揺れ動く

 武想を解除して立ち尽くしていると、耳元が突然騒がしくなる。

『フィロ様! 敵性の反応が、突如消滅しました! 何かありましたか?』

「あ、ああ……そうだな。俺が討伐したから……その、突然暴れ出したから」

『そうですか、フィロ様はご無事ですか?』

「俺は大丈夫だ……その、本当に済まない」

『起きたことは仕方ありません。フィロ様がご無事で良かった……』


 適当に言ったでまかせがそのまま信じられてしまったことに罪悪感を覚えながら、フィロはなぜ自分が嘘をついたのかを自問自答した。

 管制室の意見を聞かずに勝手に判断したから?

 それもあったのだろう。「殺さずに捕らえろ」と言われたところで、行動は変わらなかっただろう。

 フィロには、あんなにも真摯な目で死を願う男を、拘束して利用するなどできなかっただろうから。

 であれば、むしろ意見を聞くのは悪手になることがある。

 全員同意の上で殺すのであれば問題ないが、意見が対立した場合、フィロが孤立してしまう。


 そしてそれ以上にフィロは、ここが現実ではないとはいえ、いとも簡単に人を殺してしまったことに戸惑っていた。

 人並みの慣性を持っているつもりでいた。

 テレビで放送される凄惨なニュースを聞いて、心を痛める程度には。犯人を許せないと共感できる程度には。

 だというのにさっきのフィロには、躊躇が微塵も存在しなかった。

 まるで本当に、無邪気な少女がそうするように、巨大な剣を振り下ろしていた。

 敵が暴れ出したから仕方なく……というのは、フィロの中の哲夫が、そうであってくれと願った結果、口から飛び出した言葉なのかもしれない。


 フィロが肩を落として武想を解除すると、ヘッドセットから管制室の喧噪が聞こえてきた。

『フィロ様、では結局、男が何者なのかはわからないですね……』

「いや、その話は少しだけ聞けた。なんでもあいつは、アメリカ軍の、軍人らしい」

『……!』

 管制室で緊張が走ったのが、通信越しにすら伝わってくる。

『フィロ様! かぼちゃ様と合流してから帰還してください! かぼちゃ様の元へ誘導します!』

「了解した。案内を頼む」


 管制室からの指示は、道筋を示すものではなく、方角のみを示すものだった。

 どうやら向こうからは、こちらの様子が座標の情報としてしか確認できないらしい。


 回り道をしたり建物を飛び越えたりもしながら指示された方向に直進すると、かぼちゃとクローフィの姿が見えてくる。

 ちょうどかぼちゃが、人の身長ほどもある大きな狐の首元をかぼちゃが鷲掴みにして、投擲しているところだった。

 直線的な軌道で壁に叩きつけられた狐の獣は、断末魔をあげる間もなく砕け散る。


「ん、フィロ? どうしたの、何かあった?」

「かぼちゃ先輩! いろいろありまして、一度帰還することになりました」

 フィロはヘッドセットを取り外しながら、戦闘態勢を解除するかぼちゃに近づいた。

 かぼちゃは片耳にスピーカーを当てて管制室と簡単にやりとりをする。

「そう……はい、わかりました。というわけでクロフィ、帰ることになった、悪いけど」

「え、マジすか……」

「あと、クロフィは帰ったらメンタルチェックだって。ドンマイ」

「ヴェッ……マジすか……」


 かぼちゃの言うメンタルチェックとは、口答での質問から筆記のテストまで、1時間以上かけて精神に異常が無いかを綿密に調査するものだ。

 真剣にやらなければ何度でも再実施されるので気を抜くこともできず、かなり体力を消耗する。

 基本的に、心象世界を提供するときに一度だけ実施されるのだが、改めてそれを受けると聞いてクローフィはげんなりと肩を落とした。

「それじゃ、私はクロフィを連れて帰るから。フィロはまた後でね」

 かぼちゃはそう言い残してこの世界から消え去る。

 心象世界の主であるクローフィが消滅するに伴って、背の高い建物から順にボロボロと崩れていく。

 最後にフィロは、ついさっき敵と戦った辺りを眺める。

 すでにそこには誰もいない。

 瞬きをすると、フィロの身体も世界から消滅した。


 ◇


 カプセルの蓋が開き、哲夫はそのまま起き上がる。

 その瞬間に、両手のひらに生々しい感覚が戻ってくる。

 額に背中に冷や汗が流れる。

 手汗をシャツで拭ってから端末を抜けて、部屋の隅にあるソファに腰掛けた。


 こちらの世界に戻ってきても、人を殺した感触は消えなかった。

 罪悪感と自己嫌悪がない交ぜになった不快感が身体の熱を奪っていく。


 獣ではなく、人を殺している。という自覚はあった。

 電子の世界とこちらの世界で、明確に区別があったわけじゃない。

 だが、現実世界で同じ状況になったらどうするだろう。

 間違いなく躊躇するだろう。悩んで、苦悩して、その上で苦渋の決断だろうと思う。

 少なく俺は、そういうまともな人間だ。そう思っていた、はずだった。

 だというのに、あの時の哲夫フィロは、むしろ嬉々として大剣を振り下ろした。

「俺は……?」

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