第10話 あなたの

「……ちょっと驚いたけれど。でも、ちょうどいいわ。ここでまとめて、面倒な二人を片づけられるんだもの」


 メーラは一度アルカイヤとガヴィから離れると、腰に差していた新たな短剣を再び構える。ガヴィはアルカイヤの前へと出て、メーラを宥めるように柔い声を掛けた。


「話は全部聞かせてもらってた。……メーラ。こんなことはやめるべきだ。君はラトーナも殺す気か? 赤ん坊の頃から共にいた、姉妹も同然の子なんだろ?」

「そうよ。私は全てを殺すと固く決めたの。姉妹のように、ここまで共に生き抜いてきたラトーナも。親のように、見守って下さったボアンさまも。こんな私を慕ってくれる、結界魔法の可愛い弟子の子どもたちも、全て。ほろぼすと、決めたのよ」


 ガヴィの宥める声も意味をなさず、メーラは目を血走らせて短剣を振り上げる。アルカイヤは未だに血を吐きながらも、苦しげにガヴィの背中へと声をかけた。


「今は、話しても無駄、だ! はやく、メーラを取り、押さえ……!」


 その瞬間、メーラは真横に飛んでさらにガヴィから距離をとると、数本の短剣を取り出してその全てを、蹲っているアルカイヤに向かって鋭く投げ放った。

 ガヴィは咄嗟に投げられた短剣の前に飛び出し、その全てを蹴りで叩き落とす。しかし、それと同時に地面へ、ガヴィとアルカイヤを囲むように三角形の形に花のついた林檎の木の枝が三本、メーラによって刺された。


あまねく愛をる花よ。あまねさちを歌う実よ。果てなき道を紡ぐふたりへ、黄金こがね目覚めし祝いの禁を結べ』


 メーラのまじない歌と共に。林檎の枝からは眩い光が溢れ出し、ガヴィとアルカイヤを覆う三角錐型の結界魔法が展開される。


「……っと、なるほど。そうくるか」


 ガヴィは低く呟きながら何度も脚で結界魔法の壁を鋭く蹴りつけるが、壁はびくともしない。


「私の結界魔法は、毒で死にかけている火喰ひくいの戦士の万全な百戦錬磨の技を以てでもしないと、破れはしないでしょう。あなたたち二人には、死ぬまでそこにいてもらうわ。……私はこれから、人間たちと共に魔女を亡ぼさなければならないから。それじゃあね?」

「待、て……! メーラ!」


 アルカイヤの掠れた制止の声ももはや届かず、メーラはガヴィとアルカイヤを残して更に喧騒が強まったペイタルの方向へと走り去ってしまった。


「上手く逃げられたな……さて、この鉄壁の結界魔法。どう攻略するか」


 メーラが消えた後もガヴィは幾度となく強烈な蹴りを結界魔法にぶつけ続けるが、ふと、蹲っていたアルカイヤがよろよろと立ち上がってくる。そして、ふらついて倒れかけるアルカイヤを慌ててガヴィは支えた。


「うおっ、と。先生、危ない」

「きみ、退いてて……ぼくの、蹴り、で……!」

「健康万全なあなたならまだしも。そんな状態じゃ、いくらアルカイヤ先生といえど結界に弾き飛ばされる。何か、策を練らないと」

「策なら、ある」


 ガヴィはアルカイヤを支えながら座らせて、肩で荒い息を繰り返すアルカイヤの言葉を待つ。


「これを、上手く使うしかない」


 アルカイヤが震える指で持ち出したのは、先ほど魔女の聖泉の底より拾い出してきた黒魔の鱗。ガヴィは、小さくはっと息を吞んだ。


「黒魔の鱗を温め、毒を作る。それを、ぼくの脚に塗って……毒入りの、渾身の蹴りで結界魔法に大きな衝撃を与えれば、砕ける」


 アルカイヤはそう言いながら、黒魔の鱗を口に含もうとするので、慌ててガヴィが鱗を取り上げた。


「って、ちょっとちょっとちょっと! 何しようとしてんだ!? その黒魔の毒って、魔法も金属も溶かす劇物だろ!? 微量どころか、直接口に含んだり、素肌に塗ったりでもしたら……」

「確実に下顎は溶け落ちる。足も、半分溶けて無くなる……それだけ」

「それだけ、じゃない! そんなのダメに決まってるでしょーが! あなたは自分をないがしろにし過ぎだ、先生」

「うる、さい……ぼくの下顎よりも足よりも。ボアンを、ペイタルを、メーラを……ヒトビトと歴史を、守らなければならない。ぼくは、〝火喰〟なんだか、ら……!」


 ガヴィは細く鼻から息を漏らして小さく首を振ると、自分の肩を掴むアルカイヤの義手を握った。


「本当に、あなたは正真正銘の〝火喰ひくい〟だな。歴史という人類の足元を照らすともしびをその胸の中で燃やし。歴史を消し去ろうとする戦火を、その身をもって喰らい尽くしてゆく守り人。ならば俺も——時にはあなたに宿り、時にはあなたに喰らわれる、〝火〟となりましょう」


 アルカイヤは目を見開いて、思いがけずぽつりとつぶやく。


「なに、を。言っている?」

「ご存知の通り。これでも俺は、錬金術師。錬金術師とは、金属といった物質に、はたまた肉体や魂まで。万物を探求し、それらを錬成して様々なモノをつくり出すことを追い求める者。そして錬金術師の多くは、錬金の礎として金、土、水、木……といったモノの基本的な原質をまずは扱えるように鍛えられるのですが。俺は、それらほとんどの原質を扱えなかった。だが——が、できた」

「喰ら、う?」


 子供のように首を傾げるアルカイヤに、ガヴィは穏やかな声色で語って聞かせた。


「そう。俺は、金、土、水、木の原質を喰らうことで、たった一つの原質を創り出すことができる——それが、〝火〟だ」


 ガヴィは足元の地面の土を手で抉り出すと、一切の躊躇なく口に含み、呑み込む。そして片手を開いて見せれば、ぼうっと小さな火が生み出された。


「火をこんな風に創り出せる錬金術師は滅多にいないらしい。だから俺は師匠の婆さんに、祝いの名を貰った。〝神火しんかの錬金術師〟と」


 ガヴィは己の左手の中で燃える炎を、右手で摘む黒魔の鱗にゆっくりと近づけてゆく。


「俺の火で黒魔の鱗を溶かし、できた毒を俺が脚を使って結界魔法にぶつける。この手でいきましょう」


 ガヴィの珍しく静かな提案に、アルカイヤはその黄色味がかった碧眼をじっと見つめたまま、囁く。


「……きみ、の足が半分、溶け落ちる」

「心配。してくれるのか?」

「別に」


 いつもと変わらぬ、素っ気ないアルカイヤの短い言葉。それでも、確かにその短い言葉の端々から微かな心配の色を感じて。ガヴィは小さく微笑んだ。


「大丈夫。俺の靴、すげぇ分厚いから。結界魔法を砕いてすぐに脱げば、皮が溶けるくらいで済むだろ、たぶん。それに、俺はあなたの〝火〟なんだから。俺を喰らって糧にして、あなたの守りたいもん守って見せてくれ——というわけで、アルカイヤ先生。俺がやってもいい?」


 アルカイヤは一度目を伏せて大きく息を吐き出すと、間をおいて小さく頷いた。


「……やろう。もしきみの足が溶け落ちたら、ぼくの専属義肢装具師を紹介する」

「何それ。どっちにしろ最高じゃない」


 ガヴィは相変わらずふざけたように笑いながら、黒魔の鱗に火を移す。ガヴィの創り出した火が全て鱗に燃え移ると、ガヴィは炎に包まれた鱗を結界魔法の壁へと高く放った。そして、長く息を吐き出し、短く息を吸う。瞬間、ガヴィの回し蹴りが、ゴウと風を切り。黒魔の毒を捕らえて、そのまま結界魔法の壁へぶち当たる。

 キン、と。耳に心地いい甲高い音が響き渡り。結界魔法の壁には、亀裂が走った。

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