第二章 アニメレギュラー編

第1話『結果発表は突然に』

東京都港区赤坂の閑静かつ高級感溢れる住宅街を、一人の女性がゆるり緩歩していた。


十人に聞けば六、七人は美人と答えるだろう、それなりに容姿の整った可愛らしい顔立ちの女性だ。メイクが上手い、ということもあるだろうか。

長めの髪は頭の後ろで綺麗に編み込まれ、前髪の隙間からは清楚に化粧を施された双眸がキラリと覗いている。

そしてその表情からは、達成感に満ちた興奮と、爽やかな疲労感が確かに見て取れた。


彼女の名は佐藤愛莉。

都内在住のしがない女性声優である。

この日は、現在週一のレギュラーで仕事を貰っている海外ドキュメンタリーのVOボイスオーバーの仕事を終えた帰りであった。


VOボイスオーバーとは、翻訳音声において元の言語の音声を小さめの音量で残しつつ、その上に吹き替え音声を重ねる手法のことだ。

原音の話者の緊張感などがよりリアルに伝わるため、ニュースやドキュメンタリーなどの翻訳音声としてしばしば使われる手法である。

声優としての技術面に言及するならば、内容をわかり易く伝えるガイド音声としての側面が強いため、一般的な吹き替えに比べるとナレーションやアナウンスに近く、過剰な演技や大袈裟な芝居はあまり求められない。

そして愛莉は割合とナレーションが得意なタイプだった。


「わたし、VOって結構好きなんだよね〜。内容が伝わりやすいように普通に喋ればいいし、パク合わせも尺に入ってればざっくりで許されるし」


突然、誰かに話しかけるように愛莉が口を開いた。


愛莉のそばに他の人物は見当たらない。スタジオから帰る道は、敢えて人通りの少ないルートを選んでいるようだった。

しかし、それは明らかに独り言とは違う、誰かに語りかけたような口調だった。

傍から見れば日常に疲れきって頭がおかしくなったOLとも捉えられかねない光景であったが、しかし――


「むぅ〜、わしはどうも窮屈で好かぬのじゃ……」


にゅるりと、愛莉の背後からチャイナ服姿の(しかし全体的にやや半透明の)美少女が現れた。


「タマちゃんは自由奔放すぎるの。ナレーションも下手だもんね〜」

「だって芝居とはもっとこうパーッとやるもんじゃろう! あとタマちゃんはやめい!」

「いいじゃん猫みたいで」

「嫌じゃー!」


この愛莉と似ているようで、しかし更に愛嬌良く器量の整った(十人に聞いたら間違いなく十人が可愛いと言うような)お団子ヘアの美少女こそ、愛莉がわざわざ人通りの少ない道を選んで歩いているその理由でもあった。



遡ること、一ヶ月ほど前のことである。


佐藤愛莉は一世一代のオーディションを控えていた。

オーディションで振られた役は架空のキャラクターではあったが、古代中国に実在したとされる楊貴妃(世界三大美女、すごい美人)が多分にモデルとされていた。そのため、愛莉はその辺りの予備知識を調べまくった。

調べまくり、原作を読み、また調べては原作を読み――


――結果、迷走した。


ここまでは別にただの声優あるあるに過ぎないが、問題はここからだ。

迷走の果てに迎えたオーディション当日、愛莉は天に向かって吼えた。「もうわからん! 降りろ! 楊貴妃!」

すると雷が降ってきて愛莉に直撃。当然愛莉、気絶。

目が覚めると愛莉の中に楊貴妃がいた。

何を言ってるか分からねぇと思うが何があったのか愛莉にも分からなかった。


しかもあろうことか楊貴妃を名乗るその思念体は、愛莉の意識が無い間に身体を乗っ取ってオーディションをハチャメチャに引っ掻き回していたのだ。

「ダイジョブダイジョブ。わし、本人ぞ?」

キュートにパワーワードを言い放つチャイナ娘のスタ●ドに当然錯乱する愛莉であったが、しかしかと言って最早どうにもならないので流されるまま本番を丸投げする他なかった。


そして原稿を読み上げる楊貴妃、なのであったが……そのパフォーマンスがエモ過ぎて愛莉、感動。

失いかけていた演技に対しての初心とモチベーションを取り戻し、なんか良い感じに前を向いて、第一部 ~完~ 。



そんなこんなで現在に至るというわけである。

そしてこのタマちゃん呼ばわりされている美少女背後霊こそ、楊貴妃を名乗る謎の思念体である。

ちなみにタマちゃんの由来は楊貴妃のいみなである玉環の玉から来ている。見ての通り本人からは不評だが。


「ほら、そろそろ駅だから隠れて」


僅かに人通りの増えてきた道すがら、愛莉は楊貴妃に囁いた。


「別に他の者には見えぬじゃろ……」

「分かんないよ? 霊感強い人とかいるかもだし」


くだんの事件から早一ヶ月、既に愛莉はこの存在を霊的な何かと解釈して、何となく受け入れ始めていた。

ふくれっ面で背後に引っ込んで行く楊貴妃を見届けて、愛莉は何事も無かったかのように前を向き、歩いていく。

実は引っ込んだところで楊貴妃は愛莉の内側にいるので目を閉じたり集中すれば会話は出来るのだが、周囲への注意が薄れるので必要に駆られない限りはなるべく避けている。

先程のように半透明の幽霊みたいな形で出てきてもらって口頭で会話する方が、人の目がない限りは楽というわけだ。


加えて、この楊貴妃を名乗る存在や、それに取り憑かれているという状況について幾つか分かってきたこともある。


一つはこのタマちゃんはどうやら史実に聞く楊貴妃その人本人っぽいが、かと言って確証も持てないという事だ。

如何せん千年以上前の事なので現代に残る資料が断片的なのと、後述する彼女のとある能力によって愛莉の持つ記憶との混濁がある点だ。

しかし彼女の生前の周辺にいた人物名やエピソードなどを聞く限りは、我々が知る世界の楊貴妃とかなり近い存在であることは間違いなさそうだった。


二つ目は彼女の容姿について。

本人の談によれば、愛莉から認識できる今の容姿は、彼女の生前の15歳前後の頃の顔立ちと、今の愛莉の顔をちょうど足して二で割ったような感じらしい。

どうりでやたら自分に似てるわけだと思う愛莉であったが、同時に世界三大美女と自分が実は似ていたとかそういうサプライズがある訳では無さそうで内心がっかりもした。

けれども当の楊貴妃が、中華風と和風がミックスされたような今の顔立ちを割かし気に入ってるらしく、その点は中々悪い気がしなかった。

しかし顔が良いなオイ……自分にしか見えていないのが勿体無いくらい……リアルの自分もこうならないかな……、そう対面する度にひっそり考える愛莉であった。


そして最後に、楊貴妃が愛莉に憑依するにあたって付与されたらしい能力について。

そう、早い話がチートスキル転生モノによくあるアレだ。

その名も『記憶領域展開ゲート・オブ・アッシュルバニパル』。


いやいや、古代中国人が横文字使うなよと思わずツッコミかけた愛莉であったが、そのあまりに危険なオマージュの香りに深く追及するのはやめた。漢字の方もルビの方も、出来れば二度と口にしないでもらいたい。


能力の内容は、愛莉の記憶を自由に検索したり、それを取り込むことが出来るというものだそうだ。そしてその記憶を愛莉がはっきりと覚えているかどうかに関わらず、深層意識から引き出して復元することが出来るらしい。

いや地味な能力だなと正直思ったが、それで憑依した直後に色んな引き出しを開けまくって現代に関する情報や愛莉の個人情報などを把握したというわけである。どうりでヒ●ルの碁とか知ってたわけだ。

しかし面白がって一気に記憶を取り込んだ副作用として、楊貴妃本人が持っていた自分の過去の記憶について、一部愛莉の記憶との混濁が生じたというのだ。なので今はあまり無闇には触らないようにしてると言っていた。うん、是非そうしてくれ。


正直、脳内をまさぐられたようで初めは良い気がしなかった。普通に黒歴史とかいっぱいあるし、人間嫌な記憶ほど閉じ込めておきたかったりするものだ。

しかし、間もなく愛莉はその能力のとてつもない利便性に気付いてしまう。



「あれ、スマホどこに置いたっけ」

「帰宅してコートを脱ぐときに、玄関の下駄箱の上に置いてそのままじゃ」


「あれ、家の鍵かけたっけ」

「かけたぞ」

「コンロの火は……」

「消した」


「あれ……この制作さん前に会ったことあるけど、名前なんだっけ……」

「東海新社の坪井さんじゃ」


「やばい、今日同じ収録時間の遠藤さんって役者さん、前にどこで御一緒したか思い出せない……」

「三ヶ月前に『怒りのヘル・ロード』という映画の吹き替えで一緒にモブを何役か兼ねてたぞい。同僚の警官役で掛け合ってもいたようじゃな」



クソ便利だった。

特にこの声優という職業、レギュラーですら週一くらいでしか同じ面子で仕事をするということがないため、日常的に初対面の人やら、半年やら一年ぶりの人と顔を合わせる事になる。

故に「誰だっけこの人……」は頻発するし、逆に覚えが良い人は非常に好感を持たれやすい。

愛莉も可能な限りマメに共演者のことを調べていたし、先輩や制作さん、音響監督に失礼のないよう細心の注意を払っていた。

ところが今は頭の中で「Hey, Tama. この人との共演歴を教えて」と唱えるだけで、どんな些細なエピソードも掘り返せるのである。

既にこの一ヶ月、「佐藤さん、よくそんなこと覚えてましたね」を少なくとも八回は言われていた。


「(こりゃ確かにチートスキルだわ……頼り過ぎにも気をつけなきゃ)」

「これアイリ、おぬし最近ワシを賢めのS●riだと思うとらんか」

「(タマをシリ扱いとはこれ如何に……)」

「おい下品じゃぞ」


そんな小言を言いながらも、何だかんだ毎回記憶を掘り返してくれる辺り、どこか楊貴妃も愛莉を甘やかしてくれているようだった。


「(このアイリという女子おなご、普段から器量を超えて頑張り過ぎるへきがあるみたいじゃからのう……ま、このくらいは多めに見てやろうかの)」



さて、そんな楊貴妃の気遣いなど露知らず、愛莉は東京メトロ丸ノ内線・荻窪行きの車内に乗り込む。

現在地は赤坂見附駅。新宿で乗り換えて最寄りの笹塚駅までは、占めて三十分弱の路程だ。

まだ乗客数の少ない時間帯なのか、ちょうど目の前の席が空いていたので腰かけた。


ひとまず、今日もなんとか仕事をやりきった。

反省もあるがそれは後で最寄りに着いてから考えよう。

そう思い、ゆっくりと目を閉じたその時だった。


ブーッブーッ。


愛莉の左ポケットの中で、スマホのバイブレーションが鳴り響いた。

慌てて取り出し、画面を見ると「森崎 綾」の文字。


「“まねじゃあ” からじゃのう」

「あわわ、どうしよう」


仕事関連の連絡など、基本的にはメールでやり取りされるため、マネージャーから直接の電話はかなりのイレギュラーだ。まず思い当たる要件として『仕事での失敗』などが上がる。

冷や汗を掻きながら慌てて立ちあがり、ドア付近に身を寄せると、ひとまず折り返しの連絡をしようと応答ボタンに指をあてた。


「すみません……今電車内なのですぐに折り返しを――」


言いかけたそのとき、テンションの振り切った森崎の声が愛莉の耳をつんざいた。


「佐藤さん!!! 今お時間大丈夫ですか!!?!?」


思わずスマホを耳元から遠ざけた。一体何事だろうか。こんな取り乱した森崎さんは未だかつて経験したことがない。何かとんでもないやらかしをしただろうかと思いを巡らすが、困ったことに身に覚えが全くなかった。


「えっと、今電車で……」

「あ! すみません!! 失礼しました……!」

「いえいえ……! あ、ちょうど今駅着いたので一旦降ります!」


駅間距離の短い丸ノ内線で助かったと思いながら、急いで四ツ谷駅のホームに降り立つ。

一呼吸置き、覚悟を決めて再び電話口に顔を近付けた。


「はい、もう大丈夫です。お話頂いて……」

「佐藤さん! 決まりました!」


決まりました……? 一体何の話だろうか。仕事の決定連絡ならメールで来るはずだ。となると他には……サッカー?


「忘れたんですか? ゲンギンデンですよ! ゲンギンデン!!」


ゲンギンデン? サッカー選手? ドイツ人かな

全く状況が呑み込めずにそんなことを考えていると、頭の中で楊貴妃の声が響く。


「(あれじゃろ、前に受けた『おおでぃしょん』の)」


おおでぃしょん……オーディション?

HAHAHA、一体何を言ってるのだろうかこのタイムスリップ子猫ちゃんは。最近受けたオーディションなんて幻想銀河伝説だけだし、その略称は確かげんぎ……


げんぎんでん…………?


「幻銀伝!!?」

「そうです! 役決まりました! 幻銀伝で!」


あいりは めのまえが まっしろに なった!


「あzsxdcfvgbhんjmk、l。;くぁwせdrftgyふじこlp;@:」

「(落ち着けアイリ……なんか顔の作画が大変なことになっとるぞ……!)」


落ち着けというにも無理がある。だってそのオーディションで受けた役はメインヒロインの――


「え、あ、え、っと、あ、え、その、もしかして、や、や、ヤンきhッ、ウィンd」

「はい! 幻銀伝のメインヒロインの、ヤン・貴妃・ウィンディ――」


なんということだ。

脳内で楊貴妃のドヤ顔がよぎった気がしたがもはやそんなことを気にしている余裕は無い。

だって、私がアニメのメインヒロインなんて――


「――の姉の、ヤン・虢妃カクヒ・ユリィ役に決まりました!!」






「…………はいぃ?(なにぃ?)」

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二十六歳女性声優、役を降ろそうとしたら本物の世界三大美女が降りて来たのでその才能を使って業界で無双してやろうと思います! え、無理!? 紫檀(むらさきまゆみ) @takahashi_shitan

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