第参拾壱集:傀儡

 舞い上がる火の粉。

 夜を照らす松明が、仮初の玉座を照らす。

 冷たい風に身体を委ねながら、蘭玉らんぎょくは嗤った。

「龍ふちに潜む……、か。桐の一葉いちようはらはらと、爽籟そうらい攫うは空の果て。螢惑けいこく燃ゆる、弥栄いやさかの幻影……」

 蘭玉の手から落ちたのは、傷だらけのぎょく

 それは代々、弥蛍やけい族の長だけが持つことを許された、蛍石に刻まれた美しい鳳凰の彫刻。

 翼が片方割れ、砂で削れてしまったように透明感の無い玉。

 それでも、蘭玉にとっては身体の、血の一部。

「鳳凰と龍の争い。勝つのはどっちかな?」

 殺気を帯びたつぶやきは夜空に吸い込まれ、驟雨しゅううのように不穏な空気を周囲に振り撒いた。

 蘭玉が座る椅子の背後、一人その場から離れていく影があった。

(私は……、私は本当に……、因果いんが落胤らくいんなのか……)

 景耀けいようは揺らめく灯りに照らされた自身の腕を見ながら、脈々と流れる血に動揺した。

 つい一時間前のことだった。

 出自について、母親と、そして、実の父親から聞かされたのは。

 表情が歪んでいく。

 胸をなまくらで無理やり引き裂かれたようだった。

(蘭玉が父親だと⁉ それも、滅んだ一族の末裔……?)

 目眩がした。

 気持ちが悪い。

 耐えられない。

 景耀は野営地のすぐ近くの林へ走っていくと、盛大に吐き出した。

 止まらない。

 川の水を口に含み、汚れた顔と手を濯ぐ。

 幸い、服に吐瀉物はついていないようだ。

 いや、何が幸いなのか。

(私は、殺されるために生まれたというのに)

 皇太后は何も気づいていない。

 でなければ、あんなに嬉しそうな顔は出来ないだろう。

――やっと、本当に好きな人と一緒になれるわ。

 反吐が出る。

「あんたの息子は、その『好きな人』とやらに、おそらくは……、皇位簒奪の後殺されるんだぞ」

 誰に聞かせたいわけでもなく呟いた言葉が、数日前の雨で嵩が増した川の音にかき消されていく。

「ここで死んでやろうか……」

 その時、ふと、ある人物の顔が頭に浮かんだ。

琰耀えんようが龍神族なのが本当なら……、兄上……、いや、叔父上か? まあいい。玲耀れいようには死んだ元淑妃を母親に持つ弟がいるってことだ」

 景耀は野営地内にある武器保管庫へ向かい、稽古以外でふるったこともないつるぎを手にした。

「殺されるのなら、誰か一人くらい、道連れにしてもいいよな」

 鞘から抜いた剣に写る自分の顔を見つめながら、景耀は自嘲した。





「……ああ」

 皇宮のはるか上空。

 琰耀えんようの瞳に、薄暗い光が仄かにしょう国を染めるのが見えた。

冥琅玕龍めいろうかんりゅうはなんと言っている」

 皇帝の証である冕服べんぷくを身にまとった琰櫻えんおうが、仮面を身につけながら隣でつぶやいた。

「『始まったぞ』って……」

「そうか」

 琰櫻えんおうの仮面の奥の瞳が険しくなった。

「人が……、人が、傀儡かいらいに、戦の道具になっていく……」

 止められなかった。

 傷つけることなく、何人の人を解放できるだろうか。

 何人の民を屠ることになるのだろうか。

 何人の子供が親の死と向き合わなければならないのだろうか。

「考えるな、琰耀えんよう

 琰櫻えんおうはゆっくりと屋根の上に降りながら言った。

「失うことを恐れていては、お前はこの先、生きていけなくなる日が来る。そうなったとき、お前は諦めるのか? 永遠にも思えるほど途方もない命を」

 心の中で、冥琅玕龍めいろうかんりゅうが呼んでいる。

 「琰耀えんようを殺させはしない」と。

「例えわたしの手足が絶望の果てで動かなくなったとしても、きっと死ぬことは許されないだろうね。それなら、憂いの無い時代を築くために、この手で戦うよ」

 琰耀えんよう琰櫻えんおうの隣に降り立ち、その手を握った。

 握り返された手は暖かく、そして強かった。

「我らの兄と、この国を護る戦いだ。感情ではなく、未来のためにその力を使え」

 目を瞑り、再び開いた時には、決意は勇気に変わっていた。

 琰耀えんようは頷くと、自身の持ち場へ向かった。

 与えられた兵は千人。

 皇宮を護るために兵を多く使うがゆえに、金苑の外周にはそう多くの兵を配置することが出来ない。

 基本は籠城戦。

 琰耀えんようや禁軍部隊長の万 睿ばん えい、その他指揮官級の将が率いる隊は遊軍として敵の背後や横腹を討つしかない。

「外周は総勢一万だけ。難しいけど、もう、龍神族だと隠す必要もない」

 琰耀えんようは姿を消すことなく飛行しながら兵たちの前へ現れた。

 どよめきが起きる。

「みなさん、わたしは……。わたしは、〈人間〉ではありません。龍神族という、異種族です」

 今度は波がひいて行くように静まり返る。

「それでも、祥国で育ち、愛し、護りたいという気持ちは同じです。だから……」

 その時だった。

 聞き覚えのある笛の音がこだましたのは。

琰耀えんよう!」

 あたたかな春の陽射しのような声。

 激しく地面を揺らす馬の蹄。

「あ、義姉上あねうえ⁉」

 騎馬でやってきたのは、莅春りしゅんが率いる江湖こうこの武人たちだった。

「ど、どうして……」

「私の夫は海軍の軍配者よ? 住んでいるのは貿易の要。どんな情報だって、望めば手に入るわ」

 莅春は連れて来た江湖の武人に目配せすると、「それに」と言った。

「蘭玉はもう隠すつもりもないみたい。あちこちで皇太后が複製した玉璽ぎょくじを使って人を集めている。さすがに兵符へいふは無理だったようだけど、それでも、何か薬のようなものを使って兵士を動かしているみたいね」

 馬の上で地図を広げながら、莅春は眉根を寄せた。

 甲冑を身に着けているということは、莅春自身も戦いに身を投じるつもりのようだ。

「でも、でも……」

「私は、兄弟姉妹きょうだいも、この国も、失うつもりはない。とりあえず、一万連れて来たわ」

 まっすぐと見つめられた。

 帰る気も、護られる側に立つ気もないらしい。

 莅春の後ろでは、すでに叔父のばい 梓宸ズーシンが指示を飛ばしている。

 目が合うと、「そういうことだ」と口を動かし、笑って手を振ってくれた。

「川沿いは夫の軍、二万が控えている。指揮官級は百人。水上戦であの人が鍛えた兵に勝てる者がいると思って?」

「義姉上……」

「私っていいお姉ちゃんでしょう? 空は飛べないけどね」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべる莅春は美しくて、強くて、とても格好良くて。

 琰耀えんようの中に渦巻く龍神族の力が強い光を放つのを感じた。

「他に援軍は来るの?」

「手こずっていますが、師匠がどうにかしてくれるようです」

「ああ、あの色惚けいろぼけさんね」

 莅春は「じゃぁ、あとでお酒でも飲みましょう。勝利を祝ってね」と微笑むと、梓宸ズーシンの元へと馬で駆けて行った。

 琰耀えんようは頬を両手でパチンと叩くと、飛行しながら兵一人一人を見つめ、言った。

「かつて祥国が滅ぼした弥蛍族やけいぞく遺児いじの王が攻めてきます。でも、わたしたちには、煌めく清廉な音で祥国を照らし暖める本物の王がいる。陛下がもたらす平和で満ち足りた治世に内乱など似合いません。それはみなさんもです。あなた方が歩む道はすべて花道であるべきです。共に戦いましょう。花を襲う嵐を払い、月にかかる叢雲を吹き飛ばすのです。皇帝陛下の、つるぎとして。わたしは風を切る、矢となりましょう」

 歓声が上がる。

 「霓王殿下万歳! 皇帝陛下万々歳!」と、波のように広がっていく。

 高まる士気の中、馬に乗ったえいが近づいてきた。

「殿下、やりますね」

「ありがとうございます」

「さぁ、第一陣が来たようですよ」

 睿の瞳に炎が見えた。

 いつもはひょうひょうとしているが、さすがは若き禁軍の部隊長。

 好戦的な面が姿を現した。

「では、行ってまいります。殿下、龍神族とやらの実力、楽しみにしていますよ。まぁ、飛んでる時点で驚くべきなんでしょうけどね」

 睿はにやりと微笑むと、さっそく自身の兵を率いて先陣を切った。

「始まった」

 不思議と、心は落ち着いていた。

 籠城戦の総大将には引退していた元御林軍の軍配者がついてくれている。

 次々に的確な指示が伝令されてくる。

 そしてついに、琰耀えんようのもとへも伝令役を乗せた騎馬がやってきた。

 渡された紙を確認すると、すぐに燃やす。

「霓王殿下、出陣です」

 剣を抜き、前を見つめて言った。

「行くぞ!」

 騎馬の速さに合わせて飛びながら林に向かう。

 そこから左へ旋回し、第二陣と第一陣の間へ向かう。

「五百は第一陣の背を! 五百はわたしとともに第二陣の横腹を穿うがて!」

 すでに梅 梓宸ズーシンたちが第一陣の背を討っていたため、琰耀えんようたちの軍は負傷した者と入れ替わるように戦場へと入って行った。

(目に光がない……)

 蘭玉が放ってきた軍の兵たちはすでに薬で酷く精神が侵された状態だった。

 目に光が無く、ただただ身体が「戦え」という命令にそって動くだけ。

 防御する姿勢がない分、強い。

 戦場で一番怖いのは、命をかえりみない捨て身の攻撃だ。

 琰耀えんようは胸に感じる痛みを無視して戦い続けた。

 同じ祥国の民。

 傀儡となった彼らを止める最短の攻撃は、首を斬り落とすこと。

 宙を舞い、駆け抜けながらその命の炎を消していく。

 彼らの来世が幸福なものであるよう、ただただ祈りながら。

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