守護獣との決闘

 獅子は目の前の少女を『敵』として認識した。

 腑から絞り出した咆哮を涼しい顔でいなす姿を見て、その認識は『脅威』へと格上げされる。


 フィロは敵意を隠そうとしない獅子を見上げながら、冷静に観察していた。

 体格差は、比べるまでもない。

 象よりも大きい体躯の獅子と、見た目通り子供のフィロ。

 だというのに、どこか余裕のあるフィロに対し、おびえているのはむしろ獅子のように見えた。


 直後、雨露坂の視点から獅子の姿が消える。

 鋭い風が皮膚を叩き、一人と一匹がいた場所には土煙だけが残った。

 ガリッガリッと、何かが削れる音が横を通り過ぎ、数瞬遅れてひときわ大きな衝撃が起こる。

 振り向いて目を向けると、そこには獅子の背中と、獅子の爪撃を大剣の腹で軽く受け止めるフィロがあった。

 数瞬遅れて爆発音と共に巻き起こる風に、雨露坂の身体が押しのけられる。


「……なんて、人だ」


 独り呟くしか出来ない雨露坂を余所に、獣と人の闘いはさらに進展する。

 獅子は素早く腕を引き、即座に攻撃を繰り出すが、それもフィロの剣に受け止められる。

 隕石のような威力がある一撃一撃を、剣を盾にしながら一歩ずつ前に進む。

 じりじりと距離を詰めながら剣を強く握りしめ、爪撃に合わせて力を込める。

 そして数撃目、受け止めるだけでなく地を強く踏みしめて押し返す。


 ひときわ大きな衝撃が、世界の片隅で巻き起こった。

 獅子の巨体が宙に浮き上がる。

 その瞬間に立場が逆転した。数メートルの高さを吹き飛ばされている獅子に、ゆったりと剣が突き出され、獅子はそれをはじき返す。


 放物線を描きながら攻防を繰り広げた獅子は、着地の瞬間だけはフィロから意識をそらした。

 最後の一撃だけは少し力を込めて強く弾いて隙を作り、四肢を同時に地に着けた獅子が視線を上げると、大剣を上段に構えるフィロの姿があった。

 風を裂くように質量が振り下ろされる。

 正中線に振り下ろされたそれを、右に避けるか左に避けるかの判断に一瞬だけ意識を割かれる。

 その硬直が、決着を招いた。

 後方に重心を移動した獅子の頭部に大剣が叩きつけられる。


 雷が落ちたような爆発音の直後、巨大な何かが崩れ落ちる音がした。

 反射的に目を閉じてしまった雨露坂が目を開くと、そこには倒れ伏す獅子と、大剣をふっと消滅させるフィロがいた。


「殺した……のですか?」

「いや、俺の武器は斬撃というより打撃に近いからな。多分死んではいない……気を失っているだけだ」

「そうですか」

 フィロは「打撃だから」と言っていたが、切れ味はなくても強く叩けば殺すことも出来るはず。

 この結果は、フィロがどこかで手加減をしたからこそなのだろう。

 ぐったりと倒れ伏す獅子を見て、雨露坂はそんなことを考えていた。

「それよりも、これで障害物はなくなった。目的の場所に行こうぜ」

「そうですね。フィロさんも来てください。せっかくなので一緒に見ませんか?」

「俺も見て良いのか? 雨露坂さんの記憶なんだろう?」

 フィロの問いに黙って頷いた雨露坂は、先ほどまで壁があった脇道の奥へ足を踏み入れる。

 二人並んで進んだ先には、豪奢に飾られた小さな扉がぽつんとあった。

「……ありました。これが私の記憶の扉です。これを通れば当時の記憶がよみがえるはず」

「本当に俺も一緒で良いんだな? 俺はここで待っている。でも別に良いんだぞ?」

「フィロさんも来てください。私一人では不安ですが、フィロさんとなら……大丈夫な気がするのです」


 雨露坂が軽く押しこむと、扉はゆっくりと開いた。

 その先にある記憶の情景が、フィロと雨露坂の二人を包み込む。


 ◇


 小学生ぐらいの雨露坂と七十歳ほどの女性が二人、こたつに入っているようだった。

 雨露坂少年は目の前に広げられた学校の宿題に集中し、老女はその対面で新聞を広げている。

「おばあちゃん、何か面白いニュースある?」

 宿題の1ページを終えた雨露坂少年は、気晴らしとばかりに顔を上げ、目の前の祖母に問いかける。

「そうね……ほら、最新の量子コンピュータの実験が始まるって書いてある。磨人くんは、コンピュータは好き?」

「普通。量子なんとかって、すごいの?」

「そりゃ、凄いんでしょうけど……使う人が駄目だと、どうせね」

「え、どういうこと?」

 祖母は新聞をこたつの上に広げ、ミカンの皮を剥き始める。

「だって、最近の政治家は不祥事ばかり! こんな人達じゃ、せっかくの技術も宝の持ち腐れでしょ?」

「おばあちゃんは、政治家が嫌いなの?」

「大っ嫌いよ、こんな奴ら。偉いくせに、偉いだけで何も良いことなんてしないんだから!」

「ふうん、そうなんだ……」


 ◇


 時間にして十数秒か。

 新聞の記事に目を落とす雨露坂少年の姿と共に、記憶の情景は泡のように消え去った。


 薄暗い袋小路に残されたフィロは、気まずい表情を雨露坂に向ける。

「今のが、政治家を目指した理由? それとも、別の記憶と間違えたか?」

「いえ、思い出しました。今の記憶で間違いありません」

「だが今のはどう見ても……」

「確かに思い違いもありましたが、私はこの時初めて、政治家に興味を持ったのです。祖母が嫌う政治家が、どんな悪いやつなのかと。子供ながらに政治的な行事にも参加するようになり、気づいたら……」

「ミイラ取りが、ミイラになったわけか」

 フィロの皮肉に雨露坂はケラケラと、子供のように笑った。

 それはどこか、抑えつけられていた鬱屈から解き放たれたようにも見えた。


「雨露坂さん、どうする? まだ少し時間があるが、他の記憶も探すか?」

「いえ、大丈夫です。目的を達しましたので帰りましょう」

「そうか、じゃあ俺は一足先に向こうに戻る。俺という『異物』がなくなれば雨露坂さんも目覚めるはずだから、少し待っててくれ」

 そう言うとフィロはかぼちゃとナタリアから教わった『ログアウト』の手順をゆっくりと実行する。


 フィロのからだが少しずつ粒子となって空気中に溶けるように消えていく。

「フィロさん、今日はありがとうございました! 本当に助かりました!」

 雨露坂のそんな声が聞こえると同時に、目を開くとカプセル型の装置が開き、光が差し込んでくる。


「お疲れ様でした、哲夫さん。少し時間より早いですが、大丈夫でしたか?」

「鈴木さん、とりあえず顧客が『もう大丈夫』と言ったので帰ってきたが……問題なかったか?」

「……ええ、こちらにも雨露坂様から連絡がありました。改めて、初仕事の達成おめでとうございます」

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