偶像の世界

 会社の自室につくと、PCには鈴木からメールが届いていた。

 それによると今日は、始業から三十分は自室で自習。その後深層世界で仕事をするらしい。


 哲夫は指示通りにURL先のオンライン教材の動画を一つ見て、簡単なレポートだけ書いてから立ち上がった。

 ベランダから302号室に移り、昨日習った端末の設定を簡単に済ませる。

 とはいえこれは哲夫専用の端末なので、特に設定を変える必要もないのだが。

 接続先だけ、メールに書かれていた三桁の番号を設定して、完了のボタンを押す。

 カプセルの蓋を開けて中に入り込み、座席にもたれかかると徐々に意識が落ちる。


 瞬きをすると視界が切り替わり、フィロの顔に冷たい風が吹き当たる。

 辺りを見渡すと、どうやら背の高い建物の屋上。

 足元にはHのマークが書かれている、ヘリポートの中心に立っているようだった。

 空は青々と晴れ、白い雲がゆるゆると揺蕩っている。

「あ、いたいた。フィロ、こっち来て」

 声の聞こえた方を見ると、小屋のような小さな建物に、かぼちゃと見知らぬ男が一人立っていた。

 白っぽい金色の短髪の、背の高く、顔の良い男性だった。

 どこかで見たことあるような……などと考えながら建物の中に入り、かぼちゃが扉を閉めると嵐が遠のいて行く。ようやくフィロは一息ついた。

「えっと、かぼちゃ先輩……と?」

「この人が、今日のクライアント。どこかで見たことぐらいはない?」

「えっと……すまん。有名人なのか?」

 フィロが申し訳なさそうに答えると、男は「ははは」と苦笑した。


「そっすか、そりゃ俺のこと知らない人もいるっすよね……俺は一応、ネットの片隅で配信活動とかさせてもらってる、どうも、クローフィっす。よろしくっ!」

「あ、えっと……俺はフィロです。よろしく……?」

「この人は、クロフィさん。フォロワーが百万超えの凄い人。あと、うちの会社のパトロンというか、常連というか、そんな感じの人。失礼ないように気をつけてね」

 もの凄い圧の自己紹介にフィロが言葉を失っていると、隣のかぼちゃが説明を付け足した。

 そのままかぼちゃは、慣れた様子で振り返り、階段を降り始め、クローフィとフィロの二人も、黙って後に続く。


「そうだ、クロフィ。念のため聞いとくけど、いつもの感じでいんだよね?」

「そっすね、いつも通りでお願いするっす」

「了解、今日はフィロの研修も兼ねるから、少し時間かかるかもだけど?」

「いつもお世話になってるっすから、それは全然OKっすよ〜!」

 わいわいと雑談をしながら階段を降りていく二人を見て、フィロは疎外感のようなものを感じながらも、なんと声をかけていいのかわからずに黙って追従した。

 途中階の扉は全て無視して三分ほどひたすら降り続け、下に降りる階段がなくなったところでかぼちゃは扉を開ける。

 コンクリートで舗装された路地から表に出たところで、かぼちゃはようやくフィロの顔を見た


「というわけで、フィロ。今日はこの世界で適当に、獣を倒して回ることにする」

「……先輩? 敵を倒すのが目的なのか? 何か、捜し物をするとかじゃなく?」

「そう。獣ってのは要するに悪い感情だから? クロフィによると、獣退治をすると気持ちがスッキリするらしい」

「スッキリっていうか、気分が落ち着く感じっすね。ほら俺、偶像アイドルっすから!」

「クロフィは純真系で売ってくために、涙ぐましい努力をしてるんだって。知らんけど」

 かぼちゃが興味なさげに補足すると、クロフィは「相変わらずっすね」と楽しげに言う。

 普段ちやほやされているクローフィーとしては、そもそも存在を知らなかったフィロや、知った上でぞんざいな態度を取るかぼちゃが、新鮮で楽しいようですらあった。


「別行動にするけどいいよね。フィロは一人で歩いて回って、出てきた獣を退治して。私はクロフィの護衛しながら回るから」

「ちょっと、かぼちゃちゃん! フィロちゃん……っすか? こんな女の子一人で、大丈夫っすか?」

「フィロなら大丈夫。それにちゃんと、サポートがつくから」

 かぼちゃはそう言って、懐から片耳用のヘッドセットを取り出してフィロに手渡した。


 フィロがヘッドセットを頭部に装着すると、数秒間とノイズが続いた後、少しずつ声が聞こえてきた。

『あ〜テステス……聞こえますか? こちら管制室です。聞こえていたら応答願います。こちら管制……』

「聞こえているぞ。こちらはフィロだ」

『応答ありがとうございます。こちら管制室です。本日はフィロ様の手助けをさせて頂きます』

「そうか、わかった。よろしく頼む」


 フィロが通話を一区切りしたのを見て、かぼちゃはうん。と、頷いた。

「ということで、それの指示に従って動いてみて。まあ実験的な試みだから、変なこと言われるかもだけど。その時はフィロが自己判断していいから」

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