302号室
少し早めに設定したスマホのアラームが震える前に目を覚まし、冷蔵庫から取り出した紙パックの牛乳をラッパ飲みする。
肩を回して凝り固まった筋肉を解しながら風呂場へ向かい、服を脱ぎ去ってシャワーを浴びる。
昨日分の汗や汚れが流れて排水口に消えていく。
少しずつ、眠気が覚め精神が活性化していく。
着替えを済ませ、上着を羽織り、胸ポケットから昨日受け取ったばかりの携帯端末を取りだした。
充電は残り6割ほど。
メッセージを開封すると、今日の予定がつらつらと書かれているようだ。
電車の移動時間を計算しても、まだ三十分は余裕がある。
「今出ると、少し早く着きすぎるが……まあ、早く着くのは問題ないだろ」
最悪の場合、会社の近くをうろうろして時間を潰せばいいか。
そう判断して哲夫は家を出た。
〜第二章〜
会社に着いた哲夫は、IDカードで入り口のゲートを通り抜け、携帯端末を改めて確認する。
『会社に着いたら、エレベーターで3階に上がり、301号室へと向かってください』
指示通りに3階で降りると、ホテルのように部屋がずらりと並んだ廊下が左右に伸びていた。
案内板に従って左側へと進むと、最端に『301』と書かれたプレートが目に入る。
扉を開けると鍵がかかっている……IDカードを触れると「ピピッ」という電子音の後、カチャリと鍵が外れる音がした。
扉を開けると、一人で使うには広すぎるほど大きな机と、シャープなデザインのノートパソコンが一台。
画面が二つ、高級そうなオフィスチェア。
その先には大きな窓があり、ブラインドの隙間から朝日が差し込んでいた。
「まさか、個室がもらえるのか?」
フィロのその言葉を聞いたかのようなタイミングで、携帯端末がブルブルと震えだした。
胸ポケットから取り出した画面には『鈴木』と書かれている。
「はい、賢木です」
『賢木さん、おはようございます。鈴木です……そろそろ、301号室に着きましたか?』
「あ、ああ。なあ、もしかしてここが俺の職場なのか? いや、まさかと思うが」
『そうですよ。うちの会社では基本的に、全従業員に個室が与えられますからね』
「(そんな贅沢な……)」
哲夫が言葉を失っていると、気持ちを察した鈴木が軽く補足を入れる。
『まあ、驚きますよね。でも、海外の企業では割と当たり前ですよ』
「いや……そういうものなのか?」
『そういうもの、です。それよりも、部屋の使い方を説明します。まずはパソコンを見てください』
哲夫が部屋の中央に移動すると、鈴木は言葉を続けた。
『そのパソコンは、哲夫さんが仕事をするときに使ってください。必要なアプリなどはインストールされています。細かい使い方などは……また今度、説明します』
哲夫が電源を入れると、ほとんど待機時間もなく画面が立ち上がり、三つの画面が同時に明るくなった。
ノートパソコンに付いているカメラによって認証が行われ、一瞬のうちにログインされる。
何のアイコンもない単色のデスクトップ画面が表示され、数秒で画面が暗くなった。
「鈴木さん? 問題なくログインできたみたいだが……」
『ちゃんと設定されていたようですね、よかったです。では、次はベランダの窓を開けて外に出てください』
「え、外に?」
首をかしげながらも哲夫は鈴木の指示に従い窓を開け、バルコニーに出る。
そこは1メートルほどの狭い空間で、前方と左方には
「出たぞ? いい景色とは思うが……」
『では、右側の扉を開けてください』
哲夫が景色から目をそらして顔を右側に向けると、鈴木の言うとおりそこには扉があった。
哲夫が取っ手に触れると、カチリと鍵が外れる音が聞こえ、そのまま軽く体重をかけると、音もなく扉が開く。
先に進むと案の定、隣の部屋のベランダにつながっていた。
「開いた、が……?」
『ではそのまま進み、窓を開けて中に入ってください』
「いいのか? 他の人の部屋じゃないのか? ……なるほど、そういうことか」
おずおずと外から窓を開けた哲夫は、部屋の中を確認した瞬間に理解した。
そこは、カプセル型の端末が鎮座している部屋だった。
むしろそれ以外には何もない。
『その302号室に、廊下からつながる道はありません。フィロ専用の、いわゆる隠し部屋です』
電話越しに、子供が宝物を自慢するような、無邪気な声が聞こえてくる。
「そんなこと、現実でやるのかよ……」
口では文句を言う哲夫も、口角がニヤリと上がり、幼心を隠しきれていなかった。
『その端末は、昨日の設定をそのまま移してあるので、そのまま接続できますよ』
「わかった。今日も昨日と同じで、かぼちゃ先輩から……?」
『ああ……えっと、そうでした。かぼちゃさんからの伝言です……「今日は忙しすぎて面倒を見れないから、カゲトラの指示に従って」とのことです』
「カゲトラ……?」
初めて聞いた人名に首をかしげるまもなく、電話越しに鈴木が誰かに呼ばれる声が聞こえた。
『まあ、会えばわかりますよ。それでは私は少し用事がありますので! 何かあればメールを入れてくださいね!』
フィロの返事を待つこともなく、携帯端末は無情に電子音を出して静まった。
まあ、忙しいんだろうな。
哲夫はそう割り切って、早速カプセル型の端末に近づいた。
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