神庭山《かむばさん》神社の神事

仲津麻子

第1話神庭山神社の神事

 真白ましろが住んでいる屋敷は、神庭山かむばさんの麓にあり、周囲は鬱蒼と繁る木々に囲まれた場所にあった。

 神庭山は、正式には神庭連山かむばれんざんと言い、複数の峰が繋がった姿をしていた。


 真白は、使用人の守屋厳三もりやげんぞうの背にわれて、山道を登っていた。

かつては霊山とも言われ、山伏やまぶしなどの修験者しゅげんしゃの修行の場だったとも言われているため、子供の足で登れる道ではなく、勾配が急で、けわしかった。


「厳三、疲れない?」

真白は、厳三の太い首に、両手でかじりつきながら言った。


 ひとあし、ひとあし、足を踏み出すたびに、まわした真白の腕から、厳三の肩の筋肉が盛り上がったり、くぼんだりするのが伝わってきた


「大丈夫ですよ。なんともありません」

「ごめんね、私が見たいと言ったから。こんな道だとは思っていなかった」


緋衣ひい様は羽のように軽くていらっしゃるから、なんともありませんよ。私も、この地の神事を見るのは初めてなので、楽しみです」


 神庭山の中腹に、周辺の農民が古くから信仰している神社があって、今日はそこで神事がおこなわれるのだという。

小学校の同級生が行くと行っていたため、真白も見てみたくなったのだった。


 神社は山ぎわにはりつくようにして建っていた。丹塗にぬりのはげかけた鳥居があって、それをくぐると茅葺き屋根の本宮ほんぐう一棟だけがあった。


 さほど広くない敷地の中央には、土俵が盛られていて、縄を張った見物席の半分ほどは、すでに人で埋まっていた。


「どうやら、相撲すもうのようですね」

厳三が顔をほころばせた。


「相撲が神事なのね」


「そうですね。こちらにいらっしゃる神様は、五穀豊穣の女神様だそうですから、秋の豊作を願って、相撲を奉納するのでしょう」

厳三は、神社由来の書いてある立て札を読みながら説明した。


「そうなのね」


「緋衣様がおやしろで舞われるのも、陽来留国ひくるのくにの神様への奉納ですよ。こちらでも同じように、神事をすると神様が喜ばれるのでしよう」


 真白は厳三にうながされて、見物席の縄の前に立った。厳三は彼女を護るように背後に立ち、神事の始まりを待った。


 やがて白装束の神職が本殿に向かって立ち、祝詞のりとを奏上した。かかげたさかきの枝を振って土俵を清めると、まわしを締めた十人ほどの男たちが入ってきて、東西に分かれて並んだ。


 力士たちはみな、近隣の力自慢のようだった。見物席のあちこちから、力士の名を呼ぶ声がかかっていた。


 背広にかみしもを着けた、少し違和感のある姿をした呼び出しが、声を張り上げて、最初の取組を呼び上げた。


 取組は歳の順のようで、最初は十代前半と思われる少年たちだった。

東の少年は、剽軽ひょうきんな性格なのか、精一杯真面目な顔を作っているつもりでも、キョロキョロと視線が定まらず、口元にはニヤニヤ笑いが浮かんでいた。


 一方、西の少年は、東よりひ弱な体つきで、手足が長く背が高かった。緊張のあまりなのか、歯がかみ合わず、体も小刻みに震えていた。


「しっかりやれ!」


見物席から野次が飛ぶと、まわりからどっと笑い声が上がった。


 袴姿の行司が軍配を返すと、二人は真正面からぶつかりあった。

どう見ても東の少年の方が力強い。西はぶつかった拍子に足をもつれさせたまま、尻餅をついて、一瞬で勝負がついた。


 見物席からは、勝った方には勝利を祝う盛大な拍手が、負けた方にも笑いと健闘をたたえる拍手が送られた。


 取組は順に進み、最後は三十代かと思われる、屈強な男二人が向き合った。

近隣は農業を営む家が多い。おそらく農作業で鍛えられた体なのだろう、太い腕の筋肉が盛り上がって、ぶ厚い体躯からは熱が発せられているかのような、闘気を感じさせた。


「はっけよい! のこった のこった!」

行司の声が響いた。


 東西力士の硬い筋肉が激しくぶつかり合うと、バチンという音が見物席にまで響いた。大きな手で互いに張り合うたび、バチンバチンと音がして、肩から胸にかけての皮膚が赤く染まっていった。


 見物人たちは身を乗り出して勝負に見入っていた。興奮して腕を振り回している者、縄を乗り越えようとして、連れに抑えられている者、絶えず野次を飛ばし続けている者。見物席の熱気も最高潮だった。


 力士たちは、組み合いながら、互いのまわしを取ろうと競っていた。二、三歩右に移動したかと思うと、次には方向を変えて左に二、三歩。力が拮抗しているせいか、なかなか勝負がつかなかった。


 真白は何気なく、本宮に目を移した。

ぎっしりと厚く積まれた茅葺き屋根が、ほんのりときらめいているのに気がついて、目を見張った。


 確か、相撲がはじまる前に見た時は、変わったようすはなかったはずだった。


「厳三、あれは?」

真白は本宮の上の煌めきをさして言った。


「どうされました?」

「屋根の上がキラキラしてる」


「左様ですか、私にはわかりませんが、緋衣様には見えるのだと思います」

真白は、もしかすると変に思われるかもしれないと思いながらも、正直に話してみたのだったが、厳三は驚いたようすもなく答えた。


「私にだけ?」

「はい、陽来留国の緋衣様には、神様を感じる力があると言われていますから」


「そうなんだ」

「はい、裳着の儀式を終えられたので、お力の一端が現れてきたのでしょう」

厳三は微笑んだ。


「ただ、神木かむきの者以外には、あまりおっしゃらない方が良いかもしれませんね」

「ふうん」


 見物人から大きな歓声が上がって、勝負がついたようだった。

土俵には東の力士が倒れていて、それを西の力士が手を延べて起こそうとしていた。


 この神事では、取り組み勝負をするだけで、優勝者を決めるわけではないようだ。

勝った力士は、土俵の端に蹲踞そんきょすると、行司から榊の枝と御神酒おみきをうけとって土俵を下りた。


「神様が喜んでいる」

真白はつぶやいた。


 彼女の目には、人の形にも見える輪郭が、ひときわ強い輝きを放って本宮の上に浮かんでいるのが感じられていた。


陽来留国物語ひくるこくものがたり緋衣様逸話ひいさまいつわ・伍】


(終)

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神庭山《かむばさん》神社の神事 仲津麻子 @kukiha

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