第参拾肆集:風

 屋根の上、うごめくそれは、もはや〈人間〉ではなかった。

「そんな姿になってまで玉座が欲しいのか、蘭玉」

 蜘蛛のように幾つも伸びる触手のような菌糸。

 服は引き裂かれ、肌は赤黒く、かろうじて判別できるのは、琰耀えんようを嘲笑う蘭玉の顔だけ。

「殺シテヤル」

 声が何重にも聞こえるのは、屍玉ネクロクリスタルの苗床にされた人々の声が混じっているからだろう。

 琰耀えんようは飛びながら距離を詰めようと剣で触手を切り裂いて行く。

 しかし、あちこちに伸びるそれらは斬られたそばから生え変わり、きりがない。

「痛クナイ、マルデ痛クナイゾ、小僧!」

 触手のいくつかは対龍神族用の武器を構えている。

 おそらく、琰櫻えんおうが倒した男たちの武器をそのまま拾ってきたのだろう。

義兄上あにうえには手を出していないだろうな」

「アイツニハ祥国ノ皇位継承権ハ無イ。後回シダ。マズハ、オ前ヲ殺ス」

 琰耀えんようは到着した翠櫻すいおうの近衛たちに「琰櫻えんおう殿下の応援に行ってください」と指示を出した。

「こいつは、わたしが倒さなきゃ意味がないんだ」

 琰耀えんようは触手の間を通り抜け、触手同士が絡まるように仕組んだ。

「……斬リ落トセバイイ」

 蘭玉は絡まった部分を自身の身体から引きちぎると、さらに増えた触手で襲い掛かってきた。

「死ネ」

 足を絡めとられた。

 すぐに触手を斬り、逃れる。

 一息つく暇もなく、背中に鞭のように鋭い打撃が加わる。

 回転しながら姿勢を整え、身体の中に力を溜めていく。

 触手が握っている武器が服を切り裂き、肌を掠めた。

 血が出る。

 幸い、毒は回らなかったものの、傷が増えていく。

「もう少し、もう少し……」

 手を服で拭い、血を落とす。

「トドメヲサシテヤル!」

 触手が握った剣が琰耀えんようの頬を掠めた瞬間、傷口が白く輝き始めた。

 いや、琰耀えんようが光を放っているのだ。

 白く、熱く、ひどく冷たい光。

「ナ、ナンダ」

 蘭玉が狼狽えた。

 複数回のまばたき。

「ア……、アアアアアアアア!」

 触手がぼとぼとと屋根の上に落ちていく。

 切り口は焼灼されている。煙を上げながら。

「痛イ! ナ、ナゼ生エナイノダ!」

 琰耀えんようは構わずに舞い続けた。

 すべての触手を斬り落とし、愚鈍になった蘭玉の額に剣を突き立てた。

「ア」

 剣をそのままに蘭玉の身体から離れる。

 すると、その赤黒い肌はボコボコと音をたてながら沸騰し、内側から燃え始めた。

「アアアアアア!」

 汚い煙が夜空に昇っていく。

 そのおぞましく悲しい声は、金苑中に響き渡った。

 サラサラと灰になっていく蘭玉バケモノの身体。

 崩れ落ち、その中から出てきたのは赤く染まった骨だけ。

 それもところどころ変形し、人間のものには見えなかった。

 琰耀えんようは湯気にも似た白い煙を上げながら自身の熱を落ち着けていくと、すぐに戦場へと飛び立った。

 そしてそこで戦う全員に向けていった。

「蘭玉は討ち取った!」

 その瞬間、傀儡だった兵たちの動きが止まり、地面へ倒れ始めた。

 操っていた銀鉤教の趕屍匠かんししょうたちが逃げ出したのだろう。

 退避しようとする弥蛍族の兵たち。

 それを、蕉月王が追っていく。

 遅かれ早かれ、弥蛍族は捕まることになるだろう。

 なぜなら、蕉月王とその軍は疲れることが無いからだ。

 一陣の風が吹く。

 灰と血と煙のにおいの中、ただ一人、清廉な夜の空気を纏って。



☆☆☆



 金苑に再び初夏の空気が漂い始めた。

 青々とした木々は太陽の光を反射し、人々を照らした。

「また誕生祭するの?」

 琰耀えんようは皇宮の床に大の字に身体を伸ばしながら言った。

 そんな可愛い義弟おとうとを見つめながら、祥国皇帝は隣で茶を啜る。

「今年はお前のあちらの家族も全員参加するからな。盛大なものになるぞ」

「そんなことしなくていいのに」

翠櫻すいおうが『祝わせろ』とうるさいんだ」

 祥国と龍王谷りゅうおうこくは、互いの努力と友好的交流により、冬から国交が始まった。

 その祝賀もかねて行われるのが琰耀えんよう琰櫻えんおうの誕生祭というわけだ。

 龍王谷は人間が訪れるには過酷だということで、場所は祥国首都金苑に決まり、その分、龍王谷からはこの世の贅を凝らした贈り物が多数用意されるとのこと。

 琰耀えんよう琰櫻えんおうが何度断ろうと、龍王谷がそれを受け入れなかったために、当日は贈りものを保管するためのやしきが十棟ほど確保される。

 それでも収まるかどうかはわからないようだ。

「こう、もっと穏やかな、小さな規模で祝ってくれればいいのに」

琰耀えんようは正装するのが嫌なだけなんだろ」

「ぐっ……。だ、だって、似合わないし……」

「そんなことないよ。最近、また身長も伸びたし。どんどん美しくなるな」

「褒められたって、正装は苦手だもん」

 玲耀れいようは愛おしそうに琰耀えんようを見つめると、その髪を手で梳いた。

「寝ちゃうよぉ」

「あははは。小さい頃からそうだったな。琰耀えんようは髪を触られるとすぐ眠くなる。……まだまだ私と貴太妃しかしらないお前がいることが嬉しいよ」

「……まだ心配してるの? もう二回龍王谷りゅうおうこくには行ったけど、わたしの家はここ。義兄上と義母上の隣だよ」

 ふいに耳に届いた優しい言葉に、玲耀れいようの胸はキュッと締め付けられた。

 独り占めしたいなんて、そんな子供じみたことはもう思っていない。

 でも、離れたくはない。

 どうか目の届く範囲で、可能な限り、最高に幸せでいてほしい。

「あ、そろそろ琅耀ろうように会いに行く時間じゃない?」

「本当だ。遅れたらまた皇后に怒られてしまう」

「奥さんと息子と楽しく過ごしてきてね」

「おう。琰耀えんようは今日どうするんだ?」

「ううん、琰櫻えんおう義兄上が衣装合わせに来るはずだから、手合わせしてもらおうかな」

「お前たちは本当に戦うのが好きだな……」

「お互い、護りたい義兄上あにうえがいるからね」

 少し照れたように笑いながら、琰耀えんようは「じゃぁ、行ってくる!」と空へと飛び立っていった。

 一陣の風が吹く。

 心を満たす、あたたかで優しい風が。

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天狼詩林~龍の力を持つ少年が、陰謀渦巻く皇宮に風雲をもたらす~ 智郷めぐる @yoakenobannin

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