第参拾集:兄弟

 「じゃぁ、その時に」と幽禪ゆうぜんは言うと、おうぎに乗って飛んでいった。

「はあ……。師匠には一生敵わないや」

 そこで、琰耀えんようははっとした。

琰櫻えんおう義兄上にはどうやって連絡とればいいんだ……?」

 そもそも、龍王谷の場所を知らない。

 最後にそこに行き来できたのは、元禁軍大統領だ。

「……いや、義祖父様おじいさまなら、でも……」

 直接行く勇気はまだなかった。

 行ってみたい、でも、人間の世界で育った龍神族の自分がすぐに馴染めるとは思えなかった。

 琰耀えんようは自身の中で広がり続ける冥琅玕龍めいろうかんりゅうの力を信じることにした。

 一番近くにあった木に手のひらをあて、願った。

琰櫻えんおう義兄上に伝えて。今すぐ会いたい、と」

 すると、風も無いのに木が揺れ始め、一枚の葉がひらひらと舞い始めた。

 どうなるのかと目で追っていると、どこからか飛んできた鳥がその葉を咥え、空高く飛び上がり、そのままどこかへ飛んで行ってしまった。

「……え?」

 これが偶然じゃないのだとすれば……。

 琰耀えんようは待つことにした。

 何かしら、もたらされるだろう返事を期待して。

「とにかく、玲耀れいよう義兄上のところに行かないと。報告、報告」

 琰耀えんようは邸へ戻ると、湯浴みをし、顔にかかる部分の髪を救って後ろで結い、少しだけ良い服に着替えた。

「たまには皇宮に行くにふさわしい恰好でもしないとね……」

 朝ご飯のために呼びにやってきたに見てもらうと、「まさに、親王殿下、といった装いですね。いつもそうしてくださればいいのですが」と若干呆れ気味に言われてしまった。

 とにかく、格好としては合っているらしい。

 琰耀えんようは朝ご飯を平らげると、「陛下に仕事の報告に行ってまいります」と告げ、いつもよりも綺麗な靴を履いて馬に乗り、出掛けて行った。

「いい天気……」

 風が頬を掠めた。

 耳に、今は聞こえるはずの無い声が微かに響いた。

――「この薬を陛下へ……」

 琰耀えんようはすぐに進路を変えると、木陰に入り、姿を消して、馬ごと空へと飛び立った。

 天翔ける馬は琰耀えんようの力を受け取り、さらに加速した。

 すぐに皇宮が見えてきた。

 一番近い路地で降り立つと、姿を現し、馬で駆けながら強引に皇宮の中へと入って行った。

「げ、霓王殿下!」

 衛兵たちが追いかけて来るが、追いつけるはずもなく。

 途中で馬を降り、「馬、よろしくお願いします!」と遥か後ろにいる兵たちに伝え、琰耀えんようは長い階段を駆け上り、狼狽える太監の横を通り過ぎ、開け放たれた扉の中へと入って行った。

 目を丸くして驚く玲耀れいようの側には給仕を任されている宦官。

 その隣にいるのは蘭玉。

 置かれた水菓子くだもの盛り合わせ。

 葡萄の内部に、不審な液体が見えた。

 見えるはずもないのに。

 考えている暇など無かった。

 琰耀えんよう玲耀れいようが座っている机に近づくと、水菓子が載った皿を手で叩き落とした。

「おやおや、霓王殿下。いくら親王と言えど、これはあまりに無礼では?」

 蘭玉の目が光る。

 琰耀えんようは葡萄の房から一粒もぎ取ると、全員の目の前で潰して見せた。

「な、なんだそれは」

 玲耀れいようはすぐに口を塞いだ。

 葡萄から出てきたのは、黒いキラキラとしたものが混ざった黄金色に輝く液体だったからだ。

「これはいけませんねぇ。毒味係を問い詰めなくては」

 蘭玉は薄笑った。

 そして口だけ動かして言った。

 「こちらも、お前を知っているぞ」と。

(わたしを試したんだな)

 気付いた時にはもう行動してしまった後だったが、玲耀れいようを護るほうが大事だ。

 玲耀れいようは「琰耀えんようと話がある。全員外へ出てくれ」と言い、場を空けた。

「これは何なんだ」

屍玉しぎょく霊葬樹れいそうじゅの樹液を混ぜたものだよ。蘭玉はこれを使って不死の傀儡かいらい軍を作ろうとしているんだ。そして……」

 琰耀えんようは蘭玉が出ていったドアを睨みつけながら言った。

「わたしのことがすべて知られたみたいだね」

「な! そ、それでは……」

「もう時間がない。だから、義兄上、わたしは……」

 その時、一陣の風が部屋の中を駆け巡り、通り抜けたと思ったら、そこに、仮面をつけた琰櫻えんおうが立っていた。

琰櫻えんおう義兄上!」

 琰耀えんようが近づくと、琰櫻えんおうは仮面を外し、嬉しそうに頷いた。

「呼んでいると知らせがあってな」

 琰櫻えんおう琰耀えんようの頭をなでると、玲耀れいようをまっすぐと見つめた。

「初めまして。兄上」

 玲耀れいようの手が震え、瞳からは涙があふれ出した。

「で、では、君が……」

「はい。琰櫻えんおうと申します」

 一歩、一歩と近づき、気づいたら玲耀れいよう琰櫻えんおうを抱きしめていた。

「よく似ている。淑太妃義母上にも、私にも」

「ど、どうも」

 琰櫻えんおうは驚きのあまりそれ以上の言葉が出てこなかった。

 どちらかと言えば、琰耀えんようを龍王谷へ連れて行こうとする不埒な奴だと思われていると思っていたからだ。

 それなのに、玲耀れいようはまるで、いや、兄として、当然の感情を表した。

 二人はゆっくり身体を離すと、今度は玲耀れいようの方が驚く番だった。

 琰櫻えんおうは自分でも気づいていないのか、涙を流していたのだ。

「え、あれ? なんで……」

 二人のこんな姿を見たのは初めてだった琰耀えんようは、感動してこっそり涙した。

「そうだ、すまない。いきなり抱擁してしまって。琰耀えんように用があるんだよな」

「あ、二人に用があるんです、わたし」

「え?」

 義兄二人は「どういうこと?」とほとんど同じと言ってもいいほど似ている顔で困惑した。

琰櫻えんおう義兄上、変装って得意ですか?」

 琰櫻えんおうは床に滴る黄金色の液体と、転がる皿と水菓子、そして玲耀れいようの顔を見てすべてを察したらしく、困ったように微笑んだ。

「まぁ、可能だろう」

「二人とも、どういう……」

 玲耀れいようは戸惑いながら二人の顔を交互に見た。

「祥国皇帝陛下と、可哀そうな皇子である景耀を護るための作戦だよ」

「景耀にも危険が迫っているのか?」

「うん。でも、玲耀れいよう義兄上が無事なうちは、景耀も無事。ですよね? 琰櫻えんおう義兄上」

「ああ、その通り」

 玲耀れいようは頼りになる弟二人に囲まれ、少し嬉しそうに頷いた。

「二人に任せるよ」

 琰耀えんようは義兄二人を机の側へ呼び寄せると、そこへ地図を広げた。

「この赤い点は……」

 玲耀れいようが指をさす。

 琰櫻えんおうが地図を見渡し、「そういうことか」と口を開いた。

「蘭玉の手に落ちた城塞都市だな、琰耀えんよう

「そうです。蘭玉は、さっきわたしが潰した薬を使って不死の軍を製造中だと思われます」

「数は?」

「およそ、二十万ってとこでしょうか」

「兄上、金苑の兵は」

「禁軍と御林軍、各王府や一品軍侯の兵を合わせても八万が限度だな。近隣の軍を集めようにも、蘭玉が手中に収めた城が道を阻むだろう」

「要所をよく抑えているな、蘭玉は」

 琰櫻えんおうが地図を眺めながら指でたどっていった。

「あの、あのね、そこで玲耀れいよう義兄上にお願いがあるんだけど……」

「なんだ、琰耀えんよう

 琰耀えんようは少し言いづらそうに困惑した表情でうつむくと、意を決して玲耀れいように視線を向けた。

「英雄たちの魂を借りたいんだ」

「……ん?」

「実は、師匠の知り合いに良い趕屍匠かんししょうのみなさんがいて……」

 察した玲耀れいようは「あー……」と言うと腕を組みながら口を真一文字に引き結び、考えだした。

「あちらが不死の軍なら、こちらは英霊たちの軍、ということだな、琰耀えんよう

「そうです。身体は専用の術式を使って泥で作れば、ある意味不死、というかなんというか……。不謹慎なのは承知のうえで、力を借りたいんです」

「でも、なぜ兄上に?」

玲耀れいよう義兄上は霊感があるんです」

「え!」

 琰櫻えんおうはまたもや自身の兄に驚くことになった。

琰耀えんようと兄上は本当にびっくりするような兄弟だな……」

「いや、義兄上も充分びっくり兄弟ですよ」

「龍王谷で麻痺しているのかもしれん……」

 そう言うと、琰櫻えんおうは胸元から袋を取り出した。

「もしそれが可能なら、これが役に立つだろうな。まぁ、趕屍匠かんししょうならみんな持っているだろうが」

 手渡された袋を開け、中を見てみると、そこには黒玉ジェット珊瑚さんごの欠片がたくさん入っていた。

「生体組織の宝玉は魂の結びつきを強くする。足しにしてくれ」

「ありがとうございます!」

 琰櫻えんおう琰耀えんようを見つめ、その美しい髪を手で梳いた。

「なぁ、琰耀えんよう。わたしに丁寧な言葉を使うのはやめにしないか? せっかく、不思議な縁で繋がった双子なのだし」

「あ、う、うん。わかった」

「よかった。ありがとう」

 同じ年齢なのに、歳のとり方が人間と龍神族では違う。

 大人の男、といった琰櫻えんおうの色香に、少しくらりとしてしまった。

 羨望と少しの嫉妬。

 いつになったら自分にもこういった魅力が身に着くのだろうか。

 琰耀えんようは自分が筋骨隆々になる姿がまるで思い浮かばなかった。

「……よし。わかった。うん。大丈夫なようだ」

 玲耀れいようが大きく息を吐き出しながら椅子へとへたりこんだ。

「祖霊たちが話をつけてくれた。英雄たちは、それはもうやる気満々とのことだ」

「さすが義兄上!」

「ただ、得意な武器がそれぞれ違うから、それらをちゃんと用意しろとのことだ」

「もちろん、手配する。たぶん禪寓閣ぜんぐうかくにいろいろあるはずだから」

「皇宮の武器庫は蘭玉に怪しまれるからな。任せる」

 三人は互いに目配せしあうと、ふっと微笑み合った。

「では、兄上、琰耀えんよう。わたしは義父上に報告してくる。あと、うるさい義兄上にも」

「その時を楽しみにしているぞ、琰櫻えんおう

「ええ、兄上」

 琰櫻えんおうは仮面を被ると、音もなく風となって消えていった。

「すごいな……。今の、琰耀えんようも出来るのか?」

「頑張れば出来ると思う。でも、最近ちょっと色々あって……」

「話してくれ。もうしばらくは誰も近づけさせないから」

「うん、じゃぁ、えっとね……」

 琰耀えんようは自身に起こったこと、そして道に迷いそうになったこと、それを師匠に導いてもらったことなどを話した。

 久しぶりの、何でもない、兄弟の時間を過ごすことが出来た。

 すぐ近くで燻る、戦いの火種を感じながら。

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