病める世界

 口を大きく開け、唸るように威嚇する恐竜と、ぎこちなく槍をまっすぐ伸ばすソウルが対峙する。

 先に動き出したのはソウルの方だった。距離を保つ恐竜に対して一歩前に踏み出しながら槍をグッと突き出した。

 緊張と恐怖からかゆったりとした速度で繰り出される突撃を身をよじって避け、そのまま真っ直ぐにソウルの懐に潜り込む。

 

 グロテスクな口が開けられソウルが恐怖で目をつぶり、カゲトラが助けに入ろうとした瞬間に、それよりも早く何かがソウルと恐竜の間に割り込んだ。

 鋭い牙が噛みついたのはソウルの無防備な腕ではなく、堅い板のような材質だった。


 ソウルが武想し全員の意識を集めていた瞬間に、フィロも同時に武想していた。

 勢いなく突き出されるソウルの攻撃を見た瞬間に今の状況を予想したフィロは即座に加速して立ち位置を調整し、恐竜とソウルのちょうど間に割り込むように、間違ってソウルにぶつけないように慎重に大剣ぶそうを振り下ろしていた。

 フィロは敵から目をそらさずに、真後ろで震えるソウルを足で軽く蹴り飛ばしてこの場から逃がした。


「バカ、やる気がないなら前に出るな!」

「ご、ごめん! フィロちゃん、僕は役に立たなくて……」

「後悔は後でいい! それよりもこいつ、俺の剣を銜えて、離せ、このっ!」

 身長の倍ほどもある大剣に食らいつく恐竜ごと、フィロは軽々と持ち上げた。

 そのまま地面に叩きつけようとすると、ようやく口を離し、空中で回転して足から地面に着地する。


「shーーー」

 恐竜の姿をした獣は、標的を完全にフィロ一人に絞り、声帯を震わせて威嚇の声を出しながらじりじりと間合いを詰めてくる。

 フィロは巨大な剣を中段に構え、互いに互いの隙を窺っていた。

「おい、俺が仕掛けるから、お前はその後の隙を突いてくれ」

 フィロの後ろでソウルは、ようやく落ち着きを取り戻していた。

 自分よりもはるかに小さい女の子に守られ、しかも頭ごなしに命令されている状況を恥じるような余裕さえなかったのは、おそらくこの状況では幸運だったのだろう。

「(わかった)」

 と、声に出さずに首を縦に頷いたソウルの気配を感じ取ったのか、フィロは大剣を思い切り振り上げて、そのまま地を蹴りながら勢いよく振り下ろした。

 正確に眉間へと振り下ろされるそれを、恐竜の獣は軽く左へ避ける。

 何もない空間を通り過ぎた大剣を、フィロは踏ん張りながら地面に当たる直前で止め、そのまま恐竜の避けた逆方向に十センチほどグッとためを付けてから、一気に振り上げる。

 振りおろしほどの勢いがない剣撃を、恐竜の獣は避けるのではなく受け止める。

 固い地面に鋭い爪を食い込ませ、再び大剣は食らいつかれて固定される。

 フィロが力を込めても、今度はビクリとも動かない。

 同時にそれは、恐竜の獣がその場から動けないことも意味していた。

「今だ、やれ!」

「任せて、フィロちゃん!」

 フィロとソウルはほぼ同時に声を発していた。

 フィロの後ろに隠れていたソウルが一気に加速して、その勢いのまま槍を突き出した。

 今の状況がフィロに仕組まれたものだったのだと、気づいたときには、すでに槍は深々と突き刺さっており、恐竜の獣は苦しそうに呻き声を上げてから消滅した。


 大剣を押さえつける力が消滅したことを確認してフィロは武想を解除し、ソウルはその場にしなしなとへたり込んだ。

 その様子を後ろで見ていたカゲトラが、腕を組んで頷きながらゆっくりと二人に近づいてくる。

「二人とも、よくやった。フィロは、まあ及第点だ。ソウルは、精神面は成長を待つしかないとして、もう少し槍を使う練習をした方がいいかもな」

「ああ、ありがとう」

「はい、帰ったら素振りをします」

 フィロとソウルがそれぞれ同時に返事したのに頷き返し、カゲトラは恐竜が出現した地点へと向かう。

「さて、何が出るかな……」


 カゲトラが無遠慮にその場所へ足を踏み入れると、景色が一瞬にして切り替わる。

 そこはとても華やかな場所だった。

 ホールのような空間は白一色にまとめられ、多くの人が仮面のような笑顔を浮かべている。

 同時に身のうちから沸々と湧き上がるような、熱気に包まれているようだった。

 扉が開き、純白の衣装に身を包む女性が現れた。顔面を塗りつぶされたように抽象的なその女性は周りに手を振りながら、壇上で待機する花婿の元へと向かう。その最中に事件は起きた。


 視界が急に立ち上がる。

 周囲の注目が集中するのを肌に感じながら、ずいずいと花嫁の元へと近づいていき……

 硬く握った拳が繰り出された。

 目の前の女性からは驚きと戸惑いが。周囲からは怒りと困惑が。花婿のいる辺りからは怒りの感情が。

 そのまま観測者の腕が女性の首元を握りしめ、苦悶が指に伝わってくる。


「こんなの、フィロちゃんは見ちゃ駄目だ!」

 ソウルが慌ててフィロの視界を遮ろうとするが、直接肌に感じる光景を隠す方法は存在しなかった。

 そのまま情景は進展する。

 目の前の女性から次第に力が抜けていく様子をソウルは苦悶の表情で。そしてフィロは感情を殺したような無表情で眺めていた。

 そしてカゲトラは……面倒くさそうな顔で、空間の中から何かをつまむようにして、そのまま勢いよく引き剥がした。


 バリバリ……と、激しい音を立てて空間が崩れ去っていく。

 吐き気を堪えるように胸を押さえていたソウルは、深呼吸をしながら崩れ去る世界から目をそらし、カゲトラを見た。

「カゲトラ先輩……一体、何を? 世界を破壊したのですか!? なんてことを!」

「そんなこと言われても、わかりきってる事実に興味はないからな。それよりも、来たぞ」


 崩れた先には、一頭や二頭ではない。無数の恐竜が暗闇の中から目をぎらつかせていた。

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