救われぬ魂

 記憶の再生は突如、音を立てて崩壊した。


 世界が負荷に耐えきれなかったかのように。

 元の苔むした廃墟の世界に切り替わり、それすらバラバラと崩壊を始めている。


 カゲトラが大きく息を吐き出した。

「……まあ、成果はあった。帰るぞ」

 世界の終わりのような光景に慌てる様子もなく、ただ淡々と離脱の手順を進める先輩の姿に、ソウルは憤りを隠せない。


「カゲトラ先輩、あの人は? あの人は加害者かもしれない。だけど被害者でもある! どうすれば助けられるのかはわからないけど……」

「ソウル、あれのことは諦めろ。どうしようもない」

「先輩! それは確かに、人殺しを許すのは簡単なことじゃないかもしれませんが……!」

「そうじゃない、そういう意味で言ったんじゃないんだ」

 カゲトラは、真摯な瞳から目をそらすように、手元で何かを操作している。

 それでもじっと顔を見つめてくるソウルに、カゲトラはようやく、諦めたように顔を向ける。

「この記憶の世界の持ち主はすでにこの世にはいない。なんでも自殺したらしい。言っただろ、この世界は原本じゃなくて複写だと。俺達は、死者の記憶を紐解いているんだよ」

「それじゃあ……ならせめて、彼女をかどわかした真犯人を裁きましょう! 僕たちはそのために、この世界に来たんですよね……!」


 それでもカゲトラは首を横に振る。

「それも、無理だろうな。何せ証拠がない。俺達が見たということを証明する方法が、今の世の中にはまだ整っていない。せいぜい、警察に『要注意人物』として情報をリークするぐらいだし、今のを見た限りだとそこそこに巧妙な奴のようだから、簡単に尻尾は見せないだろうな」

「そんな……」


「俺自身も、ここまでひどいとは思わなかったんだが……」

 カゲトラは、そう前置きしてから言葉を続けた。

「そもそもお前達を同行させたのは、俺達の現実を知らせるためでもあったんだ」

「現実……?」

 俯いて黙るソウルの代わりに、フィロが首をかしげて呟いた。

「そうだ。俺達の行為には大きな制約が科されている。死者を蘇らせるなんてできるわけないし、死者の無念を晴らすこともできない。いや、してはいけない」


「なぜですか!」

「例えば……そうだな、ソウル。お前にだって、個人的な秘密の一つや二つはあるだろう? 隠しておきたい性格や、過去に犯した些細な罪だとか、黒歴史だとか」

「そりゃ、ありますが……」

「俺達のこの技術は、それらを簡単に暴くことができる。しかもそれは、死者の記憶からでさえだ! そんな技術があると知れてみろ。何が起こるかわかったものじゃない」


 例えばこの技術を封印する活動が起こるか。

 あるいは、あらゆる人権が無視されて記憶を暴かれる世界が来るか。


「今回は、記憶の主が天涯孤独の犯罪者で、警察から調査の要請があって。その上で上層部が協議して、極秘裏に進めるという制約を付けて始めて潜行の許可が下りたんだ。技術者達は、データが取れると喜んでいたが、世の中そんな単純じゃない……よし」


 言葉と共に、カゲトラは手元の操作を完了した。

 崩れゆく世界の中心で、カゲトラ、フィロ、ソウルの三人が足元から光りに包まれる。


「ソウル、お前はとりあえず今日はもう休んでいいぞ。報告と資料作成は俺がやっておく」

「はい……わかりました」

 不服そうな顔でソウルが頷くと、一足先にソウルだけがこの世界から離脱した。


 残されたフィロは首を傾け、身長差のあるカゲトラを見上げた。

「さてフィロ。お前は平気そうだな。女の子なのに凄いな。いや、女の子だから……か?」

「まあな。女の子ってのは関係ないと思うが、まあ世の中そんなこともあるだろ。事情もちゃんと、説明してくれたし、腑に落ちないが、納得はできたからな」

「そうか、強いんだな。さてお前は、とりあえず向こうに戻ったら鈴木さんに連絡を入れてくれ。その後どうするかは、多分鈴木さんから聞いてくれ。返事が来るまでは……まあ、ゆっくり休んでいればいい」


 フィロの身体も徐々に光りに包まれ、急に視界が暗く閉ざされる。

 カプセルが開く機械音が聞こえ、隙間から徐々に光が差し込んでくる。

 さっきまで目の前にいたカゲトラの姿は当然そこになく。

 哲夫は一人きりで、狭い個室で目が覚めた。


「……さて、鈴木さんに連絡を、だったな」

 ゆっくりと起き上がって軽く伸びをして、ベランダを通って301号室へと移動する。

 パソコンのメールソフトを起動して、宛先一覧から『鈴木(ベル)』を選んでメールを書いた。


『鈴木さん、カゲトラ先輩の研修が終わりました。次の指示をください』


 ピロンと送信音がしたのを確認して、哲夫はそのままオフィスチェアにゆったりともたれかかった。

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