筋肉の下の見えない筋肉
赤川
筋肉の下の見えない筋肉
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神奈川県横浜市、金沢八景駅から運河沿いを通り八景島マリンパラダイス近くにある、大型フィットネスクラブ。
ボディー・ダルマ。
そこの会員である
「フー……ンー……フー……」
安定した呼気に合わせ、大腿四頭筋、大腿二頭筋が大きく伸縮する。
河西兵平は近くにある横須賀大学のカヌー部所属だ。競技の為に身体を鍛えているという事はあるが、半分は趣味である。
やはり、マッチョはモテるのだ。
レッグプレスマシンから降りると、軽く息を整えながらプロテインミルク入りのマイボトルを
それから、ハーフパンツの上からでも盛り上がりのわかる、自分の下肢の筋肉チェック。
今日もナイスバルク。
脚部だけではない。
河西兵平は一にモテ、二にカヌー部の為に、全身の筋肉をバランスよく鍛えていた。
ついでに、首を回して容姿もチェック。
こちらも好印象を持たれやすいよう、爽やかイケメンフェイスを意識している。鏡を前にするたびに、笑顔をチェックだ。
女性にモテるのは自信がある。
筋トレをはじめた高校の夏から彼女が途切れたことはなく、二股や軽い付き合いを前提にした
こうしてフィットネスジムでも、同じように鍛えに来た女性へ笑顔を向ければ、悪い反応をされたことはない。
最近は、付き合う相手も鍛えている女性が好みだ。
引き締まったカラダを知ると、それ以外の緩んだ肉付きでどうしても萎えてしまうのである。
さて今日は自分の好みに引っ掛かる女性が来ないものか。
チェストプレスマシンに座り、両腕のアームを前に押し込み大胸筋に負荷をかけながら、ジムを見回す河西兵平。
この日は土曜だった。
平日なら同じ大学の学生が何人か、仕事帰りの事務職やレジャー関係の女性が割と多く来る。
しかし休日の夕方近くだと、あまり利用客も来ないようだった。
これは今日の出会いは期待できないな。
ならば、それはそれでトレーニングに集中すれば、より魅力あるボディーで次の出会いに備えられるというものだ。
そんな真剣なんだか不純なんだか分からないことを考えていた河西兵平だが、
「わざわざこんなところに来なくても、理人ならマシンを揃える事だってできるでしょ」
「まぁそうかも知れませんけど……トレーニングの仕方はプロのトレーナーに聞いた方がいいとも聞きますし」
そんな会話が聞こえてきたので目を向けると、驚きのあまりトレーニングの手が止まってしまった。
そこにいたのは、とんでもない美人である。
全身の筋肉は素晴らしく発達して引き締まり、かつ女性らしい豊かでメリハリのある身体つき。これほど美しいマッスルボディーは見た事ない。モデルでも余裕だろう。ボリュームある巨乳に尻も120点満点。
更に、目鼻立ちがハッキリした顔形で、取り澄ました冷たい表情もゾクゾクさせられる。文句なしの美貌だ。
数多くの女性と付き合ってきた河西兵平であるが、そんな経験が遠い過去と化すほどの相手。
この美女と付き合えないのなら、今まで鍛えてきたことに何の意味もないとさえ思えていた。
「体験入会の方ですかー? どうぞー」
「はい、お願いします」
その極上のマッスル美女は、どうやらはじめて来た客らしい。
クラブの事務員に案内を受けるのだが、そこで初めて美女の連れの男に気が付いた。
美女がこのままオリンピックにでも出られそうなスタイルであるのに比べて、男の方は筋肉的
細身で背は低く、ついでに顔付も男らしさは皆無。おまけに表情も影があり暗めだった。フィットネスジムには全く似つかわしくない野郎である。
美女の連れでなければ、一生関心を持たないタイプであろう。
だがふたりが一体どういう関係なのかが、河西兵平には重要だ。
男女の関係はあり得ないにしても、姉弟というには似ていない。美女は天然らしき自然な金髪のポニーテール。チビな男の方は単なる黒髪だ。
それとなく見ていると、美女は軟弱野郎の付き添いらしいことが分かった。いよいよ関係が気になる。
いや男なんてどうでもいい。重要なのは美女の方だ。
河西兵平はチェストプレスマシンを降り、美女に近いラップトルダウンマシンに乗った。
美女を観察しながら、頭の位置にあるレバーを下に引き広背筋のトレーニングアピール。盛り上がる背中の筋肉。
「んぐッ…………!」
「はいそのまままーっすぐ胸の前であげてくださーい。いいですよー安定していてー」
一方、美女と事務員兼インストラクターの女性に付き添われている軟弱男は、バーベル台で仰向けになり、バーベルシャフトを持ち上げていた。
重量10キロ。細い腕がプルプル震えている。
体験入会ならそんなものであろうが、鍛えに鍛えた河西兵平にしてみれば遊びにもならない重量であり、やはり軟弱な雑魚だなと見下す思いだった。
男の方が何者であろうと、
拳を胸の前で押し付け合い、胸の大胸筋、肩の三角筋、腕の上腕三頭筋を盛り上げさせ、ニィッとワイルドな笑みを作るモスト・マスキュラーのポーズ。
鏡に映る自分の仕上がりに自信を持った河西兵平は、インストラクターの事務員が離れたところを見計らい、美女の方へと踏み出していた。
「あー……分かってたけど素の筋力だと辛いっス」
「まぁいざという時に備えて身体を鍛えておくのは良いと思うけど、別にジムでわざわざ鍛えなくてもあなた、サー・パーシヴァルに――――」
「いやー綺麗な脊柱起立筋してますねぇ、おねえさん。今日から入会ですか?」
ぐったりしている軟弱な男へ眉を
親しみやすそうな笑顔と口調の河西兵平。
話しかけられた美女の方は、怪訝な顔をしていたが。
しかし、この程度なら予想の範疇。今までのナンパでも、最初の反応がいまいちだった事は数え切れないほどあった。
百戦錬磨のナンパ男は、それでも女性を射止めてきた自負があるのだ。
「僕も脊柱筋や広背筋周りは重点的にやっているんですよ。カヌーでオールを漕ぐにも背中の筋肉を特に使いますからねッ」
と言うと、クルリと回って背中の筋肉をパンアップさせて見せる河西兵平である。
笑顔も忘れない。
これで、キャースゴーイ、とか言われる確率70%。悪くない数字だ。
このように弾みを付ければ、次はより接近できるだろう。
などという成算を付ける河西兵平だったが、返ってこないリアクションに肩越しに振り返ると、マッスル美女はどこか呆れたような無表情だった。男の方も目を丸くしているが、そっちはどうでもいい。
おっとこれはレアなパターンだぞ、と少し焦る河西兵平であるが、ここでは自分のペースを崩さずナンパ継続だ。
「おねえさんも背中や胴回りスゴイですねー。腹斜筋と腹横筋が強くないとそのクビレはできないでしょ? なにされてるんです??」
次は相手を褒めるフェイスである。
ヒトは褒められれば悪い気はしないモノだし、その点この美女に対しては褒めるのも楽だった。
何せ、お世辞ではなく見事な身体をしており、身体に張り付くトレーニングウェアからもそれがよくわかる。
スッキリとしながら確かな肉付きを感じさせる腰のクビレ。細いのに肋骨が浮いていないのは、筋肉が高い密度を誇る証だ。
腹の肉も全く出ていない。締まっているが、かと言ってバキバキに割れているワケでもなく、しなやかだ。
これは全体的に言えることだが、一見して
トレーニングなどで作られた身体ではない。自然そのままな、野生の中で駆使された結果発達する、肉食獣の如きバランスなボディースタイルと言えた。
でも大きく柔らかそうな胸と尻はたまらん。
おっとあまり見てはいけない女性は男の視線に極めて敏感だ。
「こっちは取り込み中よ。オンナ引っ掛けたいならその辺のバーにでも行きなさい」
河西兵平が流れるように視線を戻すと、その完璧美女は
これは取り付く島もない、手強いパターン。
これが普通の相手なら、無理に攻めず諦めてしまう事も過去にはあっただろう。
だがこの相手は、オンナなら他にいくらでもいる、と諦められるような美女ではなかった。
河西兵平、これまでで最大の挑戦。
なんとか取っ掛かりを得て、あのクールな美女から笑顔を引き出すのだ。
「バーなら、能島前の湾のところに渋くて景色も良くて料理にも凝ったところがあるんですよ。この後どうです、一緒に?
ガッツリ行きたいなら隣の焼肉屋でもいいですけど」
逆に、河西兵平は笑顔を消した真剣なキメ顔で誘いに出た。
さりげなく半身の姿勢になり、上腕三頭筋や前腕筋といった腕回りの逞しさをアピール。
つれなくされたなら、おちゃらけ、下ネタ、下手に、強引に、といくつかアプローチするルートはあった。
だが、河西兵平が選んだのは、誠実にいく方針。
本気の勝負の時は、常にこれである。
内心の方は誠実さとはかけ離れていたが。
「並のやり方じゃ、そんなに整った筋肉作れないでしょ。
落ち着いたところで、おねえさんがどうやってそんな風に鍛えているのか、お話聞かせてもらいたいな」
一世一代のプロポーズ並みの押し。ただし距離を迂闊に詰めたりしない。それは圧迫感と威圧感を与えて警戒を呼ぶ悪手だ。
河西兵平は自分の外見を知っている。身長181センチ、体重89キロ、体脂肪8%、筋肉の壁。
まさに釣りの如く、強引にいき糸を切らないよう、見えない駆け引きを続けるナンパ筋肉男であるが、
「…………理人、立ちなさい」
「え? この流れで??」
「いいから立つ」
「…………はい」
美女の方は筋肉ナイスガイ(主観)には応えず、何故か隣でぼんやりしていた貧弱な小男の方を立たせていた。
身長は170に届かず、男としての自信も垣間見られない。
フィットネスジムで身体を鍛えようと一念発起した貧弱君そのままという様子だった。
「ほれ」
「ぅぎゃぁあ!?」
その貧弱君の黒いTシャツを、おもむろに捲り上げるマッスル美女である。
男の方は裏返った悲鳴を上げていた。
男の腹なんて見ても嬉しくもなんともない。案の定細いし割れてもいない。
なのに何故、美女の方がちょっとドヤ顔なのか。
いったい何の意図があるのか、意味が分からない、と戸惑いを顔に出す河西兵平。
その真意をはかりかね、迷った目線がたまたま貧弱君の腹へとまた戻るが、
(……ん?)
そこで、自分の認識と実際の光景にズレがあるのに気付いた。
少しの間それが何なのか分からなかったが、その貧弱君の腹回りの筋肉は、判り辛いが貧弱君のモノではなかったのである。
鍛えていない腹の場合、そこには内蔵や脂肪による弛みや特有の膨らみが見られるはずだった。子供の下腹がポッコリしているのと同じである。
ところがその貧弱君(仮)は、ヘソから下腹部にかけて滑らかに内側へカーブしていた。
そして何より、痩せている人間によく見られる肋骨の浮き上がりも無い。美女同様に薄いが強力に筋肉が張っている証拠だ。
外ではなく、内向きの筋肉の発達。
日々の行動の中で自然と培われたモノ。
下地にあるのは、美女の極めて均整の取れた筋肉と同様のモノであろう、と河西兵平は気付いていた。
「大事なのは、中身ってことね。
行きましょう理人。やっぱりあなたにはジムのトレーニングなんて必要ないわ」
「……オレもちょっとくらい筋肉付けたいんですけど」
「だから必要ないってば」
インストラクター事務員が戻ってきたが、マッスル美女は隠れマッチョの男を連れてジムを去ってしまう。
美女の言う、『中身』。
それはインナーマッスルの事か、それとも別の含みがあったのか。
何にしても見透かされていたようで、河西兵平は何も言えず、またその機会も永遠に失われてしまった。
以後、筋肉が自慢のナンパ男は、そのライフワークたるナンパへの頻度を大きく落とすことになる。
どんな女性を見ても、逃がした大魚と比べてしまうのだ。
それに、
本当に見る目のある女には、筋肉の下にあるスケベ根性を見抜かれているのではないか。
そんな恐れが、
しかし、それからもフィットネスジムで金髪ポニテのマッスル美女の姿を探してしまったのは、あるいは初めての本物の純愛だったのかもしれない。
「ミアさんやっぱりオレも筋肉付けたいよ。弱く見えるでしょ。仕事で舐められる……」
「わざわざ筋肉付けなくたってリヒターは問題ないでしょ。それにトアだって言ってたじゃない。リヒターはお腹がセクシーだって」
「だからだよッ!!!!」
筋肉の下の見えない筋肉 赤川 @akagawa
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