理系マッチョの先輩は異世界サバイバルに向いている

宿木 柊花

先輩と異世界

 先輩が医学部から転学部すると聞いたのは数ヵ月前。

 成績優秀で数多の病院から研修の誘いが来ていたと噂されていた矢先のことだった。

 最後に見た先輩はやつれた顔をして波打ち際の砂山のようだった。


 ◇


 先輩と会えなくなって数ヵ月。

 私は講義に遅れそうで構内を走っていた。

 すると、突然地面が消えた。

 着地点を失った足は空をかき、必死に伸ばした手は地面を掴むこともできなかった。

 最後に見た丸く切り抜かれた空は、分厚い雲に覆われ私の行く先を案じているかのよう。

 閉じゆく空を誰かが押し広げる。

 伸ばされた手に私も手を伸ばす。触れるか否かの瞬間に視界が暗転した。


 ◇


 一瞬だったと思う。

 アスファルトで舗装されていたはずの道は乾いた土になり、左右には見慣れた大学構内ではなく木や草。

「怪我はない?」

 その内容を理解するよりも早く心臓が高鳴った。

 声の主を見て脳は必死にエラーだと告げる。

 私にこんなに筋肉の発達した知り合いはいない。

 まして巨大な二足歩行の豚を前に私を庇うようにファイティングポーズを取るような人物に心当たりはない。

「ちょっと離れててくれる? 」

「……先輩」

 ふいに出た言葉に私自身驚いた。

 気付いてしまえばもう先輩にしか見えない。声も顔も雰囲気も数ヵ月前に見た先輩で間違いない。

 けれど明らかに先輩はマッチョになっている。

「なるほど」

 そう呟くと先輩は跳躍し、怪物に眉間にひと蹴り。

 怪物が体勢を崩すと胸あたりに正拳をお見舞いする。衝撃波が突風に変わって木々を揺らした。

 白目を剥いた怪物はゆっくりと倒れた。

 もう動く気配はない。


 先輩は軽やかに着地する。

「久しぶりだね」

「お久しぶりです」

「あー、もしかして分からないか。転部したあたりから筋トレに目覚めちゃってね」

 先輩は前と同じ笑顔を浮かべている。

 その下は高級車のように黒く輝き、筋肉という筋肉がはち切れんばかりに膨らんでいる。

「もしかしてここって」

「たぶん異世界だろうね。でも良かったよ、異世界だろうと体の構造は大差なくて。僕の知識でなんとかなりそうだ」

 まだ動けない私を傍目に先輩は怪物を調べはじめる。

 怪物の首あたりから噴水が上がったのはその直後のことだった。


 赤く染まった先輩は笑っていた。

「筋肉動かしたら早くたんぱく質を摂らないと、構造的にもただの豚だからイケるよ」


 先輩は変わってしまった。

 筋トレに取り憑かれてしまったのかもしれない。

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