第12話 火喰のアルカイヤ
ガヴィは魔女街の中でも、森に近い奥まった場所にあるこじんまりとした小屋の中にいた。
「ん。聖泉の水、持ってきましたよ。どうぞ、ラトーナ」
「ああ。ありがとう」
ガヴィは森にある魔女の聖泉から持ってきた水桶をラトーナのそばに置く。するとラトーナは、生薬を磨り潰していた臼から身体ごとガヴィへと向き直り、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまないね、ガヴィ。ここ何日も魔女街の復旧作業だけじゃなく、あたしの手伝いまでしてくれて。茶でも出そうか」
「いーんだって。アルカイヤ先生からの言いつけだし。それに、隙見て上手くサボったりしてるからな……今朝は先生に見つかって、シバかれましたけど」
ガヴィは冗談めかして笑いながらラトーナに手を振って見せると、すぐ目の前にある鉄格子に触れた。鉄格子の向こう側では、全身を包帯に巻かれたメーラが寝台に横たわって眠っている。そこは、魔女街の中でも数少ない牢の一つであった。
「メーラの調子はどう?」
ガヴィは牢の中で眠るメーラからすぐにラトーナへと視線を戻して、静かに尋ねる。ラトーナはメーラの寝顔を悲しげな眼で見つめながら、小さくガヴィに応えた。
「順調に回復していってる。早く全部治してあげたい。でも、メーラの地獄みたいな苦しみは、あたしの薬じゃ何百年かかっても、癒せやしない……死んでも、決して楽にはなれない」
ラトーナの健康的な小麦色の肌に未だ残っている、涙の痕。その上からまた、か細く温い水が滴り落ちる。ガヴィは黙ってラトーナの言葉を聴いていた。
「だからせめて、あたしも一緒に罪を償うの。奴隷だったときみたいに。一緒に苦しみと地獄を分け合って、背負って、生きて……死んで。死んだ後に残る歴史の中でも、メーラは最後まで一人じゃなかったって。そう、伝えていくの。あたしは」
ラトーナは赤く充血した眼を穏やかに細めて。檻の中で眠るメーラに柔く、やさしく。ひたすら微笑んでいた。
「だってあたしたち、魂の姉妹だから」
◇ ◇ ◇
アルカイヤは、再び
ボアンは椅子にも座らず、窓のそばに立って魔女街ペイタルを眺めながら、鼻から長い息を漏らす。
「……まさか、大結界魔法の脆弱化を図ったのが、同族の者であったとはな。正直、欠片も考えつきもせんかったわい……国の崩壊後、生き残りの魔女たちすら一人残らず地獄を味わったものじゃからのう」
ボアンは両の目尻を片手で抑えたまま、しばらく間をおいてぼそりと呟く。
「流石のワシでも……この事実は、かなり堪えた。未だに奴隷時代の傷が癒えぬ者も少なくない。メーラのことは……」
「隠蔽すべき、と?」
アルカイヤはまるでボアンの心内を見透かしているかのように、しっかりとその本音を汲み取った。ボアンはアルカイヤの言葉に小さく頷きながら、アルカイヤを振り返る。
鳥の脚を組んで長椅子に座るアルカイヤは、冷たくも、はたまた碧い炎が燃え上がっているようにも見える眼をボアンに向け、きっぱりと言い放った。
「きみたちがその事実から目を背けようとも。ぼくは、ぼくが見て知った歴史を語り継ぐよ」
ボアンは思いがけず息を吞む。アルカイヤは立ち上がるとボアンの横に並び立ち、先程のボアンと同じように窓から魔女街ペイタルを鋭い眼を細めて見渡した。
「確かにそういう傷は、癒えないものだ。一生抱えて、生きていくしかないものが多い。〝魔女の国滅亡〟の原因が裏切りの連鎖だったと知れば、魔女たちの傷は更に抉られる。……だけど」
アルカイヤは再びボアンに視線を戻す。その碧い眼は、何よりも澄んでいて。何よりも、純粋に見えた。
「歴史を消し去れば、必ずまた同じ歴史がいつかは繰り返される。これから生まれてくる魔女の子どもたちが、また同じ傷を負わないように。メーラのようにたったひとり、地獄を背負うことがないように。今を生きるぼくたちにしかできない、後世のためにできる最大限のことをやらなければならない。たとえ死ぬまで癒えない傷があっても、向き合って。その傷と共に歴史を語り継がねばならない。……それが、ぼくたちにはできるはずだ。たとえ地獄の世界でも、ひとりではない。誰かと共に、こうやって生き抜いているのだから」
アルカイヤの言葉に、ボアンはまた両の目尻を抑える。そして、こらえ切れないように小さく嗚咽を漏らしながら、ボアンは何度も大きく頷いて見せた。
「……そうだな。ああ、そうだ。……魔女の国滅亡の真実は、ワシも魔女史に残す」
ボアンは肩を震わせて、手に持つ長杖に縋りつくように泣いている。アルカイヤはそんなボアンの細い肩を一度擦ってやると、一言だけ言い残して、館を後にするのであった。
「また、何かあれば呼んで。友人たちの声にぼくはいつでも。どれだけでも応える」
◇ ◇ ◇
夕暮れ時の魔女街は、夕食の最後に食べられる
「いつまで
「申ーし訳ございませんでした! ほら、この通り謝るんで。卵は勘弁して? 先生」
木の陰からひょっこりと出てきたのは、やはり軽薄な笑みを顔に張り付けたガヴィ。こちらを容赦なく睨みつけてくるアルカイヤに、ガヴィは両手で宥めるような仕草をしながらアルカイヤの目の前まで近づいてくる。
「俺、何日も待ってたのに。先生が全然声かけてくれないから、ボアン婆の館までお迎えに行ったんですよ? でも取り込み中だったようで。このような形になったというわけです」
「どんな形だ。……それで、何の用?」
「何の用って。そりゃあ、俺は先生の助手なので、先生のお供に来たんですが?」
そう小首を傾げて見せるガヴィに、アルカイヤは眉を顰めて訝しげな視線を寄越す。
「は? ……まだそんなこと言ってるの? ぼくには助手はいらない。何度言えばわかる」
「いーや。必要ですね。だってほら、今も先生の義手の付け根。緩んでる」
ガヴィはそう言いながら、アルカイヤの右腕の義手へと触れる。一瞬身構えたアルカイヤだったが、それにも構わず。鼻唄を歌いながら義手の点検をするガヴィに、アルカイヤはとうとう諦めたように息を吐いて、好きにさせた。
そして、無事アルカイヤの義手の不調を整えて見せると、ガヴィはニヤリと妖しくアルカイヤに微笑む。
「ボアン婆から聞いてると思うが、俺は大陸の〝呪いの秘宝シリーズ〟を狙ってる。あなたが、大陸で最も深いその謎の芯に近いって話は聞いた。俺を連れてってくれ、先生」
アルカイヤは眼を細めて、小さく鼻を鳴らした。
「……下心から先に入ってくるとは。見上げた精神だ」
「単刀直入、お嫌いじゃないかと思って。加えて、先生の義手の調子を常に万全にできる錬金術師も、そうそういないと思いますが」
「……」
自身の義手を険しい顔で眺め、黙り込むアルカイヤ。ガヴィはあと一押し、と内心でほくそ笑みながら、アルカイヤの義手を己の手に取った。
「それに、前にも言っただろ。俺は、先生の火に成るって」
「……なるほど」
不意にアルカイヤがあまりにも濁りの無い、真っ直ぐな眼でガヴィの眼を覗き込んできたので、ガヴィは己の内側の更に秘めたる所まで見透かされた気がして胸がざわついた。それすらも悟られたかのように、アルカイヤが得心の言ったような一言を小さく呟いたので、微かに冷や汗が滲む。
「まるできみも、〝
アルカイヤは微かに笑いの滲んだ声でそう言うと、直ぐさま自身の義手を握っているガヴィの手を容赦なく振り払った。そして、風を切って颯爽と歩き出しながら、既に横切ったガヴィへと短く声を掛ける。
「好きにすればいい」
一瞬、惚けたように固まっていたガヴィであったが、すぐに我に返ると、小さく噴き出しながら、アルカイヤの小さな背中を追う。
「そういえば、先生。先生がいつも研究してるテーマって、何なんです?」
「古代の大陸。一万年以上前、この大陸全土は巨大な一つの国によって支配されていたという碑文が存在してね。ぼくの仮説ではその巨大な国こそが、〝呪いの秘宝シリーズ〟を創り出したと考えてる」
「え!? 何ですそれ、めちゃくちゃ浪漫ある! ていうか、俺の目的ともしっかり合致してるじゃないですか、先生の研究。……運命感じるな?」
「気色が悪いこと言わないで」
「酷いなぁ」
〝火〟とは。文明の象徴であり。
〝歴史〟とは。先人たちが遺した、今を生きるヒトビトの足元を照らす〝
しかし、火とはヒトビトの使い方によって、文明を繫栄させる礎ともなれば。過去も現在も未来をも。時代を問わず、
しかし、とある時代に。〝火を以て火を制す〟と語る、守り人たちが現れた。
時には、先人たちの遺した歴史を以て、今を生きるヒトビトの灯となる火を掲げ。
時には、戦火となった荒ぶる火を喰らいつくす、戦士と成る。
いずれ永く、大陸史に名を刻むこととなる彼ら歴史の守り人は、戦士は。歴史に、こう名を刻まれた——「火喰のアルカイヤ」と。
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