲を見渡した。

 360度同じような景色が続く中、さっき見た映像を思い出しながら探す。

 確かあの時の視点では、拠点を斜め上に見上げていた。

 かなり小さく視界に移っていたから、そんなに近くではないはずだった。


「見つけた!」


 フィロはポツリと呟いて、体重を前に倒す。

 手すりに足をかけ、櫓がたわむほどの力で蹴り飛ばす。

 宙を舞ったフィロの身体は放物線を描き、森の中をさまよう人影へと近づいていく。


 大学生ぐらいだろうか。

 動きやすそうな、足軽の着るような鎧に身を包んだ女性は、疲れたように木にもたれかかって休んでいた。

 拠点から木々を飛び越えてきたフィロは、すぐ近くの木に飛び乗った。

 枝を伝ってコロコロと飛び降りる少女の姿を見て、女性は警戒を強める。

「女の……子?」

 女性は腰の辺りから一枚のカードを取り出して、武器を解凍する。

 二メートルほどの薙刀が握られる。

 それを見てもフィロは武想せず、両腕を広げながらゆっくりと女性に近づいた。

「大丈夫だ、俺は敵じゃないよ」

「敵じゃない……? じゃあ君はなにしにここへ?」

「なにしにって、えっと。俺はお姉さん?を、助けに来たんだけど」

 女性は話を聞きながらも、怪しいものを見る目をフィロに向けていた。

「でもあなた、敵のチームでしょ?」

「ああ、戦争はもう終わったよ。それどころじゃなくなったとかで……拠点あそこにいた仲間達も、全員撤退済みだしね」

「そんな、嘘でしょ⁉」

「嘘かどうかは、実際に目で見て判断してくれ」


 フィロはそう言って、女性に背中を向けて少しかがんだ。

「えっと……?」

「連れて行くから、乗ってくれ」

「乗るって、君に?」

「遠慮はしなくて良いから。大丈夫、こう見えてこの身体は足腰が強いから」

「そ、そういう問題かな?」

 いいから早く。と催促するフィロに根負けして、遠慮がちに背中にまたがるようにして、両手を肩に置いた。

 フィロは両足を軽く押さえると、大地を一蹴りして斜めに飛び上がる。

 木々の枝々を通り抜けざまに蹴って加速して、二人の身体は宙を舞う。

 下には森林、上には青空が広がるが、景色を見る余裕など無く女性は声を押し殺し、重力の変化に耐えた。


 バランスを崩さないように硬直していると、ものの数秒で移動は終わった。

 城壁の内側に飛び降りたフィロが腕を放すと、女性はふらふらと、よろめいてから地面に腰を落とす。

 ちなみにこの瞬間、彼女の視線越しに配信を見ていた多くの人が、画面酔いを起こして気分を悪くしていたが、それはまた別の話。


「な? 中に誰もいないだろ?」

「本当ね……」

 肩で息をしながらその瞳には放棄された拠点が映った。

 でかけているだけ、という感じではなく、明らかに作業の途中で、まるで村人全員が神隠しにでも遭ったかのような。

「なら、お嬢さんは? どうしてここに、一人だけ?」

「まあ、俺も一度は撤退したんだが、配信で見かけてな。困っているようだから助けようかと。とりあえずここなら多分安全だから、落ち着いたら一度現実世界むこうに戻って、そっちの人から状況を聞いてくれ」

「君は……?」

「俺は、俺ももう少ししたら向こうに戻るよ。どうせここにいても、やることはなさそうだから」

「そっか……私たち、また会えるかな」

「無理じゃないかな。外じゃ接点もないし」

「そう……だよね、ごめん。ありがとう。じゃあ私は先に帰るね」


 フィロが別れの言葉を返す前に、女性はこの世界からログアウトした。

 目を閉じて数回深呼吸をすると、手足の末端から順番に、水に溶けるように消えていく。

 数秒間もかからずに、一辺の欠片も残さずに現実世界へ帰還したその場所に、小型のカメラのような機械が残されていた。

「これは……配信に使っていたアイテムかな」

 フィロはカメラを手で掴んで持ち上げて、そのまま放り投げる。

「もう、必要ないだろ」

 そう呟きながら武想して、自由落下し始めた機材に大剣を叩きつける。


 強い衝撃を受けると同時に粉々に砕け散り、現実世界での配信にもなにも映らなくなった。

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