あなたのための本、あります KAC20235【筋肉】

霧野

本は心のプロテインのようなもの

「おい! てんちょてんちょ、なんかスゲエのが来るぞ! やべえ!」


 シミの怯えたような声に、店主は運転席の窓を振り返る。シミは窓枠を掴み、体を竦めていた。灰色がかった目と艶のある白髪だけが窓から覗いている。

 目線を追うと、なるほど、大型商業施設を背にしたスゴイのが金色の長髪を揺らしながら小走りに迫ってくるではないか。


「イケメン見〜っけ♡」


 あまりの迫力に、店主は思わずガーデンチェアから腰を浮かせた。その拍子に読んでいた本がバサリと落ちる。

 目の前に立ったのは身長2メートル越え、腰まである金髪を波打たせた筋肉ムキムキ男だ。


「お隣、いいかしら?」

「あ……ええ、どうぞ」

「ありがと♡ お言葉に甘えて、失礼するわ」


 鍛え上げられたヒップをプリッとを突き出し、妖艶な仕草で折りたたみ式のガーデンチェアに腰掛ける。膝頭をピッタリ揃え足を斜めに流すと、男はカフェテーブルに両肘をついて組んだ指の上に顎を乗せ、上目遣いで店主を見つめた。


「普段はインテリ系に興味ないんだけどぉ、アナタ素敵♡」

「……どうも。恐れ入ります」

「俯き気味に本を読む姿、なんかちょっとエロい」


「ブフッ! ……ケホケホ」

 思わず吹き出し、咽せてしまった。薄青いレンズの銀縁メガネを直し、狼狽を誤魔化すように軽く咳払いする。


「綺麗な空色の車に白いパラソルも素敵じゃなぁい。なんなの、ここ」

「……本屋です。移動式本屋。新刊、中古、雑誌や漫画も扱ってます」

「あら、そうなの。ジムの窓から見た時、てっきりカフェかと思ったわ」


 店主は落とした本を拾うとテーブルに置いた。気を取り直して男に笑顔を向ける。


「よかったらコーヒーをいかがです? さっき淹れたばかりのがまだ少し……」

「どうぞお構いなく。あたし、カフェインは筋トレ前にしか摂らないの。お気持ちだけいただくわね」


 ピンク色のピッタピタTシャツから生える逞しい両腕に似合わぬ優雅な身のこなしで、男は小首を傾けた。


「ねえ、お兄さん。格闘技とか興味ある?」

「じっくりと見たことはないですね。すごいな、とは思いますが」

「そっかぁ。今度生中継の大きい大会に出るから、よかったら見てみてよ。アタシ、『愛の戦士・らぶ ♡ まっちょん』ってリングネームでメイン張るから」

「すごいリングネームですね……」

「でしょ? コスチュームだってフリフリで超キュートなの。試合はゴリゴリのストロングスタイルだけどね」


 男は可愛らしく肩をすくめ、ウフッと笑った。店主も優しい微笑みを返す。


「試合、見てみます。頑張ってくださいね」

「こんなイケメンが応援してくれるんなら、絶対頑張る。ちょう頑張っちゃう」


 店主はおもむろに胸ポケットからメモ帳と銀の万年筆を取り出すと、サラサラと走り書きを始めた。


「あら、どしたの?」

「……本は心のプロテインのようなものです。摂取することで能力を底上げし、傷や疲れを修復してk」

「ちょっと! マッチョは『プロテイン』って言えば何でも買うと思ってなぁい?!」


 強い口調で遮られ、さらに横目でジロリと睨まれて、店主は言葉を詰まらせた。


「別にそういうつもりでは……」

「まぁ、買うけど!」


「買うんかい」

 車の中から小さな呟きが聞こえたが、男には届いていないようだ。


 メモを破りとり、運転席へ。


「シミ、これ頼むよ」

「おう」


 再びガーデンチェアに腰掛けると、男がツツッと身を寄せてきた。シャンプーの香りの残る艶めく長い金髪を耳にかけ、声を顰める。


「ねえ、あの子。平日の昼間からこんなとこに居ていいの? 学校は?」


 店主もやや声を落とし、柔らかに微笑みながら返す。


「……まぁ、色々ありましてね。でもご心配には及びません。法やモラルに反することは何もありませんから」

「そう。ならいいの。人間、色々あるわよね」



  ☕︎



 シミから受け取った本を、店主は一冊ずつテーブルに置いていく。


『世界のお菓子』


「あら! 写真がいっぱいで素敵! あたし、こう見えて兼業でミニチュア作家やってるのよ。スイーツが一番得意なの。作品の参考になりそう」

「そうなんですか。それは素敵な二刀流ですね」



『ファッションの歴史 バロック・ロココから、ギャル・ゴスロリまで』


「なにこれ〜!! こんな本もあるのね! 夢みたいじゃなぁい? コスチュームの参考にしよ!」

「こちらも写真がたくさんです。発行部数が少ない上に印刷のクオリティも高いので、中古とはいえ高価なのですが」

「いいの、買う! 買う! んもう、眺めてるだけで幸せぇ♡」



 最後に重ねて置かれたのは、3冊の漫画本。


『愛しさと 切なさと コブラツイスト』


「……少女漫画? なんかあちこちから怒られそうなタイトルね」

「こちらは、学生プロレス仲間の親友に恋人ができ、幸せそうな彼の様子を見て初めて自分の気持ちに気づく主人公を描いた作品。全18巻です」

「長っ! キワモノタイトルのわりに、大作じゃない。でもこれ、なんで3巻だけなの?」

「漫画の世界では、3巻以上続けばある程度は良作であると認識されているようです。ですからうちでは、3巻までしか置いておりません。そこまでが面白ければ、続きを購入されれば良いかと」

「でもここ、移動しちゃうんでしょう?」

「ええ。でも、ネットでも買えますし」

「ちょっと、本屋がそれ言っちゃう?」


 店主は楽しそうに笑った。

「もちろん、うちに限らず書店で買っていただけたら嬉しいんですけどね。それは絶版品なので、古本屋かネットでしか買えないんです」


 男は漫画本の表紙をそっと撫でた。画風は少々古いけれど、愛情の籠った繊細で綺麗な絵柄。本を手に取り、パラパラとめくる。


「……切なそうなお話ね……」


 店主が静かに頷いた。しみじみと呟く声に、寄り添うように。


「ええ。今でいうBLものですが、儚く揺れる感情表現と耽美な世界観が人気だったようです」


 男は大事そうに全ての本を重ね、憂いを含む眼差しで漫画本の表紙を見つめた。


「……これ。全部、いただくわ」




 隆々とした肩に5冊の本が入った空色の紙袋をかけた男は、帰りかけてふと足を止める。


「ねえ、アナタ。どうしてこの本を選んでくれたの? まるでアタシの心を…」


 店主が細い中指で銀縁眼鏡に触れ、淡く微笑んだ。


「ここは、本屋ですから」

「……ふふっ。そう。詮索は無用ね。わかったわ、さよなら素敵な本屋さん♡」


 波打つ金髪をばさっとかきあげると、運転席に縮こまっているシミにも声をかける。


「バ〜イ♪ 美少年。今度会う時はムキムキマッチョになってなさいよ!」


 腕を曲げて上腕二頭筋を誇示したかと思うと、そのまま投げキッス。腰をふりふり、モンローウォークで歩き出した背中に、店主が声をかける。


「試合、楽しみにしてますね」


 男は振り返り、再び盛大な投げキッスを送って去っていった。




「……世の中には、いろんなニンゲンがいるんだな」


 窓枠に置いた腕に顎を乗せ、ほうけたようにシミが呟く。


「そうですね」

「『愛の戦士』……なんだっけ」

「『愛の戦士・らぶ ♡ まっちょん』」

「……試合、楽しみだな」

「ですね」



 愛の戦士の存在感に余程圧倒されたのか、その日シミが売上云々に言及することは無かった。


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