いざこざ

 二人と別れたフィロは、言われたとおり適当に歩き回ることにした。

「こちら、フィロ……なあ、どこか向かった方が良い場所とか、あるか?」

『こちら管制室……そうですね。ちなみに、周りには何が見えますか?』

「何と言われても……道が続いているだけだが」

『そうですか……いったんそのまま、調査を続けてください。何かあれば、すぐにご連絡をお願いします!』

「いや、調査といわれても……」

 何かを相談し合うような声が聞こえてから、ヘッドセットからは何も聞こえなくなった。

 どうやらかぼちゃの言うとおり、本当に「実験的な試み」で、管制室でも手探りで進めているらしい。


 調査をしろといわれたが、何から手を付けて良いのかわからないフィロは、当たりをうろうろと歩き回ることにした。

 この世界はどうやら一本道ではなく、複雑な曲線の道路の上に、ビル同士を繋ぐ橋が無数に交差していて、さながら立体的な迷路のようになっていた。

 フィロは身軽さを活かして地上から空中回廊まで軽々と飛び上がる。


『こちら、管制室。フィロ様の近くに強い反応があります! 確認してもらえますか?』

 フィロが、長い橋をゆっくり歩いていると、耳元から慌てるような声が聞こえてきた。

「強い反応って、何が!?」

『わかりません。フィロ様の正面から三時の方向……仰角十五度ほどの先です』

「二時の方向……って、建物があるだけだが……っ?」


 キラッと何かが光り、フィロに向けて何かが放たれる。

 直後、静かだった大通りにバァンと火薬が弾ける音が響き、フィロの手前、目と鼻の先を何かが勢いよく通り過ぎた。

 通信が入り、立ち止まっていなければ今頃、フィロの頭部を貫いていただろうそれは、向かい側の壁に弾痕を残して消えた。


「敵か? ……とりあえず、対処する!」

『敵……? この人の世界には、比較的おとなしい獣しかいないという報告があるのですが……?』

「知らん! 見た感じ、獣じゃない、人型だ。俺以外に誰か来ているのか?」

『いえ、フィロ様とかぼちゃ様、クライアントのクローフィ様以外がアクセスしている痕跡は……』


 フィロが報告を受けている間にも、何者かに見られているような感覚は強まり、立ち止まっているフィロの脳天をめがけて何かが放たれる。

 その場にしゃがみ込むことで回避をすると、フィロの真後ろで金属と金属がぶつかり合う鈍い音が鳴る。

「クソッ……話は後で聞く! とりあえず俺はあれを片付ける!」

 身を屈めて貯めたエネルギーを解放してフィロは飛び上がり、空中でバランスを取りながら隣のビルまで飛び移る。

 近づくと、射手の姿がはっきりと見えた。

 身長は百八十センチほどだろうか。都市では逆に目立つ深緑色の迷彩服を身に纏い、サングラスをかけた男が長大な銃の銃口を空中のフィロに向けて、引き金を引いた。


「容赦無しか……だが、無駄だ」

 撃鉄が落とされ、空の薬莢が排出される。

 音もなく発射され、即座に音速を超えた弾丸を、フィロは完全に捕捉していた。

 右手を前に出し、大剣を武想する。

 空中で身を捻りながら質量の塊を振り回し、5.69mmの殺意を受け流す。

 手応えでもあったのだろうか、一瞬だけ油断したように口角を上げて歯茎を見せた男のすぐ隣に、フィロは軽々と着地する。

 男はサングラス越しに目を見開いて無傷なフィロを確認し、即座に気持ちを切り替える。

 狙撃銃から即座に手を離し、腰の後ろから刃物を取り出すが、それはフィロの大剣に弾かれてどこかへ飛んでいく。


"fuckin ..."

 男は何かを言い捨てながらその場に膝をつき、両手を挙げて降伏の意を示した。

 フィロはいつでも剣を振り下ろせるように構えを解かず、男から目をそらさないままヘッドセットに少しだけ意識を割いた。

「おい、管制室! とりあえず下手人を押さえた。こいつはなんなんだ?」

『こちらでも、反応を確認できました! ですが、照合しても社員とは波長が一致しません』 

「波長……? まあいい、で、俺はこいつをどうすれば?」

『そうですね……少々お待ちください』

 それだけ言って、何も聞こえなくなった。おそらく現実世界側で、マイクをオフにしたのだろう。


 フィロが改めて見ると、男は日本人離れした頑強な肉体を持っていた。

 両膝を地に着けている今の状況でさえ、視線の高さはフィロと同じだった。

 このまま立ち上がって覆い被さるようにしたら、体格差だけで押さえ込めそうにも見える構図だが、実際にはそうならないだろうことを、フィロも男も理解していたのか、互いに微動だにしない状況が続いた。


『フィロ様、お待たせしました、結論が出ました!』

 空気を読まず突然大声を出した管制室に顔をしかめながら、フィロは「で?」とだけ聞き返す。

『おそらくその男は、他社の社員です。お手数ですが、所属がどこかなど、聞いて頂けますか?』

「聞いてくれって、なんて聞けば良いんだ? まあいいか、聞くだけ聞こう」


 フィロは通信機のマイクをオフにして、男の眉間をじっと見た。

「えーっと……うぇあ、あーゆーふろむ?」

「にほんごで、わかりますよ。わたくしは、がっしゅうこくぐんの、ものです」

「合衆国……米軍ってことか? なぜここに? いや、そもそも俺に言っても良いのか、そんなこと」

「だいじょうぶ、です。わたしはすでにきりすてられたですから」

「切り捨てられた……どういう意味だ」

「わたしは、わたしのコピー。わたしのいし、かんけいない。わたしはもう、もとのせかいにもどれない」

「記憶のコピー……そういうことか」


 フィロは、つい昨日潜り込んだ世界のことを思い出していた。

 カゲトラによるとあの心象世界は、すでに死んだ人間の記憶から創り出されたのだとか。

 だとすれば、世界ではなくアバターのコピーを生み出すことが可能でも、不思議ではない。


「あの、ちいさなけんし。わたしのおねがいを、きいてください」

「小さな剣士。わかった、聞くだけ聞こう」

「ありがとう。どうかそのけんで、わたしをkillくれませんか」

「殺してくれ……ってことか?」

「わたしはこのせかいからでられません。このままではこのひとにもめいわく、かかります。わたしはわたしをkillひとを、さがしているです」


 そう言って、男はサングラスを取り外した。

 青い瞳が真っ直ぐにフィロを見つめる。

 フィロは、男が本気で言っていることを感じ取り、目を瞑って数秒間悩んでから頷いた。

「わかった、その願いを、叶えよう」

「ありがとう、どうかちいさなけんしにかみのかごがあらんことを……」

 男は目を閉じて首を差し出すようにした。

 フィロは、嫌そうな顔をしながら男の横に回り込み、大剣を振り下ろす。

 手応えも特になく、フィロの剣が男の首元を通り抜け、男の身体は雲散霧消した。

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