業務研修2
数秒かけて地下一階に到着したエレベーターの扉が開く。
廊下を進み、中村が首にかけていたIDカードを壁の読み取り機にかざすと、自動ドアがスッと開いた。
部屋の中にはカプセル型の端末が二台、少し離れた位置に並んでいた。
入って来たのを確認したのか、部屋の脇の机で雑談をしていた二人の影が、立ち上がった。
「さあ、皆さん! これが実機です! そしてこちらが、今回協力してくれる『
中村が声をかけると、哲夫にとってはさっき見たばかりの二人が、少し緊張した様子で近づいてきた。
「俺はカゲトラ。こっちはお前達と同じタイミングで入社の、ソウルだ。今日はよろしく頼む」
「ソウルです。よろしくお願いしますね」
カゲトラはノーネクタイのスーツを着崩していて、ソウルは新品のスーツを着こなしている。
当然だが、カゲトラとソウルが哲夫に気づいた様子はなかった。
「では、皆さん先ほどのチームに分かれて作業をしましょう! えっと、斉藤さんのチームは左側の端末で、渡辺さんのチームは右側の端末を使いましょう! カゲトラさんとソウルさんは準備ができるまでお待ちください」
五人五人のチームに分かれた哲夫達に、中村から端末の調整方法を丁寧に教えた。
端末の横にある四角い黒窓に社員証をかざすと、管理用の画面が表示された。
タッチパネルになっており、指で触れると操作することができるようだった。
哲夫達は指示通りにアカウントを『ソウル』に設定して、接続先から『フリーワールド』を選ぶ。
接続時間を最短の『10分』にして、これだけで全ての設定が完了した。
「お待たせしました、ではカゲトラさん、ソウルさん。乗り込んでみてください!」
中村が二人に言うと、カゲトラとソウルはそれぞれの端末に座り、カプセルの蓋が閉じる。
さっきまで設定をしていたパネルには『接続者:ソウル;接続先:フリーワールド;』と表示されている。
数秒間端末全体が黄色く光り、その後落ち着いた感じの緑色に変わった。
どうやら、色によって接続のステータスが切り替わっているらしい。
中村の説明によると「黄色が接続途中、緑色が安定接続状態」らしい。
「では皆さん、次にこの二人には、接続先の世界で模擬戦闘をしてもらいます。準備はいいですか?」
中村が端末に向かって話しかけると、カゲトラの端末にあるパネル部分に「いつでも良いぜ」と表示された。
「では、始めてください!」
その瞬間、どうやらフリーワールドでは戦いが繰り広げられた……らしい。
こちらの世界には刀と槍がぶつかり合う音など聞こえず、何が起きているのかなどまったくわからない。
しばらく沈黙に耐えていると、ソウルの端末の緑色が、徐々に濁った色に変化していった。
カゲトラ側の端末は若葉のような輝きなのに、いつの間にかソウルの端末は枯れ葉のような茶色に変化している。
様子を確認した中村は、見学していた哲夫達の方に振り向いた。
「どうやら、カゲトラさんの勝利で終わったようですね……このように、接続している人の状態によって、端末の光りの色が変わります。私たちからわかるのはこの情報だけなので、色の変化に少しずつ慣れていきましょう!」
哲夫は様子を見ながら「外から見たら、こうなっていたのか」と、しみじみ感じていた。
次に中村は『強制排出』の手順を説明する。
ソウルの端末のパネルを何度か操作すると、画面に『接続を解除します。よろしいですか』と確認が表示される。
中村が『OK』のボタンに触れると、カシュッと音がして、ゆっくりとカプセルの蓋が開いた。
端末から出てきたソウルは、少しボーッとしているようだった。
中村は哲夫達に説明するようにソウルの方を指さした。
「これは聞いた話なのですが、強制排出をするとこのように、アクセス者は『夢から覚めた』ような感覚に陥るらしいです。今回はソウルさんの研修も兼ねてということで事前に許可をもらってますので大丈夫ですが、安易にやらないように気をつけてくださいね……ダイバーとの信頼関係にも関わりますので」
ソウルは、どこか落ち着きが無い状態でありながらも、端末から一人で降りて椅子に座り、そのままぐったりと俯いた。
その後、自発的にログアウトしてきたカゲトラに何度か声をかけられているうちに、少しずつ眠気が覚めるように元気が戻っていった。
健康的に影響が出るほどではなさそうだが、あまり気分のいいものではないのだろう。
その後ソウルは、カゲトラの肩を借りながらゆっくりと部屋を出て行った。
「さて、端末の基本的な使い方はこんな感じです。ここまでで何か、質問はありますか?」
「はいっ!」
中村の問いに対して、哲夫とは別チーム側の女性が手を上げた。
「どうぞ」
「強制排出はできるだけしないように……とのことですが、何か基準はありますか?」
「そうですね……先ほどソウルさんの端末は茶色になりましたが、その後更に状態がひどくなると赤色になり、その後は黒くなっていきます。だいたい赤色から黒色に変わり始めたタイミングであれば……という、暗黙的な決まりはあります。ただ、強制排出をすると、中での戦いを強制的に中断することになるので、例えば『死んででも敵を倒す』のようなことを話していた場合は……ギリギリを見極めることになります」
最後に「まあでも、そんな状況は当分ないはずですが」と付け加えて、中村は話を区切った。
手を上げて質問した女性は、納得して「ありがとうございます」と答える。
「他に質問は? ……では、我々の最後の、一番大切な仕事をしましょう!」
『一番大切』という言葉を聞いて息を呑んだ哲夫達に、中村は真剣な表情で言葉を続ける。
「一番大切な仕事……それは、掃除です。次にこれを使う人が快適に使えるように、この機会を徹底的に綺麗にします!」
それから哲夫達は、約三十分かけて端末を綺麗に磨き上げた。
二十以上の項目があるチェックリストが用意されていて、その一つ一つを手順を聞きながら進めていく。
ちなみに慣れた社員になると、この作業ぐらいなら五分とかからずに完了できるらしい。
「はい、これで終わりです! 最後に二十階でフィードバックをしたら、研修は終わりです」
哲夫達は再びエレベーターで最上階まで向かい、最初に集まった大部屋で軽く感想を語り合い、その場で解散した。
哲夫はその後、301号室に戻ってから302号室に移り、今日習ったばかりの手順で自分の端末を丁寧に掃除した。
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