自主学習

 少しの休憩で体力と精神力を回復した哲夫は、ベランダから301号室に戻る。

 PCを開くと、鈴木からメールが来ていた。

 ついさっきの出来事はすでに共有されているようで、哲夫のことを気遣うことと、この後は自由に過ごして良いということが書かれていた。

 一般社員用の研修資料を読み進めても良いし、今日はもう買えって休んでも良い。とすら。

 帰ってもやりたいことが思いつかない哲夫は、PCに保存されている『研修用』というフォルダからオンライン教材を起動した。


 ◇


 この会社の社員は、心象世界にアクセスする『ダイバー』と、それ以外の『一般社員』にわけられる。

 実際に心の中に入るのはダイバーの役割だが、一般社員にも様々な役割が存在する。

 カプセル型の端末を整備する技術もその一つで、あらかじめ用意されたプリセットを割り当てるだけでなく、相手に応じて感度などを調整する技術もゆくゆくは必要になるらしい。

 その技術だけを特に極めて、定期的にダイバーから指名を受けるようになれば、給料だけでなく、会社内の立場さえも向上することになる。

 また、顧客の開拓も一般社員の大事な仕事だ。

 心象世界の探索は新技術ということもあり、実は100%の安全が保証されるものではない。その上で更に、大金を支払ってまで協力してくれる人を探さなくてはならないのだ。

 悩みやトラウマの解決、解消ができる可能性がある。

 忘れた過去の記憶を掘り起こすことができる可能性がある。

 この技術でできること、できないことをちゃんと理解して、嘘にならないように伝える。

 その上で依頼内容などから金額を見積もって伝え、顧客と交渉して受注を獲得する。

 そうやって、信頼を積み重ねているからこそ、ダイバーが活躍できるのだ。とか。


 ちなみに、ある意味当然だが、同じ依頼でも能力の高いベテランほど指名料が高くなる。

 会社所属のダイバーには『F』から『A』と、特急扱いの『S』でランク付けがされていて、人数もピラミッド状に上に行くほど少なくなっている。

 かぼちゃのランクを確認すると、なんと、現時点で三人しかいないとされる『Sランク』となっていた。


「へぇ……かぼちゃ先輩って、実は凄い人だったんだな」


 感心しながら更に読み進めていく。

 ダイバーごとにスケジュールが公開されているので、社員はそのスケジュールを見ながら提案活動をすることになるらしい。

 実際にスケジュールを確認してみると、Aランク未満の予定は乗っているが、AランクやSランクのダイバーは予定を公開していないようだった。

 つまり、AランクやSランクのダイバーを紹介するには本人とのコネクションが必要になり、実際のところその権限は一部の社員に独占されていることになる。

 表面上は『平等な制度』と謳ってうたっておきながら、実際には複雑な事情があるようだ。


 ◇


 哲夫が資料を読みながら学習を進めていると、不意にピンポンと部屋の入り口の方から音が鳴った。

 PCの画面には『来客です』というメッセージと共に、カメラから送られてくる画像が映される。

 301号室の外、廊下にはスーツを着た男女が4人立っていた。

 よく見ると、昨日一緒に研修を受けた新入社員が揃って訪れたようだ。

「あいつら……?」

 何も聞いていない哲夫は首をかしげながら、画面上の『通話』ボタンを押す。

「はい」

『あ、ども! 渡辺っす、昨日一緒に研修受けた』

「ああはい、賢木です。何かご用か?」

『いや、用って言うか、これから俺達でランチ行くっすけど、賢木さんも一緒にどうっすか?』

「なるほど」

 時計を見ると、確かにもうすぐ正午の針が重なろうとするところだった。

 意識すると、少しずつ空腹感が小腸の辺りで主張し始めた。

『で、どうっすか? さとっちが良いお店見つけたって言ってるんすけど!』

 カメラの向こうで、笑顔の女性——確か佐藤さん——が手を振っていた。

 誰が言い出したのかはわからないが、せっかくだから同期でコミュニケーションを取ろうということになったのだろう。

 五人のうちで哲夫が最後になったのは、一人だけ転職組で年齢が離れていたから。

 決して、コミュ力に差があったわけではない……はずだ。少なくとも哲夫自身はそう判断した。


 コンマ数秒で状況を理解した哲夫は、カメラに向かって「わかった、そういうことなら」と言い、通話を終了させてPCをスリープさせる。

 鞄から財布だけを出して手に持ち、小走りで玄関の扉を開ける。


「あ、どもども! 賢木さん、お疲れ様っす! それじゃ早速、行きましょっか!」

「どもー! んじゃ案内するから……とりあえず外に出よっか!」

 渡辺と佐藤がわいわいと騒ぎながら廊下を進み、伊藤と高橋は「うちの同期がすんません」と哲夫に向かって苦笑する。

 若者達の勢いに圧倒されながら、なんとなく場違いさを肌に感じながら、哲夫は四人の後を追った。

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