マクロファージ
探索を始めて30分が経過した。
特に合図があったわけでもなく、不意に戦端は開かれた。
張るか遠くから、山彦となっていくつもの爆発音が届く。
周囲の偵察を行っていた部隊同士が、散発的に戦い始めたようだ。
戦闘禁止時間前から敵を捕捉して、時が来ると同時に仕掛けたのだろう。
広い世界の数カ所で同時多発的に発生した戦闘は、決着がついたのか、あるいはどちらかが逃亡したのだろうか。
一分も経たないうちに音が絶えはじめ、気づけば世界全体を無音の緊張が包み込んでいた。
「始まったね」
「ああ」
「私たちも、移動しようか」
「……ああ、そうだな」
戦闘開始の瞬間が一番事故に遭いやすい。そう判断したかぼちゃは、フィロと共に小さな洞窟に陣取って最初の数分間をやり過ごした。
実際かぼちゃの推測は間違っておらず、この数分間で心象世界での死を体験した者は数十人近くいた。
全体の参加者数から考えると、すでに1割程度が脱落したことになる。
気を張り詰めたまま洞窟から顔を出したかぼちゃは、ハンドサインでフィロを呼び寄せてゆっくりと森の中を歩き出した。
「かぼちゃ先輩、みんなは無事だろうか」
「さあ。無線機の持込はできなかったからわからない。私たちは、負けてないと信じて戦うしかないよ」
「……そうだな」
かぼちゃが先に進み、フィロは後ろに注意しながらその後を追う。
長年心象世界で戦っているかぼちゃはともかく、フィロにこのような訓練を受けた経験はない。
だから事前に二人は「何かあるまでは協力するけど、何かあったら自分で判断する」と決め合っていた。
そしてその「何か」は、意外な形ですぐに発生した。
散発的にどこかで発生する戦闘音が一段落した……次の瞬間に、かぼちゃから強い闘気が発される。
「フィロ!」
声だけが残り、かぼちゃの姿がフィロの視界からかき消えた。
気配の行く先に視線を移すと、数十メートル先で、かぼちゃが何かを蹴り上げていた。
どごぉっという鈍い音が遅れて届く。
目線をあげると、打ち上げられた何かが、バラバラと崩れていく。
それは、人の姿ではない何かだった。
全身が分厚い毛皮に覆われているようで、ずっしりと丸い体に四足が生えている。
直後、答え合わせがフィロの真後ろに出現した。
「猪の……獣?」
突然現れた気配に振り返ると、見上げるほどに巨大な猪が、木々をなぎ倒しながら猛進していた。
フィロはその場で飛び上がり、牙を剥きだしに突撃する猪を飛び越える。
飛び越え際に大剣の武想を展開し、空中で身体ごと横に振り回す。
剣の腹を叩きつけられた猪は勢いよく吹き飛び、数メートル離れた地面に足から着地し咆哮を上げる。
悲鳴によく似たその声に呼応するように、森の木々がざわめき、次々に姿を変えていく。
獣の姿は一様でなく、哺乳類や爬虫類などの地上の生物に混じり、宙を泳ぐ魚類や人間大の微生物の姿もあった。
近づいてくる獣々に武想を向けて威嚇しながらかぼちゃを見ると、かぼちゃの方も似たような状況になっている。
「フィロ、聞こえる⁉ 撤退する、拠点まで!」
「わかった、拠点で落ち合おう」
瞬時に判断したかぼちゃは簡潔な指示を出すと同時に姿を消した。
混沌とした状態で中途半端な連携を取るよりも、それぞれが自発的に行動した方が生存確率が高いと判断してのことだった。
この状況でフィロを守り切ることはできないという考えもあったが、フィロはそれを「信頼された証拠」とポジティブに受け取り、武想を消して勢いよく地を蹴った。
一蹴りで森の樹木の高さを超えて、山全体を見渡すと、獣が発生しているのはフィロとかぼちゃの周辺だけではなかった。
森の何カ所かがざわざわと騒がしい。
おそらく、他のダイバーがいる地点にも、同様に大量の獣が発生しているのだろう。
至る所で獣が湧き上がる。
そのうち何カ所かでは恐怖と苦痛の悲鳴が上がり、人の気配が絶えると同時に獣たちが土に帰る。
それはまるで、体内に入った細菌を取り除く免疫細胞のようだった。
しばらく逃げ回りながら、手探りで気配を抑えると、少しずつ獣の沸きが収まり始めた。
獣……ひいてはこの世界に対して敵意を向けると、それに呼応するように世界は獣に姿を変える。
逆に、警戒を解くように無関心を装うと、少しずつだが獣は世界に溶けるように消えていく。
その傾向に気づいたフィロは、昂ぶる心を抑えながら、ただひたすら回避と防御に徹し続けた。
「ふぅ〜……」
武想はせず、殺意を無心で受け流す。
三十分ほどそうして逃げ続けていると、やがてフィロの周りに獣は湧き出さなくなった。
まだ騒がしい世界の中を、フィロはゆっくりと拠点に向けて駆けだした。
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