第参拾弐集:王

 戦いが始まったのと同時刻、皇宮に、ある人物が現れた。

「景耀、何をしに来た」

 玉座に座る人物を、景耀は目を凝らし、耳を澄ましながら凝視した。

「……違う、何故ここにいるんだ」

「違う、とは?」

 緊張してこわばっていたからだから一気に力が抜けた景耀は、剣にかけていた手を離した。

 そして一歩、一歩と近づき、叫んだ。

「どうして本物の玲耀れいようがここにいるんだ!」

 玲耀れいようは真剣な表情で景耀を見つめると、ふっと笑った。

「別の地で育った弟、琰櫻えんおうだと思ったのだな」

 景耀は力なく頷くと、その場にへたり込んだ。

「殺すつもりだったのか」

 玲耀れいようの問いに、景耀は首を横に振った。

「ただ、話したかった。両親が違うと知った時、どんな気持ちだったのか知りたかったんだ」

 すると、柱の陰から玲耀れいようとうり二つと言っていいほど似ている青年が現れた。

 違うのは髪の色と眼の色。

 それも、髪を冕冠に入れ、目は薄暗ければ区別をつけるのは難しいほどに似ている。

「お前が景耀か」

 よく通る声も似ている。

 少し琰櫻えんおうの方が高いかもしれないが、そんな些細な違い、気になるほどでもない。

「そうか。あんたがいるから兄上……、いや、陛下の警護がいないんだな」

「その通り。祥国皇帝は頑固だな。わたしが身代わりになると申し出たら、笑顔で断った。だから、こうしてそばに控えているというわけだ。せっかく着替えたというのに」

「よく似合っているぞ、琰櫻えんおう

 玲耀れいよう暢気のんきに笑っている。

「私がくることもどうせ予想していたんだろう、玲耀れいよう

「まあな。お前は悪党に染まるには素直過ぎる。蘭玉の側にはいられないだろうと思っていたよ」

「なんだ。なんでもお見通しか?」

「いや。長い間、お前は私に一番近い弟だったからな」

「はっ。『だった』ね」

「どうしたい、景耀」

 問われた意味が解らなかった。

「どうしたいって……、何を……」

 玲耀れいようは立ち上がり、景耀の前まで進み出ると、その腰から剣を抜いた。

「この、あまり出来の良くない剣で私を殺し、皇位を簒奪して自身の実父に殺されるか。それとも、私に手を貸すか」

 あろうことか、玲耀れいようは剣を景耀に渡し、その切っ先を自身の胸にあてた。

「少し力を入れるだけで、お前は皇帝になれるぞ」

 景耀は途端に恐ろしくなり、手が震え、剣を落としてしまった。

「私には無理だ。簒奪など、本気で望んだことなどない」

「だろうな。それは蘭玉の悲願ゆめだからだ」

「……夢?」

「お前の夢は? 景耀」

 二番目ではあったが、宗室そうしつだともてはやされ、宰相である蘭玉に溺愛され、母からも甘やかされて育った。

 何もかも手に入る地位にあり、人生に足りないものなどなかった。

 それなのに、いつからか蘭玉によって「皇帝になるのはあなただ」と言われ、玲耀れいように対して感じる必要のない敵意と嫉妬、憎悪を植え付けられた。

 勧められるがまま悪事にも手を染め、間接的に殺した人の数はもはや覚えてもいない。

 何のために、誰の為に生きているのか、自分でもわからなかった。

「何を、何を願えば……、夢と呼べるんだ」

 零れ落ちた涙は剣に当たり、弾けて流れた。

「好きに生きろ。お前から親王の地位を剥奪するつもりはない」

 玲耀れいようの言葉が空っぽだった胸に響いた。

「……何をすればいい」

 琰櫻えんおうが近づき、床に転がる剣を拾い上げた。

「どう戦局が動けば、蘭玉はここに来る手筈てはずになっているか教えてくれ」

 景耀は少し悩むと、ぽつぽつと話し始めた。

「私はもちろん戦など行ったことが無いからよくわからないのだが、たしか、金苑が開門したらとかなんとか……」

 玲耀れいよう琰櫻えんおうは顔を見合わせると頷き合った。

「おい、何を考えている。ここの門を開けるなど、自殺行為だぞ。蘭玉がどれほどの兵を……」

 玲耀れいようが景耀の肩に手を置き、いつものように微笑んだ。

「それなら大丈夫だ。そうだ、景耀。曾祖父に会いたくはないか?」

 景耀は玲耀れいようが言った意味が理解できず、「は、はあ?」と気の抜けた返事をするので精一杯だった。

 その後、御林軍の兵士に連れられ、景耀は雛菊隊が護っている一室へと連れていかれた。

 そこにはほかの皇子たちも集められており、みなウトウトとし始めていたところだった。

(……私も寝るか)

 なぜかはよくわからなかったが、久しぶりに、気分はすっきりしていた景耀だった。


 一方、戦場にはさっそく玲耀れいようからの伝令が走ってきていた。

「え、門を開けるの?」

 上空で胡坐あぐらをかきながら「わたしの兄たちは頑固なうえに大胆で困る」と、琰耀えんようは溜息をついた。

 紙を燃やし、再び戦場へと舞い戻っていく。

 おそらく、アレの算段が付いたのだろう。

 琰耀えんようは声を増幅させ、戦場に向かって叫んだ。

「祖霊の皆々様方が降臨される! 道を空けよ、軍神、蕉月しょうげつ王のお通りだ」

 金苑の門が開いた。

 戦場の熱気とは裏腹に、足元を這う蛇のような冷気が辺り一帯を満たし始めた。

 甲冑の表面が凍る。

 草木に霜が降り、霧が立ち込めた。

 傀儡の兵士たちの動きが鈍くなっていく。

 筋肉がこわばり始めたのだ。

 傀儡兵に指示を飛ばしていた弥蛍族の兵士たちは動揺し、せわしなく目を動かしている。

「内乱などという不名誉な争いを始めたのは誰だ」

 地を這うような怒号。

 身長よりも長い矛を持ち、黒衣の甲冑に身を包んだ、死して久しいというのに鋭い眼光。

 その背には『蕉月』の旗を掲げる屈強な兵たちが続いている。

幽禪ゆうぜんによれば、相手は弥蛍族だと? 鳳凰の加護を謳う属国にいいようにされてたまるか。その大層な翼、ひきちぎってくれよう! 行くぞ!」

 黒曜石から作られたやじりの、その切っ先。

 血に塗れてもなお黒く輝き続ける永遠の漆黒は、相手からすればまさに百鬼夜行。

 天津神あまつかみ御許みもとより蘇りし軍神が、今、現世を騎乗にて駆け始めた。

「……わあ、怖い」

 思わず、琰耀えんようの口から本音が漏れた。

 敵は傀儡とはいえ、人間だ。その人間が宙を舞い、瞬きの間に胴が切り離されていく。

 本当に泥で作られた身体なのだろうかと疑いたくなるほど、蕉月王とその兵たちは強かった。

「どうだ、琰耀えんよう

 風と共に現れた幽禪ゆうぜんが、満足そうに笑いながら琰耀えんようの隣まで飛んできた。

「どうって……、いったい趕屍匠かんししょうの方々はどのような術を使ったんですか?」

「ふふ。趕屍匠かんししょうの中には数人、私と同じ仙子せんし族がいてな。ちょいと工夫させてもらったんだ」

「工夫……?」

「禁忌をいくつか破ったのだ」

 琰耀えんようは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

「まさか……」

 幽禪ゆうぜんは手の中に光を出し、自身の左目を照らした。

「し、師匠!」

 そこには眼球と同じ大きさで作られた緑柱石の宝玉が収まっていた。

「あはははは! 一度やってみたかったのだ! 完璧な死者の修復……。これぞ浪漫だろう? そのために眼球一つ失う位、安いものだ。それに、あの軍神、蕉月王に私の左目を使ってもらえるのだぞ? 愉快ではないか」

 健全な探求心と、破滅的な好奇心。

 自己犠牲などと言う高尚なものでも何でもなく、ただただ積極的に愚かなのだ。

 千年も生きると、命すら道具になり果てるのだろうか。

「後悔しないんですか?」

「弟子が大切に想う世界を護ることが出来て、さらに許可をもらって高貴な死者の研究が出来ているのだから、むしろもっと貢献したいくらいだ。まぁ、さすがに幽菌根ゆうきんこんまで使おうとは思わないが」

「そ、そうですか……」

「あれは劇薬だからな。危険すぎる。ほら、琰耀えんよう。さっさと皇宮へ行け。この醜い争いに、とどめを刺して来い」

 琰耀えんようはふっと微笑むと、「万 睿ばん えい将軍! わたしの兵をお預けいたします!」と言い、皇宮へと飛んでいった。

 その姿を地上から確認した弥蛍族の数人と、そして蘭玉は皇宮へ向かった。

 すべてを終わらせるために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る