俺の目に見えるもの

柚城佳歩

俺の目に見えるもの


俺は昔から視力がめちゃくちゃ良い。

どれくらい良いかって例を一つ挙げるなら、小学生の時の視力検査の話でもしよう。


年に一度の健康診断。

アルファベットのCみたいな記号が並んだよくある視力検査の表で、指されたものを俺があまりにもすらすら答えるものだから、先生からも周りにいた人からも毎度驚かれた。

俺の場合当てずっぽうにしては正確すぎるので、ある時は暗記やズルを疑われた事がある。

もちろんそんな事はしていないから

「ちゃんと見て答えてる」

と主張したけれど、その時は結局再検査となった。


見えないよりは見えるに超した事はないけれど、逆に見えすぎる俺を心配してか、両親に連れられ病院で診てもらった事もある。

そこで俺の視力が並外れて良いらしい事が判明したのだ。

目にはピントを調節する筋肉と、眼球を支える筋肉があるらしいけれど、どうやら俺はそのどちらもが通常の何倍も発達しているらしい。


どうせ発達するなら、目じゃなくて脚とかの筋肉の方がよかった。

だって視力が良いなんて、別段特技にはならないだろう。

でも足が速いって、それだけで充分すごい武器になる。

子どもの時なら足が速いだけでモテたりもするし、スポーツなら陸上はもちろん、野球でもバスケでもサッカーでも有利だ。


運動会ともなれば満場一致でリレーのアンカーを任されたりして、途中で誰かが転んだりバトンのパスでミスって最下位になってしまった状況からの猛烈な追い上げ、大逆転勝利でその日のヒーロー!なんて事もあるのだ。

なんでこんな具体例を出せるのかといえば、兄貴がそうだからである。

二つ上の兄貴は憧れの対象でもあるけれど、どうしたって比べてしまう対象でもあった。

それでもひねくれずに育ったのは、たぶん元々の俺の性格と、あとはまぁ優しい兄貴がなんだかんだ言っても嫌いじゃなかったから。

近いからっていうのが一番の理由だったけれど、同じ高校を選んだり、今日みたいに母親の誕生日プレゼントを一緒に買いに行くくらいには普通に仲が良い。


「いいの買えてよかったな」

「ん」


窓際の席に座り、大盛パスタを頬張る。

広いショッピングモールをあちこち歩き回ったから腹が減っていた。でもそのおかげで納得のいくプレゼントを買えた。

いつもなら安いチェーン店に行くところを、今日はちょっと奮発して新しく出来たパスタ店を選んでみた。

ビルの八階なだけあって、遠くまで見渡せる。

タイミングよく窓際のテーブルに座れたのはラッキーだった。


何気なく外を見ていたら、向かいの(と言ってもそれなりに距離がある)ホテルの窓から女の子が手を振っているのに気付いた。

五、六歳くらいの子だろうか。

アニメのヒーローのぬいぐるみを抱いている。

そのヒーローは俺も好きで、女の子のものとはサイズ違いの小さいぬいぐるみのキーホルダーをリュックに付けているからすぐにわかった。

最初は誰か外に知り合いでもいるのかと思ったけれど、それにしては様子が変だ。

後ろを気にしながら、何か言っているように見える。

あの口の形は、あ、う……、え、か?

その子は同じ言葉を何度も繰り返しているようだった。


“あうええ”の母音で何が出来る……?

唇をくっつけないと発音出来ない“ま・ぱ・ば”は除外するとして、かうええ、たうええ……。


「あっ」


“たすけて”じゃないか?

でも冗談でそんな事言うだろうか。

いや、万が一冗談じゃなかったら?

もやもやと考えているうち、女の子がはっと後ろを振り返った。

部屋の奥から柄の悪そうな男が怒鳴りながら歩いてきて、カーテンが素早く閉じられる。

女の子が見えなくなる直前、髪を引っ張られて痛がっているように見えた。


何だ、今のは。

俺は何を見てしまったんだ……?

顔色が悪くなっていたんだろう。

兄貴が「どうした?」と聞いてきた。


「あー……、今変なもの見た、かも」

「何。UFOでもいた?」

「だったら写真か動画撮ってるわ。じゃなくて、向こうのホテルの部屋に、女の子がいたんだけど……」

「どの建物?ってあれか。うわぁでっけー、遠ー!相変わらず、よくあんな離れたとこのもの見えるな。んで女の子が着替えでもしてた?きゃーえっちー覗きは犯罪だぞ」

「した事ねーよ!そんなんでもなくて、小さい子だったんだけど、何か様子が変で」


俺はさっき見たものを話した。

正直なところ、誰かに聞いて一緒に考えてもらいたい気持ちがあった。

兄貴はこういう時、一切茶化す事なく聞いてくれる。話し終わってすぐ、真剣な目のまま口を開いた。


「どこ」

「え?」

「その女の子、ホテルのどの部屋で見た」

「えっと、十二階の非常階段側の端っこの部屋だったけど……。でもやっぱ“たすけて”ってのは見間違いかも」

「それはないね。お前に限って見間違えるはずがない。行くぞ」

「は!?行くってまさかあのホテルにか?待てよ!」


さっさと会計を済ませて歩き出した兄貴を追い掛ける。

女の子の事が気になっているのは確かだけれど、行ったところでどうするっていうんだ。

それに、やっぱり俺の勘違いだったら?

やめよう、と言ってはみたけれど、強く止める理由もなければ、単純な力勝負では兄貴に勝てた事がない。


「着いちゃった……」


結局来てしまった。

ここまで来れば、兄貴が何をしようとしているのか説明されずともわかってしまった。

いや、うん、最初からそうだとは思っていたけれども。

外観も内装も、西洋風のお洒落な雰囲気が漂っている。こんなところ、高校生だけで入るのは場違い感がすごい。


「そのぬいぐるみ、ちょっと借りるよ」

「いいけど、こんなのどうするんだ?」

「まぁ見てなって」


俺のリュックに付いているヒーローのぬいぐるみキーホルダーを兄貴に渡す。

及び腰になる俺とは対照的に、躊躇なく入っていく兄貴を慌てて追い掛けた。

中へ入るとそのまま真っ直ぐエレベーターへと向かう。

フロントにいる男性がこちらを見ている気がして、視線と居心地の悪さを振り切るように、力強く“閉”のボタンを押した。

エレベーターが静かに上昇する。

その間、俺も兄貴も何も話さなかった。

少しして、軽やかな音と共に到着を知らせる。

目的地はもうすぐそこだ。


コンコン。

兄貴がドアをノックする。

数秒待っても応答がない。


コンコンコンコン。

再びノックする。

また応答がない。

でもドアの向こうに確かに人の気配はある。

どうする。一旦引き下がるか。

兄貴に視線を向けると、こうなる事は想定済みだと言うように俺を見て頷いた。


「すみませーん!さっき窓からお子さんがぬいぐるみを落としたようなので届けに来ました」


すると今度は覗き穴から見える位置にさっき渡した俺のぬいぐるみを掲げて、下の階まで響きそうなほどの大声で話し始めた。


「直接渡したくて来ちゃいましたけど、お留守ですかー?」


ドアを開けさせるためだとすぐにわかったけれど、隣で聞いている俺は冷や冷やした。

流石にこれは無視出来なかったらしい。


「さっきからうるせぇぞ!何の用だ」


いきなりドアが開いて男が顔を出した。

俺が見たあの男だ。間違いない。


「あ、いらしたんですね。さっき外でこれを拾ったんです。お子さんのですよね」


サイズが違うとはいえ、ヒーローのぬいぐるみに見覚えはあったのだろう。

それに加えて、問い掛けるというより確信を持った兄貴の話し方に押されたのかもしれない。


「……あー、わかった。渡しておくからお前らはもう帰れ」


ドアと男の体の隙間から女の子を探したけれど、姿は見えない。もしかしたら隠れているように言われたのかもしれない。


「一言くらい挨拶させてもらえませんか?オレたちも好きなんですよ、このヒーロー」

「必要ない。さっさと帰れ」

「えー、いいじゃないですかちょっとくらい。それとも何ですか。会わせられない理由でもあるんですか?」

「あ"ぁ?ふざけた事言うんじゃねぇぞこのガキ!」

「行け!」


男が拳を振り上げたのと、兄貴が俺の背中を押したのは同時だった。

僅かに開いた隙間からつんのめるようにして部屋の中に入る。


「おい!何勝手に入ってんだ!」

「いる?出ておいで!助けにきたよ!」


兄貴が男に抱き付くようにして動きを封じてくれている。でもあまり時間の余裕はなさそうだ。


「お願い出てきて!俺たちは君の見方だよ」


カチャリ。

バスルームのドアが小さく開いた音がして振り向くと、女の子が立っていた。


「おいで」


広げた俺の腕に真っ直ぐ走り寄ってくる。

しっかりと抱き留めた小さな体は震えていた。


「おい、さっきから適当言ってんじゃねぇぞ。警察呼ぶぞ!」


男の怒声に内心ビビりまくりだったけれど、それを封じ込めて睨み付ける。


「どうぞ呼んでください!望むところです!」

「……くそっ、あんま舐めた真似してんなよ」


兄貴をずるずると引きずったまま、男がこちらに歩いてくる。

走り回れるほどの広さはないし、女の子を抱えたままで上手く立ち回る技量もない。

蹴られる。

反射的に女の子を背中側に庇ったのと同時、脇腹に衝撃があった……が、覚悟していたほどの痛みはではなかった。


「大丈夫ですか!?」


顔を上げると、フロントにいた男性がそこにいて、兄貴と一緒に男を押さえていた。

少し遅れて男性と同じ制服を着た人が何人か走って来る。


「助かった、のか……」


やけにタイミングよく助けが来たなと思っていたけれど、どうやら兄貴はともかく、俺の挙動が怪しかったため、こっそり様子を伺っていたらしい。……ナイス挙動不審、俺。




その後来た警察に男は連行されていった。

俺と兄貴はというと、警察のおっちゃんにそりゃあもうしこたま怒られた。

勝手に部屋に入った事にではない。

そちらは寧ろ今回の事情を最大限に考慮してくれて、“表向き厳重注意”という形で終わらせてくれた。


では何に対して怒られたのか。

それは、やばそうな相手だと認識した上で、大した考えもなく、自分たちだけで衝動的に行動した事だ。


何かあったらどうしてたんだ。

刃物でも持ち出されてたら、そんな痣程度の怪我じゃ済まなかったかもしれないんだぞ。

仲間がいる可能性を考えなかったのか。

それ以前に、周りの大人に相談する事は考えなかったのか。……などなど。

たっぷり一時間は説教された。

反論するつもりは毛頭なかったけれど、言われるまでもなくごもっともな事ばかりだったので、まぁ大人しく聞いていた。


ちなみに、あの女の子は一昨日から行方不明者として捜索願が出されていたらしい。

二日経つのに何の連絡もなく、事故か誘拐かもわからなかったそうだ。

俺が偶然女の子を目撃したのがきっかけで誘拐事件だったとわかり、同時に犯人も逮捕されたというわけだ。


「お兄ちゃんたち、大丈夫?」


迎えに来た母親と手を繋いだ女の子が、ヒーローのぬいぐるみを抱いて俺たちのところへやって来た。


「平気平気。お母さんと会えてよかったね。本当はそのヒーローみたいにかっこよく助けられたらよかったんだけど」


俺が好きなヒーローみたいに、颯爽と危機に駆け付ける!だったら最高だったんだけど。

現実は兄貴共々仲良く脇腹に一発ずつくらい、警察のおっちゃんからの説教もあって、とても格好が付くとは言える状態じゃなかった。


「……かっこよかったよ、ありがとう」


素直な言葉が、心にじんわりと広がっていく。


目が良い、なんて別段特技にはならない。

でも時にはこの目に見えたもので、誰かのヒーローになれる事もあるのかもしれない。





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