#10 闘う

 帰りの地下鉄に乗っていて、おかしな事に気づいた。アイツ、あの男子に親指じゃなく拳をぶつけていたじゃないか。でないと、あの男子あんなうなって崩れ落ちたりしない。


「傷つけずして倒す」か、例外もあるんだなと思った。

 来週の水曜日が楽しみだ。ここ最近こう、胸の躍動やくどうするものに飢えていた。

 そんな事を考えていたら、下車する駅を通り越していた。








 □□□□□□□









「ただいまー」

 終点、泉中央まで乗っていたオレは帰りが遅くなった。

 夕食を済ませ、風呂に浸かる。こんなに気持ちいい風呂は久しぶりだ。体を使ったあとの余韻にひたる。


 トントンとノックの音がした。

「父さんだ。上がったらへ来なさい」オレは返事をして、風呂から上がった。


 書斎の部屋をノックする。いいよ、と声が聞こえたのでドアを開ける。父さんは高校の教諭だ。ときどきこうして、対面して向き合う。


「大学は決めたか?」落ち着いた口調で話す。

「まだ、どこの大学かは決めてないけど……」

「専攻したい科目はあるか?」

「まだ、無い」

「目標も無く、大学へは行かせない。何も、大学ではなくともいいんだぞ」

 父さんは続けて言う

「父さんはな、お前の好きな道を選ばせたい」


 あ、とオレは声を上げて

「その本借りていい?」と指をさして聞いた。ドイツ史の本だ。

「いいぞ、歴史が好きなのか?」

「断片的にだけど」


「ヒトラーにはなるなよ」つまらない冗談を言って

「力になれることがあったら、何でも聴くきくから」と、父さんは優しく締めくくる。


 ドイツはアメリカ株大暴落、暗黒の木曜日に加えて、更にユダヤ人のドイツ独占に異を唱えた。強く立ち上がるドイツ国民にとってユダヤ人を排除するのが必要だったのだろうか。

 ユダヤ人と手を組む改革は無かったのか。

 英国はファシズム文化があったのだろうか。

 奇抜な政策を経て、さら立憲・立法を手にした独裁者になったヒトラー。オレはその戦略に魅了されていた。ナショナリズムを利用した彼は鎮圧されたドイツ国民を魅了したように。

 普通の政治家では考えられない。仏ソと締結したにも関わらず植民領土を増やしていったナチ党にオレは単純な『強さ』を感じていた。何かを敵としないと『強さ』は得られないのだろうか。と、当時のドイツを浅知恵ながら考えてみる。

「傷つけずして倒す」という言葉も忘れて……。









 □□□□□□□□□□□








 土曜日、オレは台原だいのはら森林公園の近くで自主練習に励んでいた。

 この広い砂地はスニーカーを履いていてもよく滑る。すり足の練習だ。すり足はアイツの方が断然距離が伸びる。


 オレはまだ守りに徹する事しかできない。

 目標とする距離を決めて、靴の側面で地面に印となるラインと付ける。そうするとアイツの残像が浮かぶ。


 すり足で線めがけてに移動する。

 が、届かない。線を幾つかしるしづけて、ザッと身を前身させる。届かない。何度も何度も繰り返す。

 一歩近づいたかと思うと、また線から離れる。繰り返す。


 両足の向きを前に変えてみる。すると飛距離が目標までわずか近くなった。しかし、この距離では打突は当たらない。


「おーい」と声がすると、アイツが自転車でやって来た。

 オレのかげながらの努力が……。


 コイツはガシャンと自転車のスタンドを立てて近づくと、


 この練習はしなくていいと言う。なぜか。

「基本的にお前のは 守りの戦術だ。攻撃を待てばいい」

「相手も守りに徹するなら?」オレは問う


「それでも待て。しびれを切らして攻撃してくる。我慢比べだな」続けて言う

「お前の型は理にかなっている。攻撃を受けての反撃。それが本来、武術の在り方」


 後ろすり足は習得しておいた方がいいぞとコイツは語った。チンピラ相手ならその必要はないが、相手にするのは師範だと心得た方がいいとうながされた。


 それよりお前、とオレは切り出す

「ああ。そうだ。お前の考えは離れていても分かる」

 だから、コイツは今練習しているオレの姿を見に来たんだな。


「来週から火、木に稽古日変更だ」

 嬉しい。週二度も稽古が出来る。

「そうか、嬉しいか。師範も本気だぞ」

 来た。


 やはりオレはコイツとは違い、闘志の塊で、強さのみを追い求めると自覚した。

 そして、それでもすり足の練習を止めない様を、ベンチに腰掛けてアイスをくわえてコイツは見ていた。


 お? と、目標の線に一度すり足が達した。何度かすり足で前進してみる。畳の上で出来できるか分からないが、前方へのすり足は覚え、後方へのすり足は直ぐに覚えた。


 お? とコイツも気づいたようだ。

 そして、オレのもとへ来てこう言う

「なぜ初めての時オレにあそこまで突き飛ばされたかわかるか?」


「半身で構えていないからだろう」

「それだけではない。半身で構えたとしていきなり右手で攻撃したなら、更にお前は突き飛ばされる」

 どういうことか詳しく聞いてみる。


「前へすり足で素速く移動できるということは、それだけもらうカウンターの力も大きくなる」

 なるほど。だから守りの戦術でいいと言ったのか。

「攻防合わせるのは難しいが、次の稽古でやってみろ」


 迎えた火曜日。

 激しい雨が一時的に降る予報だったからか、アイツは地下鉄で向かうらしい。

 前方へのすり足は畳の上でも、やはり伸びている。


 オレは師範に横避けを教えてもらっていた。

 横への移動は簡単だ。しかし、攻撃を交わした横避けとなると難しい。

 試しに突きをしてみろということなので、公園で練習した通り離れた場所から師範のタン中(胸の中央にある急所)めがけて突いてみる。体に当たる前ギリギリのところで交わされた。


「ギリギリで交わさなければ横避けしても意味が無い。次の攻撃へ繋がらない、が」

 師範は軽く胸を押す

「もう一度距離を置いて同じくしてみろ」ということなので、そうしてみる。

 師範はオレを中心に回る。前回のアイツの動きだ。これでは攻撃側は仕留めにくい。無理矢理に攻撃するが案の定当たらず。しかし、師範も回った距離が離れていた。

「横に避けて交わすだけならこれで良いが、反撃へ手が伸びない。なら、止まっていなさい」

 距離を縮めて横周りしても、攻撃を喰らう。


 そこにアイツがやってきた。前回稽古をつけた対抗策はあるのだろうか。

「あるかもな」人の考えを勝手に読みやがって。


 いざ、礼をして前へ出る。覚えたての横回り。そして前へ出でるが、攻撃を警戒して後方へ下がる。前へ出て後ろに下がる。その繰り返し。


 コイツは冷淡に言った

「おい、闘う気はあるのかよ」


 仕方ない、前へ出て横避け。コイツの突きを喰らうが急所は免れた。反撃にタン中へ突くが、これも急所を外した。


 お互い距離を取る。


 呼吸を置く。




 こちらから、ゆっくりとすり足で距離を詰めて、コイツの一撃目を掌底でガード。横から正面で迎える攻撃も、右掌底でガード。




 今だ!





 左親指でタン中を突いてコイツは倒れた。



「見事だ。形に捕らわれず。それが君の型だ」

 師範は言った。


「もう一度」立ち上がったコイツは言った。



「師範、禁じ手もありですね?」コイツは尋ね、師範は頷く。

 さあ、どう来る。

 構えて攻撃を待つ。しびれを切らしたところに攻撃が入る、そうコイツはオレに教えた。


 もう、恐怖は無い。しかし、コイツも動かない。

「ここからは喧嘩だ。顔面への拳でもいい」コイツは言った。

 しかし、ただ殴り掛かってもカウンターを受けるだけ。そんなことはだ。

〈しびれを切らしたところに攻撃が入る〉コイツも攻撃待ちか? やってやろう。

 すり足で二回直進する。完全に互いの間合いへ入った。目前にも関わらず打ってこない

 ……。


 左の突きを弾こうとしたら、腕をぐいと掴まれ前方へ仰け反る。そのまま前方へ向いにすり足で逃げる。前へ出した腕への関節技から逃れたが、


 背後を取られ裸締めされる。完全に入った。




 オレは腕を掴んで引き離そうとするが、視界が黒く狭まっていく……。







 バッと上体を起こされた。



「意識はあるか?」目の前には、下がっている髪を耳にかけるコイツがいた。

 師範に蘇生されたのか。

「前の高校で柔道部だったんだ。一応二段までは取った」


「柔道で立ち関節は禁止だろ」

「ここからは喧嘩だと先に言った」


 師範に尋ねる

「師範は何故それを禁じ手に?」

 オレは師範へ問いかけた

「柔道は一対一で効果を発揮する。わたくしの流派は、囲まれたときに対応できるように創った。門下生こそ君とこの娘しかいないが、わたくしのは武術とは違う」


 薄々、この師範は何か武術を極めるところまでしていたと思っている。

 師範がいいことを教えるというので、向かい合ってみた。

「いいかい? これはその娘には出来ない、君に適した技だ」

「それは?」

「掌底して直ぐ相手の道着を掴む。そうしたら後ろへ引いてやるといい」

 そうか、オレの掌底は相手が突き飛ばされる。そこを引き戻すと、次への攻撃に繋がる。


「傷つけず、倒す。しかし、相手が同等か上なら仕方ない。闘うという事は、そういうことだよ」

 師範は言った。


「わたくしが稽古をつけよう。言っておくが手加減はしない」

 両者礼をし、畳の中央へ入る。

 前のごとく半身に構える。また両手をぶらりとし、オレの様に近付く師範。


 ……嫌な感じだ。息を飲む。


 師範は一瞬で3mは距離を詰めることだろう。そこに2m詰めて、タン中に拳を見舞う。

 しかし、2m先でも瞬発的に距離を詰めて来ない。1m、ここでオレは右拳を、師範の胸に正拳突きした。



 あれ? 居ない。師範が消えた。下から直ぐに突きが飛んで来たのを、後ろへすり足で交わす。大振りの拳を出すが、師範も後ろすり足で元の位置へ戻る。


 更に奇妙な身をくり出してきた。今度は半身で上体を左右にゆっくり屈んだり伸ばしたりしている。


 ……ここは冷静に。



 師範は攻撃を待っているはずだ。目前まで近付いたところで、掌底で攻撃を受ける……はず。


 が、師範は斜め横に身を交わして一瞬で目の前に入り、鼻と唇の間に拳を撃たれてオレは痛みに屈んだ。


「そこを人中じんちゅうという。痛かろう」

「それより、左斜めへの横移動。教えてもらっていないです」

オレは痛みをこらええながら問いかける

「斜め移動は攻撃をモロに受ける。だから教えなかったんだ」

 続けざまに言う


「君は攻撃待ちだから使った」



 見え見えだったか。それよりもまだ痛む。

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アイツは生きてる 妙和 @dayama-555

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