血と乳と肉

「ううっ、これはあれだ、筋肉痛だ……」


 1歳半の甥っ子を追いかけて、中腰であっちこっち走り回したからだろうか、今朝起きたらあっちこっち体がギシギシ言ってた。


 甥っ子は母の部屋で寝たので昨夜はゆっくり寝られたが、これ、自分の子だったらどんな感じなんだろう。あれだけ活動した後で夜もおっぱいで起きられたりしたらどうもならないと思った。弟の妻によると、まだ完全に断乳はしてないということなので。


「おはよう」

 

 起き出して階下のダイニングに行くと、甥っ子はすでに母と朝食を終わらせていた。

 まだ言葉は「ママ」とか「わんわん」とかぐらいで、「パパ」はそんなに言ってくれないと弟がぼやいてたっけ。


「あーわんわん」

「はいよ、わんわん」


 私も甥っ子の隣に座り、ちょっと遅い朝食を食べる。


「使ったスプーンで直接ご飯あげないでね」

「うん、分かってる分かってる」


 自分の子はいなくても、今はネットやテレビの情報でそのぐらいのこと、大人の持ってる虫歯菌がそうやって赤ちゃんに感染するということぐらいは私も知っている。


「だから、これはあげられないの。こっちのパンなら大丈夫?」

「いいと思うけど、気をつけてね、パンも喉につまったりするから」

「分かったー」


 甘いパンをちょびっとちぎって口に入れてやると、うむうむとおいしそうに飲み込んだ。


「もうすぐあの子たちも帰ってくるはず」


 時計を見ると、言ってた予定の時間がそろそろ。


 昨夜、弟夫婦はインド映画の夜通し応援上映というのに行っていたのだ。

 いつもは何かあると弟の奥さんのみわちゃんのご実家に預かってもらうことが多いのだが、その映画に行きたいと頼んだら、あちらのお母様に叱られたのだとか。


「母親になったの徹夜で映画だなんて、そんな遊びの時は預かれない、諦めなさいって言われたって言ってたね」

「うーん」


 母としては姑としての立場があるので答えにくいだろうとは思う。この年代の人の考え方はおそらくそういうものだろう。


うちの場合は弟が、


「姉ちゃんだったらオタクだから、みわの気持ち分かってくれるんじゃないか」


 そう言って相談してきたので、気持ちがよく分かる私が引き受けることとなったのだ。


「母親になったって遊びたいことも行きたいところもあるだろうに。子供放置して遊びに行くってのじゃないんだから、たまにはいいじゃない、ねえ」


 私がそう言うと複雑な顔をして母が少し笑った。


 しばらくして弟夫婦が帰ってきた。


「お姉さん、本当にありがとうございました」

「いえいえ、たまにのことだしどうってことないよ。それより楽しかった?」

「はい、とっても!」

 

 みわちゃんは興奮しながら色々と話をしてくれた。

 その映画、私もお昼に普通の上映で見たので気持ちはよく分かる。


「あーあー」

「あ、おっぱいかな。ちょっと失礼します」


 みわちゃんは甥っ子を抱いて隣の部屋に入っていった。


 昨日、何回も抱っこしてあらためて思ったけど、子供って重い。甥っ子は1歳半でもう10キロを超えている。簡単に言うけど10キロって重いよ。お米の袋1つ、あれを抱えているようなもんだから。


「それをずっと抱っこしてるんだからなあ、お母さんって本当に大変だ」


 みわちゃん、弟が初めて連れてきて挨拶してくれた時、細い子だなあと思って見てたけど、妊娠、出産を経てその二の腕にはむっちりと肉がついている。


「あれって筋肉が太くなったんだろうなあ」


 ずっと赤ん坊抱いてたらそりゃ筋肉もつく。あの貫禄は母ならではの貫禄なのだろう。


「でも、それだけじゃないのよね、今のみわちゃんって」

「え?」

「ううん、お母さんってすごいなあって思って」

「何?」

「だって、昨日一日ちびの相手しただけで、もうふらふらよ。なんで子供ってあんなに元気なんだろう」

「ああ、子供はねえ」

「本当、あれだけの体力、今だってほしいのに、なんで大人になるとそうじゃなくなるんだろう」


 母がくすっと笑った。


「その同じ体力なくなった大人なのに、お母さんって子供をずっと抱っこしたり、相手したり世話したりして、その上その子の体を作る役目もあるのよね」


 そう、そうなのよ、抱っこだけじゃないのよお母さんって。


「自分の体の中でその子がこの世に生まれてくるまでの栄養を与え続けて、命がけで生んで、それからおっぱいあげてる間はその子の食料工場の役目も担ってるのよね」

「工場ってあなた」

「ううん、だっておっぱいって母親の血からできるんでしょ。血からできるから乳だって聞いたことがある」

「まあねえ、それは」

「そしてその乳を作り出す血を作り出すのはその全身。骨髄から血液を作り出すって言うけど、その骨髄のある骨を支えるのは筋肉、あの筋肉は子供を抱っこして守るだけじゃないの、工場をも支えてるの、お母さんってすごい!」


 私は思わず拍手をしてしまった。


「あんたね、あんたはいくらがんばっても工場にはなれないんだから、せめて工場がきちんと稼働できるようにがんばるんだよ」

「なんだよそれ」

「いやいや、真面目な話」

「それを言うなら元工場への感謝も忘れないでね」


 弟に説教をかましてる私に母がそう言い、2人で「へへー」と頭を下げることになった。


 お母さんありがとう!

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打ち寄せる波の数ほど/血と乳と肉(KAC20235参加作品) 小椋夏己 @oguranatuki

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