#9 もう一つの世界







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 最近、よく思う。


 朝目覚めて、昨日のオレは死んだのじゃないかと。


 車に轢かれそうになったとき。


 あのときは死んでいて、ここに居る、ここにある世界は偽物なのではないかと。


 そういう、今が偽物のオレならば、こっちが本物であると、確信してる。


 信じる。


 消えた世界を。


 もうひとりのオレが居たことを。


 本物の世界に帰るんだ。








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 高校三年生のときのこと。海の日の前日、つまり夏休みに入る直前のことだ。

 編入生がやってきた。黒板に名前を書かれてソイツは挨拶をした。黒くのある髪が腰まで伸びていて、顔も小顔。九等身くらいあるのではないかと思う。制服は以前の高校で使っていた物のようで、断然にその方が映えて見える。


 教室内はざわめいている。それは、これだけ容姿端麗の人間が編入生となれば、無関心というわけにはいかないだろう。


 オレとソイツの目が合い

「あ!」

 と、驚いた顔で同時に二人声を上げたので、更に他の生徒達はザワついた。


 オレの隣りの席へと、担任に指さされて着席した。コイツには見覚えがある気がする。


 チャイムが鳴り、昼休み。

 オレは焼きそばパンと、メンチカツサンドを平らげた。


 廊下から何か騒がしい声が聞こえるので、教室から出てみた。


 授業中ずっと騒がしかった男子3人だ。その件で担任と口論になっているらしい。

 生徒の一人が担任に頬を向ける。

「ほら、ほらどうしたんだよ。殴ってみろよ。殴れないんだろ?」

 担任は手を上げようとした瞬間だった。


 アイツだ、あの編入生は担任の腕を握り、言う

「先生、殴ったらコイツ達の思うツボですよ。懲戒免職も免れない」


 担任は腕を振りほどき、職員室へ帰って行った。



「おいお前、放課後の教室に残れ」

 編入生へ、先程頬を担任へ向けてた男子が言った。


 ここのような進学校でも、こういう馬鹿が居るんだなと思った。


……よし、乗ろうか。


 放課後の教室内にアイツと、ただ居残るのも変な感じがして、オレは廊下に出ていた。


 西日が教室の外へも入ってきている。

 あの男子達が教室へ入ってきた。

 中の声は遠くて聞こえない。オレは教室内へ入った。

 すると、顔面に目掛けて拳を喰らった。顔面で受け止め腕を掴んだ。

「あの女が目当てだったか? 居ねーよ」

 教室後方に居た男子が言った。


 ぬうっとオレの横からソイツは現れ、言った

「逃げたと思ったのか?」


 オレは顔面に立てていた腕を握った。思い切り強く。ミシミシと音を立てる。

「うがあ……」

 という声と共に男子は膝から落ちた。


「お前はそこにいろ」


 と、オレは前に出ようとしたがコイツは腕を横に出して止めた。

「お前がどけろ。あとは俺がやる」

女子なのに、俺という言葉遣いに何も違和感を感じない。


「調子に乗んなー!」

 向こうの男子が殴り掛かってきた。コイツはその男子に拳を胸に当てると、男子は尻もちをついて、そこに倒れて苦しそうに声を上げている。

 (なんだ? そんな鋭い拳を当てたのか?)

「しかも女」

 え? この編入生が言った。

 コイツは最後の一人へ目掛けて走る。

 最後の一人がナイフを突き出したところで、コイツは止まった。

「く、来んなあ! 来たら刺すぞ!」

「おい、ここから一旦離れるぞ」

 とオレに向かって言い。教室を出た。



 十五分くらい、オレ達は階段の影へ身を潜めていた。そろそろだ、とコイツは言う。



 教室に入ると、そこには誰も居なかった。

「よし!」ピロンと音が鳴り、スマホを操作している。

「ストレージ喰うなあ」とつぶやく。

 オレは画面を覗き込む。

「や、やめろ! 勝手に見るな」

「なんだ? それ」


 オレの目の前にスマホの画面を差し出した。ナイフを突き付けたシーンだ。コイツは教室の隅にスマホを置き、撮影してたのだった。


「それで」

「遅れて来たんだな」

 まただ、オレの考えた言葉を先に口にする。容姿端麗で、したたかに撮影し、オレの考えてることを当てる。


「夕日が落ちる前に帰るぞバスか?」

「ああ、行き」

「同じだな」コイツは応えた。


 帰りのバス。

 夕日の沈む様が見える。黄昏というやつだなと、窓辺を見ている。なにか、この景色に吸い込まれそうだ。コイツの太ももが当たるのを避ける。

「何エロい事考えて気取っててるんだ?」

「か! 考えてねーよ」


「あの男子、刃物を持っていただろ? 素手とは違うから、近づいちゃいけない……お前、強いんだな」

「何故そう思う?」

 なんだ? ニタニタしている。確かに腕力は強い方だろう。

「来週水曜日に、青葉武道館に来てみろよ」

「いいよオレそういう武道とか」

「なんだよ興味ないのかよ……」

 ねるようにいうものだから

「分かった、今回だけだぞ。来週水曜日だな」

 突然明るくなったコイツの顔。下車したコ

 イツは腕を大きく振っていた。

 まるで子供だな。で、強い。


 オレはこの「強さ」というものを求め続けている。だからといって武道とかそういうものに興味はない。付き合いだ、仕方ない。それにしても転校早々にいろいろある奴だなと思った。



 迎えた水曜日、夏休みである。オレは地下鉄で北仙台へと向かう地下は当たり前の如く涼しい。約束の時間は午前十時。九時台の南北線内の車両は空いている。新聞を広げてるリーマンが最近少なくなったように感じる。


 皆スマホの記事を見ているのろうか。

 北仙台で降り、青葉体育館に着いた。自宅の旭ヶ丘あさひがおかはたった二駅先だが、かなり距離がある。


 掃が行き届いた館内だ。外観、内観ともに美しい。入り口のロビーで待ち合わせだ。先

 に入り口のロビー腰かけに座ると、間もなくコイツは現れた。十五分位ここで待とうとコイツは言い、ブラックコーヒーをオレに渡した。ホットだ……。これしか売ってなかったと嘘をついてきた。


 しかし、このホットコーヒー何かどこかで見たような……。


 時間が十分程経過したところ

「着替えに行くぞ」ということで、缶を自動販売機横のゴミ捨てに入れた。

 お前はこれ、柔道着を渡された。

「覗くなよ」と言い放って、左の更衣室へと入っていった。門下生が沢山集まっているかと思いきや、武道場は静粛に包まれていた。着替えを終わらすと、目の前はを履いた小さな老人が正座している。


 左手にはコイツが袴を履いて壁沿いに正座している。この二人しか居ない。貸し切りか?


「師範だ」

「お初お目にかかります」

 老人は深々と座礼をした。オレも座礼をする。

「まず」と、老人は言う。

「基礎は飛ばそう、その方が話が早い」師範と呼ばれる老人はそう言い立ち上がった。


 両手をだらりと下へ垂らし「さあ、かかって来なさい」とオレへ向けて言う。

 な、なんだ? ああ、格闘技的なやつかな?


 左に居たコイツは

「老人だと思って手加減するなよ」と小さく言った。


 一足前へ出した。老人は微動だにしない。走って近づき、大振りで拳を顔に当てた。そして、老人は突き飛び壁に当たって倒れた。


 え? 変な感触だ。拳が当たる瞬間何にも触れてない。


 大振りの拳は確かに外れた気がした。


 何故、突き飛ぶ。



 老人は立ち上がり

「危ない危ない。何という剛力。では、今度はわたくしの番」

 と言いオレに近づいてくる。何かまずい。近づかれると危ない、そんな気がする。近づくな、吸い込まれそうだ。


 オレは息切れをしている。


「あ」と、老人は上を見た。釣られてオレも上を見た。

 すると、に親指のみをあご当てられて、オレは上を見たまま天井を見上げて後ずさる事しか出来ない。

 そのまま壁まで追いやられた。卑怯とはいえ、オレの体を指一本で押し込む……。

 オレは前蹴りをしようとするが力が入らない。老人は指を離して言った。


「君は強い。何故だか分かるかね?」

 確かにこの老人に拳は当たってなかった。壁へ突き飛ばされたのは演技だったという訳か。


「力は強いですが、強いとは思っていないです」

「あの娘と手合わせしてみるかい?」

「あの、女子を殴るわけにはいかないので」


 コイツは言う。

「是非」

 オイオイなんだ、お前。


 ということで、正座していたコイツが立ち上がった。赤畳あかだたみへ立ち礼をする。

 オレも習って礼をして畳中央へと進む。

 突然歩きながら近づいてきた。この異様な感じ、さっきの老人と同じだ。


 近づいてはいけな……オレは気づくと天井を見ていた。どこも痛くはない。コイツに何をされたというのだ。


 視界にコイツが現れ、髪を耳にかけながら

「おーい、大丈夫かー」と言った。

 オレはゆっくり起き上がった。場外まで飛ばされていたようだ。


 ひと休憩置く。

「あのバスで一緒だったとき、お前は強いと言った。その意味分かるか?」

 と、コイツは尋ねる。

「分からん」即答した。


 老人は言った

「傷つけずして倒す。口論でさえも、なんでもそうだ」

「傷つけずして……」


 コイツも言う

「あの時、お前は男子の腕を強く握っただけだった。そういうことだ」

 まあ、この爺さんには本気で殴りに掛かったが。それは、恐怖感を感じたからだ。


「それよりも、お前や師範が近づいてくる時に感じた恐怖感は何だったんだ」

 老人が答えた

「それはお前さん自身が創りあげたんだろう。闘ってはならないモノに触れたとき、人は恐怖する。悪い事ではない」


「分かりやすくお願いします」オレが答えを求めた。

「素手に対して真剣を持った者と対峙したとき、恐れるだろう。お前さんにはその感覚が有るって話さ。恐れを知らない者は争い、人を平気で傷つけてしまう」

 分かったような、分からないような話だと思った。


 つまり、オレが相手を恐れなければいい。

「それ自体危険だ」勝手に人の考えを悟りやがって。


「もう一度手合わせ願おうか」

 オレはコイツに言った。



「ぐっ」畳へ弾き飛ばされる。

「ぺげ」弾かれる。

「うっ」何度も試したがコイツの速さは見切れない。


「そうやって、恐れを乗り越えていくんだよ」爺さんは呟いたが、稽古中の二人には聞こえていなかった。


「待て」

 オレはコイツに言って、突きが来る寸前で止まった。なるほど、こう親指で胸を突いていたのだなと分かった。


「何だ?」


 爺さんの姿が見えないと言うと

「帰ったよ」とコイツは応えた。


 気づくと、午後五時を過ぎるまで稽古をしていたのだった。

 コイツは自転車で来ていた。

「じゃあなー! 死ねよー!」とオレは言った。

「じゃあなー!」


 あれ? 死ねよと言ったのに、何の不自然も無く帰って行った。


 入道雲が見えるこの日、オレは誓った。アイツに勝つ!

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