撤退
フィロにとっては二度目の殺人だった。
一度目はクローフィの世界で。その時は名も知らぬ外国人を。今回はおそらく日本人を。
そういう意味では今回も他人である点と、それぞれ「自らの死」を望んでいる点では共通していた。
無我夢中だったとはいえ、手のひらに残る、肉を斬る感触が消えるわけではない。
唯一の救いは、首がへし折れた瞬間に男の身体が世界に溶けて消え、無惨な死体が残らなかったことだろうか。
「せめて安らかに眠ってくれよ……」
なにも残っていない空間に手を合わせて言葉を遺し、フィロは後ろを向いた。
放たれた無数の弾丸は、森を破壊し尽くしていた。
木々には弾痕が残り、バキバキと音を立て、重力に引かれて朽ち倒れる。
そんな中、倒れた木が持ち上がり、一組の男女がゆっくりと、ゆらりと起き上がった。
「二人とも、無事だったか」
フィロが近づくと、二人は顔を上げる。
傷だらけの血まみれではあるものの、それはこの世界ではかろうじて致命傷でないようだった。
ゆっくりとではあるが、目に見えて傷が塞がっていく。
男はその場で仰向けに倒れ、倒れた丸太の上に腰を下ろしながらフィロのことを仰ぎ見た。
「フィロちゃ……今のは?」
女性に声をかけられて、フィロは改めて考える。
とはいえそれは体格や顔などに限定され、服装や装備については比較的自由度が高い。
つまり迷彩服を着ていたというのは、本人を特定する情報にはならなかった。
「さっきのあれが何者かは俺にもわからない、見たことのある顔じゃなかったし。装備や武想は軍人のようだったが」
「それは私も思ったよ。それに
「だよな。せめて拳銃でも用意してくれたら、化け物との戦いも、もっと楽になったのにな」
「マジそれ。武器選択の時に刃物か打撃武器しかなかったとき、原始時代かよ! って思ったもん」
「あれなー。いや、原始時代は言い過ぎ……」
「そかな。でもFPSやってる身からするとどうしてもね……」
会話を聞いている限りだと、どうやらあの男は二人の所属する団体の者ではないらしい。
だとしたら、警察や自衛隊で構成されたという国所属の隊員である可能性が高くなる。
人ではなく、人の姿をした獣である可能性もゼロではないが、フィロの直感はそれを否定していた。
「俺の会社の武想とも雰囲気は違ったが……まあ、奴の正体については、考えてもわからないだろう。それよりも今は、急いで拠点に戻ろう」
いつの間にか、のんびりと雑談する空気になっていたのに気がついたフィロは、話を切り上げて椅子代わりにしている倒木から起き上がるようにとジェスチャーをして、二人も渋々ながら従った。
フィロはそんな二人を鼓舞するように、あえて大げさに語りかける。
「疲れている気持ちはわかるが、あと少し頑張ろう。俺の見立てだと、そろそろ拠点に通じる洞窟ぐらいはあるはずだ」
小さな子供の姿というのはこういう場合、有効に働くようだった。
素の哲夫のような成人男性であっても、ある程度の効果はあっただろう。だが、自分よりも小さな少女に気遣われるというのは、大人としては心苦しくなるようだった。
「そ、そうだね! ありがとうフィロちゃん。もう少し頑張ろう、ほらお前も!」
「お、おうよ。フィロちゃんが頑張ってるのに、俺達が怠けるわけにはいかないな、確かに!」
「……だから、ちゃん付けはやめろって。ほら、いくぞ」
三人は再び、フィロを先頭にして森を進み出した。
道中で何度か獣の気配に近づいたが、回り道をして回避したり、遭遇してもフィロが大剣を武想して威嚇すると獣は興味を失ったように立ち去り、戦闘になることはなかった。
そのまましばらく歩き続けると、拠点に通じる洞窟と、その場を守るように立つ二人組がいた。
「フィロ・サルファだ。遭難者? を、救出した。こいつらことは任せても良いか?」
「もちろんですよ、お二人はこちらへ。それにしてもフィロさん、タイミングが悪かったですね……」
「ついさっき、カゲトラさんが精鋭部隊を率いて、遠征に出発したところです。今からだと追いつけないでしょうね」
「遠征? 一体どこへ……」
話しについて行けずに戸惑うフィロに、二人は用意された言葉を続けた。
「他社の拠点地へ。救出に向かう、らしいです」
「カゲトラさんからの命令で、残った私たちは順番にこの世界から離脱するように、とのことです。フィロさんも、拠点の中に入ったらログアウトしてください」
「あ、ああ。了解した」
フィロは、ついさっきこの世界に来たばかりなんだけどな。と、心の中で愚痴を垂れながら、安全な洞窟を進んで拠点の中に入った。
撤退命令が出ているというのは本当のようで、中はほとんど活気がなく、拠点の防衛用に数人が残っているだけで閑散とした有様だった。
広場の中心には手作りの看板が掲げられ、そこには『完全撤退まで残り30分』と手書きで文字が刻まれている。
「……なんだかな」
状況に振り回されているとは感じながらも、この場に残ってもやることがないと判断したフィロは、おとなしく世界から離脱することにした。
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