第参拾参集:天狼星

 天狼隊の「天狼てんろう」は、玲耀れいよう琰耀えんようのためにつけてくれたもの。

 意味は、「真昼に照らす恒星が太陽ならば、夜の道しるべになる恒星は天狼星シリウス」。

 共に「光」でありたいと願う、玲耀れいようからの愛情。

 祈りは別の形で琰耀えんようの身に現れた。

 琰耀えんようを選んだのは〈冥琅玕龍めいろうかんりゅう〉。

 この世の煌めく闇を司り、その力も運命も昏い。

 「夜」そのもの、と言ってもいいだろう。

 だからこそ、輝くのだ。

 その優しさや、勇気、愛する力が。

 あまりに眩しい光の中では生きられない者たちのために、ただそっと寄り添う「影」であるために。

 それでも、取りこぼしてしまうことはあって。

 目の前で息絶えていく家族の姿に、深い悲しみが飲み込むこともある。

「あ、義兄上……」





 戦場を離脱した琰耀えんようは、皇宮へと向かった。

 眼下には、もはや隠れるつもりもないのか、優雅に歩いている蘭玉たちの姿が見えた。

 どうなったとしても、金苑の門が開いた瞬間に侵入する手筈になっていたのだろう。

 玲耀れいようが出した指示により、都中に配備された禁軍も、蘭玉に手出しはしない。

 異様な空気が流れる。

 琰耀えんようはこの後に起こる、どうあがいても悲劇にしかならない結末を思いながら、兄たちが待つ玉座へと向かった。

琰耀えんよう、来たか」

 欄干に降り立つと、すぐに玲耀れいよう琰櫻えんおうが迎えてくれた。

 あまりにもそっくりな二人の顔に微笑みつつ、琰耀えんようは中へと入って行った。

「蘭玉を見たよ。もう来ると思う」

「わかった」

 玲耀れいよう琰櫻えんおうもとても落ち着いている。

 琰櫻えんおうに至っては、玲耀れいようの身代わりになることをようやく諦めたのか、いつもの戦闘服に着替えてしまっていた。

「冕服、似合ってたのに」

「動きづらくてな。それに、やはりわたしはつるぎでありたい。兄たちの。お前もそうだろう?」

「まあね。わたしの場合は矢のほうが合ってるけど」

「たしかにな」

 琰櫻えんおうが仮面を被った。

 玲耀れいようは再び玉座に座る。

 階段を上ってくる音がする。

 だんだんと近づいてきたその音は、ひさしを歩き、扉の前で止まった。

「開いてますよ」

 琰耀えんようが声をかけると、一瞬の沈黙の後、扉が開いた。

「よくわかったな」

 蘭玉が鞘から抜いた剣を持ち、微笑みを浮かべながら立っている。

 その脇と後ろには総勢十六人の弥蛍族の男たち。

「わたし、耳がいいので」

「それが龍神族の力か」

「まあ、そんなところです」

 蘭玉が進み出る。

 琰櫻えんおうが動いた。

 風が吹いたようにしか見えないほどの速さ。

 琰櫻えんおうは蘭玉と弥蛍族の男たちを分断するように立ちふさがった。

「あなたがあの淑妃の息子ですね」

 蘭玉が振り返り、琰櫻えんおうを見つめながら呟いた。

 琰櫻えんおうは仮面をしたまま剣に手をかけ引き抜くと、蘭玉の喉元までその腕を伸ばす。

「……話す価値もない、ということでしょうか。いいでしょう。用があるのは陛下だけですから」

 蘭玉は再び玲耀れいように向き直ると、さらに近づいて行った。

 琰耀えんよう玲耀れいようの隣に立つと、剣を抜いた。

「陛下の御兄弟は物騒ですね」

「あなたの兄弟でもあるでしょう? 兄上」

 蘭玉はにやりと口元をゆがめると、高らかに笑い始めた。

「どうしてこうなってしまったのでしょうね? 母親の血が違う位で、どうして……」

 蘭玉は剣を持つ手に力を込めると、歪んだ笑顔のまま言った。

「そこは私の席だ。これまでも、今も、これからも。どいていただきましょう」

 琰耀えんようが剣を構えた。

 その時、扉から一人、新たに部屋へと入って来た。

「け、景耀……」

 張りつめた空気の中、何事もないような顔で、景耀は蘭玉に近づき、その身体を抱きしめた。

 そして、小さな声でつぶやいた。

「さようなら、父上」

 うめき声。

 床に滴る赤。

 景耀は動揺する蘭玉の手から奪った剣で、背中からその身を貫いていた。

 自身も一緒に。

「あ、義兄上……」

 琰耀えんようはすぐに二人へ近づくと、蘭玉と景耀を引き離した。

「ま、まだ助かる! 助けられる!」

 すると、景耀が琰耀えんようの襟首をつかみ、言った。

「こ、これで、いい、いいんだ。もう、あ、争いの、ひ、火種に、なりた、く、ない」

 剣が肺を掠めたのだろう。

 手から力が抜け、だらりと落ちた。

 口から血が溢れ、景耀は盛大に咳き込みながら、最期は穏やかに息を引き取った。

 琰耀えんようの目から、涙が零れ落ちた。

 護るはずだったのに、これからは、少しくらい仲良くなれると思っていたのに。

 景耀は、やっと、やっと自由に生きていけるはずだったのに。

 しかし、感傷に焦がれている暇はなかった。

 蘭玉は血を吐きながら上半身を起こすと、袖から取り出した液体を飲み始めたのだ。

「わ、私は、し、死なないぞ。馬鹿な、む、息子のようにはな!」

 蘭玉は身体から剣を引き抜くと、血を吐き出し、わらいだした。

「これはお前たちが知る薬とは少し違う。屍玉しぎょくと霊葬樹の樹液、それに……」

 琰耀えんよう琰櫻えんおうに緊張が走った。

 蘭玉の傷が糸のようなもので塞がり始めたからだ。

「何を飲んだ、蘭玉」

 玲耀れいようが立ち上がり、玉座の仕込み刀を抜き、冷たい目で問うた。

幽菌根ゆうきんこん、と言えばわかりますかな?」

 琰耀えんようはすぐに蘭玉の前に立ちはだかった。

「お前はわかったようだな。さすが、あの幽禪ゆうぜん先生の弟子だ」

 冷や汗が止まらない。

 中原よりはるか西方にある国にしか生えない菌類の一種、幽菌根ゆうきんこん

 それも、木乃伊ミイラを作る際に抜き取った臓器を入れるためのカノプスという壺の中で、極稀ごくまれにしか生まれない菌糸。

「なぜそんなものを?」

「敵が龍神族ならば、こちらもそれに等しき存在になるしかないだろう? まさか、銀鉤教の連中が本当に手に入れるとは思ってもみなかったが……。運はこちらに向いているようだ。この菌は摂取した者の身体を不死身に変える。菌が生き続ける限り、私は死なないのだ」

 「それに」と、蘭玉は黒と白が反転していく目で琰耀えんようを見つめながら嗤った。

「この剣も、他の者たちが持つ武器も、すべてお前を殺せるぞ」

 最初に動いたのは弥蛍族の男たちだった。

 琰櫻えんおうは相手の動きに呼応するように二本の剣で攻撃を受け、弾き飛ばした。

「兄上には指一本触れさせんぞ。行け! 琰耀えんよう!」

 琰耀えんよう玲耀れいようの身体を抱えると、部屋を飛び出した。

 途中で横に抱き抱え、安全な場所を探した。

「……あ、あれ」

 琰耀えんようの目に、美しい青い光が映った。

「す、翠櫻すいおう兄上!」

 空を飛んでいたのは、翠櫻すいおうと近衛兵たちだった。

「おお! 琰耀えんよう。助太刀に来たぞ。まぁ、父上の目を盗んできたからかなり少ない数だが……。十人くらい」

 それでも、壮観だった。十名の青い甲冑を身に着けた龍神族の武人たちが一斉に包拳礼で応えた。

「祥国皇帝陛下、もしよろしければ、我らの弟の腕の中ではなく、わたしにその御身を預けてみませんか? その方が、琰耀えんようは戦いやすいでしょう。この国と、貴方のために」

 何とも奇妙な図だった。

 玲耀れいようは頷き、琰耀えんようから翠櫻すいおうの近衛へとその身体が預けられた。

「可愛い琰耀えんよう。わたしたちの天狼星シリウス。お前の星の光であのバケモノを消し去ってやれ」

 琰耀えんようは二人の兄に包拳礼をし、近衛兵たちにも頭を下げると、皇宮めがけて急降下した。

「三人ついて行け。琰耀えんよう琰櫻えんおうを援護だ」

 翠櫻すいおうの指示で近衛兵から三人が琰耀えんようを追うように急降下していった。

「……初めましてですね、翠櫻すいおう殿下」

「楽しい挨拶は勝利の後の宴で行いましょう、陛下。それにしても、我らの弟は最高ですね」

「ええ。本当に」

 夜空に星々が瞬いた。

 その中でも、一際美しく、明るい天狼星。

 夜を駆ける、永遠の光。

 地上に顕現したそれは、剣をもって立ち向かう。

 暗雲もたらす、おぞましき悪意に。

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