この指先が届くから

つくも せんぺい

背中と指と、耳と

 席替えは嫌い。

 なんでこんなに緊張することを、一年に何回もしないといけないのだとアタシは思っている。

 それは多分、みんな一緒。

 好きな席にピン留めできるなら、それが一番だ。


「そんなの当たり前じゃん」


 と、聞いてやしないのに、頭の中でクラスメイトの総意が聞こえる。

 きっとそれが叶うなら、先生が教壇から見る景色は、棚が見えなくなった一番後ろの列と、外が見えないくらいの窓際、最後に目の悪い子が前列を埋めて出来上がる、机がの字を書いた教室だろう。いや、それを確認したが一人真ん中に点を作るかも。

 ……それ何て文字?


 席替えは嫌い。

 隣は別に誰でもいい。見なければいい。

 でも、前の席が問題なのよ。席に座れば手が届く、せいぜい一人が間に立つくらいの距離。仲の良い友達なら、喋りたいのになんでこんなに離れてるのと残念だし、もしアイツが前なら、なんでこんなに近いのよと吐き気がするの。

 アイツ? あぁ、あのコの字崩し目立ちたがり屋よ。


 好きなんて言ってない。

 つき合ってなんて言ってない。

 話すと楽しいとは言った。

 かっこいいかもね、かもねだよ?

 ただじゃなんでダメなの?


 アレから雑音が多くなって、前で見たくない人間が増えた。

 アタシのせいなのか、勘違いさせた? アイツが勘違いしたの。軽く見たのよ。アタシっていうをね。

 もう終わったことだ。あと何か月後の、卒業までのこと。


 嫌いな席替え。最後の席替え。

 緊張の結果は、セーフ。アタシはなんとか、学校生活最後の思い出を見たくもない背中で締め括らなくて済んだ。

 前に座っているのは、「おはよう」以外はほとんど話したことがない、朝アタシの次に必ず教室に来る彼だ。

 記憶にある会話は、プリント回す時のどうもくらい。そんな彼。


 だけど、おはようだけは交わす。

 その後は誰か来るまで、二人とも前を向いて、スマホを触ったりしている。友達ではないクラスメイト。

 不思議と、嫌ではなかった。

 アタシはその理由を知っている。



 ◇



 アタシは朝、一番に教室に入る。なんてことはない、親が共働きで朝が早くて、一緒に家を出るようにしてるってだけ。

 別に隠すような話じゃないし、みんな知っている。

 彼は分からないけど。

 でも、アイツは知っていた。

 だからあの事があった後、アタシのよりも先に居た。


 アイツが言ったことは、あんまり覚えていないわ。

 ただ、アイツは最初はゆっくり話していた。無視した。

 次に、声は段々早くなった。睨んだと思う。

 最後、アイツは机をバンと叩いた。それは覚えている。


「アンタを選ばなかったのはアタシだろうけど、ならまた前みたいにって言ったのはアンタ。でもそれを結局受け入れなかったのも、戻らなかったのも、アタシを理解しなかったのもアンタよ」


 棘があったことは認める。けど、アイツの楽しいを奪ったのがアタシなら、アタシの楽しいを根こそぎもぎ取ったのはアイツだ。三年を分かち合うはずだった友達は、アイツを選んだのだから。


「……おはよう」


 彼が入ってきたのはその時だった。今まで意識して挨拶を交わしたことさえなかった彼との、初めてのおはよう。

 席はまだ離れていて、暑かったのか学ランを脱いだ時に見えた、シャツ越しの背中が大きく見えた。どこまで聞いていたかは分からない。そこでアイツとの会話を終わらせることができたけど、助けるつもりで入ってきたわけではないと思う。でもそれから、彼はいつも二番目に教室に来るわね。


 そして今、彼はアタシの前の席に座って、背中が更に大きく見えている。

 なんて事はない。授業中にスマホ触っても見つからない、素敵な背中。白いシャツ越しにも、首から肩にかけての盛り上がりがクッキリしていて、綺麗にラインが入っている。


「ソウボウ……筋……、脊柱……キリツ筋?」


 声にもならないくらいの呟き。彼の背中と、スマホの検索画面を見比べながら、なんとなくアタシは過ごしている。よく知らないけど、知った気になる。


 ただただあなたの背中が大きくて、綺麗ってだけ。

 どうしてまだ二番目に来てくれるのって、気になるってだけ。



 ◇



「……おはよう」

「ん、おはよー」


 その日もまた、彼はいつも通りに来てアタシの前に座った。続けて特に何かを言うわけでもなく、昨日の課題をやり忘れたのか、今日はノートを取り出している。

 二人だけの教室には、彼のシャーペンが走る音が心地良い。

 その右手に微かに動く肩を、アタシは見つめている。彼は大きいから、手を伸ばしたら届くだろう。


「……思ってたより、柔らかいのね」


 そう指先で、彼の背中をなぞっていた。

 筋肉がついているのが分かる背中だけど、柔らかい。


「……なに?」

「あ、ゴメン。綺麗だなって思って」


 彼の驚いたような問いかけに、アタシ自身も驚いていたのだろう。出た言葉も、普段なら言わないようなことだった。なにやってんの……耳が熱い。


「鍛えてるの?」

「……一応、ね」


 誤魔化すように目を逸らして、アタシは聞く。

 彼は少し恥ずかしそうにふっと笑った。


「あのさ」

「え、アタシ?」

「他にいないじゃん」

「そ、そうね」


 今まで続いたことがなかった会話をいきなり彼が続けて、アタシは思わず聞き返す。今度は少し呆れたように、彼は笑う。


「友達、また話したいって言ってたよ」

「……なんのこと?」


 アイツの顔が浮かび、警戒する。


「前まで一緒に話してた女子みんな。卒業になるからどうしようって」

「……あなたが聞いたの?」


 彼は背もたれに肘を掛けるようにして、横を向いた。

 少し困ったように頬をかいて、まさかと否定する。背中の感触が残るアタシの指先が、その横顔にチリっと熱くなった気がして、誤魔化すように握りしめた。


「聞こえた。わざわざ俺には言わんだろ。ずっとグループだったことくらいは知ってるし、誰の事話してるかくらいかはさすがにね。……もったいないよ」

「なんで?」

「なんでって、こっちが聞きたい。いま話さなくなったの、女子関係なくない? この前のこともあるけど、俺ですら知ってるよ。でもまぁ多分、俺が進学しなくて働くから、余計にそう思うんじゃないの?」

「そうなの?」

「ん。もう休みは現場出てる」


 ほらと、首元のシャツをずらした彼の肌は横顔よりずっと白くて、くっきりと色が分かれていた。そのコントラストと肩口から首までの整ったラインに、思わずドキリとする。


「知らなかった」

「そりゃいつも話さないし」

「アタシのせいだと?」

「いや言ってないし」


 今までの朝が嘘みたいに、ポンポンと続く会話。さっき触れた指先がなんだかしびれるのは、緊張なのか嬉しいのか、怖いのか、分からない。だから聞く、


「ねぇ、なんでこの時間に来てるの?」


 違う。来てくれてるの?

 は驚いたように視線をアタシに向けて、しばらく黙っていた。


「……それ、いまさら聞く?」


 帰ってきた答えはそれだけ。その言葉を最後に、あなたは、前を向いてしまった。

 アタシはその背中を見つめて、日に焼けた首元を、言葉を聞いてくれた耳を見る。……あなたの耳が赤い。

 アタシはそっと立ち上がって、その耳をつまんだ。鍛えた背中よりもかたい感触。


「耳の方がかたいね」


 驚いた瞳をあなたはアタシに向けた。それはそうだろう。昨日までろくに話したこともなかったアタシに背中をなぞられ、耳をつままれたんだから。

 でもあなただって、払いのけたりはしないのね。


 ――優しいだけ?


 その瞳は、背中と同じように綺麗だ。


「そりゃあ、骨だから……」


 その言葉にアタシはなんだか笑ってしまう。そうよねゴメンと謝って、席に戻った。それからは、二人とも何も話さなかった。

 そして、次に教室に入ってきた女の子に、アタシは自分から「おはよう」と声をかけたのだ。そしてあっけないと思えるほど、返事はすぐに返ってきた。


 さっきの答えは聞けていないけれど、少しだけ後ろを振り返ったあなたの耳はまだ赤くて、アタシと同じ。それで満足だった。



 ◇



 あれからも、彼は二番目に教室に入ってくる。

 相変わらずのおはようの後は話さないけど、それからやってくるあの子たちとはまた話すようになった。


「じゃあね」

「うん」


 そしておはよう以外、下校のときにこれだけの挨拶が増えたわ。

 きっと卒業は笑顔で迎えられるんじゃないかしら。


 でも、もう時間は少ないけれど、アタシはあなたの背中をもう少し見ていたい。

 そう思ってしまっている。


 この指先が届くから……またあなたに触れてもいいかしら?

 そう、想ってしまっているの。


 

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