唯我・ヒーリアム

 城壁の頂上から飛び出したフィロは、風を切り裂く羽のように重力に引かれながら滑空した。

 背の高い木の枝に舞い降りて、方角を見極めてから再び跳躍する。

 ムササビのように木から木へと飛び移り、地上を爆走する唯我を追い抜かし、誰よりも早く救難者の元へとたどり着いた。


 高い木の枝から垣間見えたのは、巨大な鶏型の獣から逃げる男女二人組のパーティだ。

 鶏の獣は、見たところどうやら、足はそこまで速くない。

 だが、身長の倍ほどはある巨体に追われ続けるのは相当なプレッシャーなのだろう。

 離れた場所で木の陰に隠れる二人は、身体を震わせながら脅威が去るのを待つ。

 しかし鶏は何らかの方法で二人の居場所を察知しているようで、迷いのない足取りでゆっくりと近づいてきた。


 バキバキと、木の枝がへし折れる音が近づいてくる。

 耳を塞いだまま震えてうずくまる女性に、相方の男性が近づいて、優しく肩を叩く。

「なあ、聞いてくれないか……大事な話がある」

「なによ! こんな状況で……」

「俺は、お前のことがずっと好きだったんだ」

「なによ……こんな状況で!」

「こんな状況だから、だろ! なあ、今じゃなくていい。生きて帰ったら、返事を聞かせてくれないか?」

「馬鹿! 生きて帰ったらだなんて……まさかあんた、あのばけものと、戦うつもりなの⁉」

「俺が時間を稼ぐ。お前は逃げろ。逃げて生き延びてくれ……なあに、俺だって死ぬつもりはない! 生きて帰って、告白の返事を聞かなきゃいけないからな!」

「なによ、私はそんなの望んでない! だったら私も……」


 服の裾を掴む手を振りきって、一人の男が鶏の獣に立ち向かう。

 この世界での初めての死を覚悟して、震える身体を奮わせて、さあ来いと言わんばかりに両手を広げた男のすぐ目の前に、空気を読まない一人の少女が舞い降りた。

「お二人さん、良い雰囲気のところ悪いが、もう少しだけ諦めないでくれ?」

「女の……子?」

 呆けて言葉を失う男のことなど気にもしないように、少女は巨大な剣を武想する。


「クケーッ!」

 鶏の獣は、突然現れた小さな剣士を敵と認識し、雄叫びをあげてから一気に距離を詰める。

 かかと落としのように振りおろされた鋭い爪と、フィロの大剣が交差し、ギリギリと金属音が鳴る。

 フィロは剣に乗った全長一メートルを超える巨大な鶏の全体重を押し返す。

 瞬間的に宙に浮いた鶏に対して大剣を振り上げるが、鶏は飛べない羽で羽ばたいて後ろへ下がり、斬り上げ攻撃は空振りに終わる。

 互いに一筋縄ではいかないと直感した少女と鶏は、じりじりと距離を詰めながらにらみ合う。


 緊迫した空気のなか、女性をかばうように手を広げたまま固まっていた男性が、思い出したように動き出した。

「お、おい、そこの女の子! 君も、彼女と一緒に逃げるんだ! あいつはこの僕が……時間を稼ぐから!」

「お前、まだそこにいたのか……って、そりゃそうか」

 フィロは今更になって、二人に拠点の方角を伝えていないこと、そもそも「逃げろ」とすら伝えていなかったことを思い出す。

 この調子の二人だと、そもそも逃がしたところで拠点まで逃げ切れるかが不安だな……などと考えていると、森の奥から強い気配が勢いよく近づいてくるのを感じた。


「大丈夫だ、安心しろ。すぐにもっとやばい奴が……ほら来た!」

 タイミングを見計らったかのように、戦場に一陣の風が吹く。

 森から入ってきた風は、目にも留まらぬ速さでフィロ達三人の合間を抜けて獣に迫る。


「グゲェ……」


 断末魔をあげた鶏は、一瞬にして胴体と頭部が切り離される。

 その脇には、血振りをしながら武想を解除する唯我の姿があった。

「待たせたな! まさかこの俺の頭上を、追い超していく奴がいるとは思わなかったぞ!」

「唯我先輩! 初めまして。俺は……」

「サルファだな! 知っているぞ、リティアムの弟子の。だが話は後だ。お前はそこのを拠点に連れて行け!」

「唯我先輩は?」

「俺は、あれらを片付けないとだろ? 良いか、後輩。心象世界このせかいでは、獣は一匹みたら百匹いると思うんだぞ」

 唯我の指さす先では無数の眼光が森の暗闇で輝き、獣の咆哮が木霊した。

 ついさっきまで気配もなかった。

 それは、この世界がいかに「唯我の危険性」を理解しているかの証明のようでもあった。


 殺気を隠そうとしない唯我の元には、常に無数の獣が呼び寄せられる。

 唯我にとっては、この程度の獣はいくら集まろうと問題にならない。

 だが、いかに唯我であっても、仲間を守りながら戦えるほどの強さは無い。

 というか、唯我は仲間を守りながら戦うというのが、どうにも苦手だった。

 唯我にぴったりとくっ付けば、そこは台風の目のように安全かも知れないが、少し離れた瞬間に獣の群れが常につきまとう。

 フィロは即座に、ああ、この先輩の近くこそが最悪の危険地帯なのだ。と理解した。

「そういうことなら、ここは先輩に任せるか……お二人さん、こっちだ。ついてきてくれ!」

「あ、ああ……」

 フィロに声を掛けられた男女二人は、自分たちをここまで追い詰めた獣を容易く屠る唯我に、恐怖の対象を移していた。

 この獣以上に化け物な人達と戦争をすることを考えて戦慄した。直後、よく考えたらこんな状況だから戦争は中止だろうと考えて、より深い安堵の吐息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る