火蓋

 心象世界では一部例外フィロを除き、服装こそ非現実的であるものの、顔や体格は現実と同じものになる。

 大人ばかりの中に放り込まれたフィロは、見ようによっては迷子の子供のようだった。

 フィロの存在を知らないダイバーの中には、心配そうな顔をする者や、不審な目を向ける者もいる。


 しばらく人混みの中をうろうろしていると、不意に後ろから声をかけられた。

「フィロ、見つけた」

「あ、かぼちゃ先輩!」

 フィロが『かぼちゃ』と口にした瞬間、周囲に緊張が走り、かぼちゃは人差し指を口元にそっと当てた。


 ざわめきに耳を傾けると「かぼちゃ? Sランクの?」「さすが、ただならぬオーラだ」と、かぼちゃを噂する声に混じり「かぼちゃ様の相棒が、あんな子供……?」と、フィロに向けて嫉妬するようなつぶやきが漏れているようだった。

 かぼちゃ自身も居心地が悪かったのか、チッと舌打ちをしてからフィロの手を引いて人混みを通り抜けていく。

「フィロ、話はどこまで聞いてる?」

「いや、なんか大変なことになってるとしか……」

「そっか。そのうち誰かが話すと思うけど、なんか日本の代表を賭けて戦争になるんだって」

「戦争⁉」

「うん。長い間かけて準備されてたみたい。私たちにも秘密ないしょで」

 驚いた声を上げるフィロに、かぼちゃは怒り顔をした。


 フィロとかぼちゃが人混みを離れた場所に落ち着くのとほぼ同時に、真っ白なだけで何もなかった空間が突然変形した。

 半径5メートルほどの円形を中心とした、すり鉢状の構造だ。

 音もなく隆起する地形に足を取られた者もいたが、身体能力が現実世界よりも高いこともあり、転ぶ者は一人もいなかった。

 ちょうど全員が見下ろすような構造になった中心のステージに、いつの間にか二人の男が立っていた。


 片方には見覚えがあり、もう片方は初めて見る顔だ。

「フィロ、あっちがカゲトラ。もう片方は唯我だよ。どっちもSランク」

 かぼちゃが舞台上を指さし、フィロは無言で頷いた。

 ざわざわと動揺が収まらないダイバー達は、唯我が手を叩くと水を打ったように静まった。


「初めて会う奴もいると思うから自己紹介する。俺は唯我。大将をやることになった!」

「俺はカゲトラ。副将を任された。改めてよろしく頼む!」

 大将、副将? と、困惑する聴衆が騒ぎ出す前に、唯我は両手を前に出して静まるようにとジェスチャーをする。

「今回俺達が急遽招集されたのは、他社と戦争をするためだ。ついさっき米国の某企業が、新技術として心象世界にダイブする技術を公開した。だがその前からすでに、いろいろなところに兆候が現れていた。国内の、我が社と類似したことを研究開発している企業とは、かなり前から極秘に交流があったんだが……」

 唯我が言いよどむと同時に、カゲトラが一歩前に出て言葉を引き継いだ。

「本来は、国内企業同士で競争しながら成長していく予定だったんだが、海外企業に先を越されてしまったわけだから、手をこまねいているわけにもいかない。それで、直接闘って勝った方を国内代表にしよう。ということになったらしい」


 カゲトラが言い切ると、再び聴衆がざわめき出す。

 今まで、獣相手以外には、模擬戦程度でしか闘ったことのない者がほとんどで、戦争と言われても状況が上手く掴めていないようだった。

 不安そうな声や、逆に闘志に満ちた声が落ち着くのを待ってから、再びカゲトラが話し出す。

「戦いの形式は、大将が殺された国から順に敗北となる、集団戦。ちょうど今から15分後に、それぞれの会社が持つ複写世界同士を連結させた世界が舞台になる。参加企業は、我が社を含めて3社。連結複写世界の解放後30分は準備期間として戦闘禁止だが、その後あらゆる行為が解禁される」

 カゲトラが一通り説明を終え、唯我は左手首についている腕輪を見せるように手を上げた。

「それぞれの企業の大将は、この疑似武想を身につけることになっている。つまり、これを身につけている奴が倒されれば、他の全員が無事でもその団体は敗北したことになる」

「うちの大将は見ての通り、唯我に任せることにした。人員に不満がある奴もいるかも知れないが、急いで決めたことだ、納得してくれ」

「気に食わない奴は、かかってこい! 返り討ちにしてやるだけだがな!」

「馬鹿、味方を挑発するな……」


 全方向に敵意をまき散らす唯我の頭をカゲトラが軽く叩こうとすると、唯我は身を捻って躱し、瞬く間に武想で反撃を繰り出した。

 何かがキラッと光った次の瞬間には、カゲトラと唯我の間に火花が散り、カゲトラの刀だけが宙を舞う。

 ガリガリという金属同士がぶつかり合う衝撃波が、数秒遅れて意識に届く。

 唯我の手に持つ曲刀は、カゲトラの喉元に正確に当てられて、カゲトラは引きつった顔で両手を挙げて降参していた。


 今のやりとりで、この場に集まった全員が唯我との実力差を理解して、同時に「おっかねえ」という、同じ感想を抱いていた。

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