打ち寄せる波の数ほど/血と乳と肉(KAC20235参加作品)

小椋夏己

打ち寄せる波の数ほど

「くるみちゃんは絵が上手だねえ」

「ほんとう、ありがとう!」


 小学校1年の時、くるみちゃんの絵を見て、いつか自分もあんな風にかわいい絵を描けるようになりたいなと思っていた。


「みわちゃんの字は本当にきれいね、大人の字みたい」

「ありがとう、お習字を習ってるからかな」


 2年生の時、みわちゃんの字を見て、いつか自分もあんな風にきれいな字を書けるようになりたいなと思っていた。


「とうま君の粘土細工ってすごく素敵、どうやったらそんな生きてるみたいに作れるの」

「僕、こういうの作るの大好きで、家でもいっぱい作ってるんだよ」


 3年生の時、とうま君の図工の作品を見て、いつか自分もあんなかわいい動物が作れるようになりたいなと思っていた。


「るみちゃんの体操ってオリンピックの選手みたい、どうやってるの!」

「体操教室に入って毎日練習してるからかな、本当にいつかオリンピックに出たいと思ってるわ」


 4年生の時、るみちゃんが体操をする姿を見て、いつか自分もあんな風に飛んだり回ったりできるようになりたいなと思っていた。


「つばさ君って本当にJリーグの選手みたい、さっきのシュートかっこよかった!」

「うん、俺はいつかプロのサッカー選手になってワールドカップに出る、そのために必死に練習してる」


 5年生の時、つばさ君がすごいシュートを決めるのを見て、いつか自分もあんな風に球技がうまくなりたいと思った。


「どうやったらかずき君みたいに上手にピアノが弾けるようになるんだろう」

「僕は幼稚園に入る前からピアノを習ってたからかなあ」


 6年生の時、かずき君がピアノを上手に弾くのを見て、いつか自分もあんな風にピアノが弾けるようになりたいなと思っていた。


 そんな風に、私の周囲にはいつもいつも何かに才能がある人がいて、いつもいつもそんな彼らをうらやましく思っていた。


 そして高2の時、幼稚園から幼なじみのえりなが、読者モデルとしてちょっとした雑誌の表紙などを飾るようになり、羨ましい、いつかそうなりたいの気持ちは最高になった。


「ほんとうにえりなってすごいよね、羨ましい! きっと一流のモデルになるよ。パリコレとかにも呼ばれそう」

「あたりまえじゃない」


 えりなは切れ長の目を少し細めてチラリとこっちを見ながら、やや軽蔑するように続けた。


「あんたってさ、いつも羨ましい、すごいね、いつかああなりたいって言うばっかりで、結局そのどれ一つどうにもなってないじゃない」


 痛いところを突かれた。そうなのだ、私は何をしても可もなく不可もなし、特別下手というわけでもないが、これといって自慢できるようなことの一つもないまま17歳を迎えてしまった。


「あたしはね、そんだけの努力してるのよ。毎日ストレッチ、ウォーキング、どうすれば自分がきれいに、かわいく見てもらえるか鏡を見て笑顔を作る練習。肌の手入れ、髪の手入れ、ダイエット。あんた、そん中のどれか一つでもやってる?」

「それは、まあそれなりにはやってるけど」

「それなりねえ、おそらくどれもやって3日ほど、いわゆる三日坊主で終わってしまってるよね」


 図星だった。


「剣の達人は同じ剣の型を毎日毎日何百回、何千回、何万回、波が繰り返すほど稽古して体に覚えさせるんだって。あたしはそれを読んで、毎日毎日鏡に向かって自分がどれだけ素敵に笑えるか研究して、その笑顔を保てるように顔に型を覚えさせて、その結果が今なのよ。分かってる?」

「んでもさ、えりなって生まれつきのきれいな顔持ってるじゃない。その剣の達人だって、生まれ持っての才能があったのよ。絵がうまい人は物の見方が普通の人とは違うって言うし、音楽だって生まれ持ったセンスがあるよ。私には何もないからなあ」

「だからそれよ」


 えりながピシャリと言う。


「何もない何もないって、みんなちゃんと努力してるって言ってたの聞いてた? さっきも言ったよね、私は笑顔を保てるように顔の筋肉に覚えさせてるって。赤ん坊って生まれた時には何もできないけど、握ることから筋肉に覚えさせて、そうして色んなことができるようになってるのよ。ペンだって楽器だってそう、そう動くように筋肉に覚えさせてるの、それが練習、訓練ってこと。あんた、それやったことあるの?」


 返す言葉もなかった。

 私は何をやっても「才能がないから」そう言い訳してすぐにやめてしまうの繰り返しだったから。


 その後、えりなは本当にパリコレに出演するモデルとなった。 


 そして私は……


「先生、これ見てもらえますか?」

「うん、どれどれ。ああ、このコードはね」


 今、子ども向けのプログラム教室で教師をしている。

 私は体の部位としての筋肉はキーボードを打つことにそこそこ特化できて、筋肉ではなく脳がプログラム向きだったようで、こうして生計を立てられるほどになっている。


 あの時、えりなが厳しく言ってくれてなかったら、きっと今の自分はなかった。

 脳でも筋肉でも、繰り返し使って、覚えさせるという作業なしには何も極められはしないのだ。

 赤ん坊はスプーンの持ち方一つから筋肉に覚えさせて成長させていくもの、それを教えてくれたえりなへの感謝の気持ちは、繰り返さなくてもしっかり心に刻まれている。

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